「……お前、なんつー髪型してんの」

ノックもしない不躾な軍大将、捲簾は初めに天蓬を見るなり言った第一声はこれだった。
捲簾が指摘した天蓬の髪の様子を説明するとこうなる。
片目を隠す程の長さの前髪は安っぽいヘアバンドによって上げられ、僅かに後れ毛がはみ出ている。
後ろは雑に一つにまとめて結っている状態だ。

「髪がさっきから邪魔だったんで、こうなりました」
「こうなったって……、そのヘアバンドは?」
「この前、下界に降りた時に買ったんです、百均ショップで」

神様が百均かよ、と呆れたツッコミを入れる捲簾に対して目を向けず、天蓬は喫煙しながら黙々と、羽ペンを白紙の上にガリガリと動かす。
白紙もとい、提出期限がとうに切れた出陣報告書類に。

「結局ソレ、書かずに放置してたのかよ」
「えぇ、毎回貴方に書いて貰ってばかりなので、たまには僕が書こうと思ってましたが……」
「やっぱり忘れて、上官に怒られたってか?」
「そんなトコロです。おかげで読みかけの本、取り上げられちゃいました」

ふと数時間前の事を思い出す。
前から欲しかった本をようやく下界で手に入れ、読みふけようとした矢先の事。
この部屋に現れた竜王敖潤によってその本を奪われ、本を引き換えに『期限がとっくに切れた報告書を提出するように』とだけを言い残して速やかに立ち去っていった。
せっかくの楽しみを奪われ少々苛立ちながらも、数日前に整理整頓された机に向かって、報告書と睨み合いを続けている。
苛立ちは喫煙により緩和されてはいるが、やはり完全には消えてはいない。
おかげで愛用しているカエルの形をした灰皿の口は、吸い殻でいっぱいになっていた。

「手伝おうか?」
「いえ、これは元々は僕の仕事なんで最後までやりますよ」

そう言ってから黙々と一心不乱に羽ペンを動かし、業務を行っている天蓬を察したのか、捲簾はいつの間にか黙って空いた窓際に立ち、喫煙していた。

本来討伐を遂行した後に、討伐の内容を報告する為の報告書を書く役目は、元帥である天蓬であったのだが。
捲簾が第一小隊に配属されてからというモノ、ほとんど捲簾が報告書を処理している。
別に押し付けている訳ではない。
ただ、つい己の趣味を先に優先してしまい、後回しにし続けてしまうために、報告書の存在をうっかり忘れがちになってしまうのだ。
そんな天蓬を見兼ねた捲簾が、いつも『やれやれ』といって肩の落とし、ため息を吐く。
そして、現在天蓬が使っている机に向かって、報告書を処理してきたのだ。

捲簾が西方軍に配属される前、天蓬は報告書の未提出常習犯だった。
討伐報告書の提出期限を破るなど、本来あってはならない事である。
しかも一度や二度までも破る様ならそれなりの処罰が下されるはず。
しかし、天蓬のいざ前線に立つ時に現れる冷静沈着さ、機密な洞察力と、高い戦闘能力を敖潤は深く評価している。
その為、前線から離れたこのズボラな性格に頭を悩ましながらも、いつも大めにみて注意を促すだけのお咎めで済まされてきた。
しかし、それはもう捲簾が西方軍に配属され、前線の時だけ天蓬が副官になってそれなりの時が流れてた今だから思う。
少し前の過去の日常が、酷く懐かしく感じるのだ。

(最近は、完全に捲簾に甘えてましたからねぇ)

思えば面倒見の良く、意外にも綺麗好きな捲簾が現れてからというもの。
この部屋の書物が、綺麗さっぱりに本棚に書物が納められている事が、俄然に増えた。
本の虫と化せば、数日は風呂に入るのを忘れてしまうのに、口うるさく『風呂に入れ!』と言われるせいだろうか。
最近、フケが肩に落ちる機会が減った気がする。

(−−アレ? あの人と出逢う前、どうしてたっけ?)

捲簾に出逢う前の過去の日常を思い返してみると、上手く思い出せないでいる。
それなりに上手くやっていけてたハズだ。……多分、恐らく。
その証拠に、今己がここにいるのだから。
だが、やはり少し前の日常がはっきりと思い出せない。
普段脳に取り入れた書物等の知識等は明確に思い出せるのに。
記憶喪失までいかないがそれ以外の、捲簾に会う前、この部屋で過ごしてきた日常だけが、ぼんやりと朧げな記憶となって脳に描かれ、明確に思い出せないのだ。

(−−、ま、今はとりあえず早くコレを処理する事が先決ですよね、どう考えたって……)

ふと、いつの間にか自分の世界に入ってしまった天蓬は、すぐに我に返える。
直ぐさま、止まっていた手を急速に動かし始めた。
もうすぐ処理し終わる報告書に、天蓬は再び一心不乱に睨みつけた。










長時間同じ体制の事務作業が身に堪えたのか、身にしかかる疲労感を感じさせる。
足先も少しむくんだ感じがするとぼんやりと頭を過ぎらせながら、天蓬はたどり着いたドアを開け、直ぐさまソファーに腰を下ろした。

「おつかれさん」
「ありがとうございます」

すると、直ぐにもう聞き慣れた低い声と共に、手渡された熱い湯気が立つコーヒー。
そして部屋を出た時は吸い殻で溢れるかえっていたカエルの灰皿は、綺麗に片付けられ、愛らしいカエルが大きく口を開けて、天蓬の目前に置かれた。

「灰皿、綺麗にしてくれたんですね」
「ついでに机もな」
「いやぁ、いつも助かります」

話しながら捲簾は無遠慮に天蓬の隣に座り込んでは、足を込み始めた。
既に喫煙している捲簾は、早速綺麗になったカエルの口に灰を落としている。

「あのね、お前ホントに俺がいなかった時はどうしてたワケ?」
「さぁ、どうだったんでしょうねぇ?」
「俺に聞くな。しかも、めっちゃ人事だなオイ、てめぇの事だろうが」

口を動かすと同時に天蓬は無意識に白衣の中ポケットから愛好している煙草に手を伸ばす。
それを一本取りだし唇に含めば、頼みもしていないのに捲簾は己の灯の着いた煙草の先を差し出す。
せっかく寄越してくれた火だ。
こちらからわざわざ火を点す手間が省けるのだから、天蓬は抵抗なく捲簾の差し出された灯に、アークを密着させ、次第に紫煙が昇った。
綺麗に片付けられた灰皿やついでに散らかした机といい、疲れた時に手渡されたコーヒーや煙草の火もそうだ。
最早生活になくてはならない煙草の味を反芻しながら、『相変わらず、顔に似合わず気が利いている』と、いつも感心させられる。
おそらく、ソレを捲簾に言えば『お前な、素直に褒めろよ』と口にするだろうと予想出来る。

「てかさ、お前その髪型で上官に会ったのか?」
「ネクタイはしめてますよ?」
「だから、そういう問題かよ」

捲簾のその言葉にそういえばと思い出す。
天蓬は捲簾に指摘された髪型のまま、西方軍のトップを担うあの生真面目を代表とした敖潤と顔を合わせ、書類を提出してきたのだ。
確かその時の敖潤の表情ときたら、普段生真面目を表した無表情な顔付きが、なんとも言えない複雑なモノになっていたような気がする。
それは、とても言葉では言い表せない表情。
天蓬はこの上司とは仕事面としてそれなりに付き合いが長いが、こんな表情もするのかと、呑気にも実験体を見るような目で見ていた。
しかし、敖潤は直ぐに何事も無かったように、報告書に目を通す。
特に不備はないと確認し終わると、労いの言葉を一言だけ口にし、取り上げられた本を天蓬に返した後に、退出を促した。

ふと軽く、その事が脳裏によぎったが、天蓬にすれば、『まぁ、上官本人が問題ないなら問題ないのだろう、というか考えるのがかなり面倒くさい』というぐらいの概念しかなかった。

「そんなに邪魔なら切れば?」

そう言って、捲簾はその問題ある髪に指を差した。
人を指刺すのは感心しないがその一言に、あっ、と天蓬は己の手を鳴らす。
その手があったかとまるで名案であるかのように、天蓬は早速直ぐに、机内の引き出しにあるハサミを取り出す。
ヘアバンドと髪ゴミを解いてから、肩まで伸びた黒髪を潔くハサミにかけようとした時に、提案してきた捲簾に何故か慌てて止めに入られた。

「だーーっ!? そんなに切ってどうすんだよ!?」
「自分が切ればって提案したクセに、今更何言ってるんですか?」
「切るにも限度があんだろうが! 今のお前見てると、坊主になるまで切り続けそうだぞ!」

−−坊主か。
そうか、スキンヘッドなら風呂に入らなくても、フケは出ない、髪も一々洗わなくていい。
かなり名案かもしれないと天蓬はそのまま思った事を口にすると、益々捲簾は怒鳴り散らかし、仕舞いにはハサミを没収された。

『−−−貴方が言ったのに、なんで僕が怒られなきゃならないんです?』
そんな無言の言葉を向けていると、無言の威圧感を肌で感じたのか、捲簾はわざとらしく深いため息を吐いた。
そして、人差し指をビシっと椅子に向ける。

「俺が切ってやるから、座れ」
「だから、髪ぐらい自分で切りますって」
「いいから、黙ってさっさと切らせろっ!」

−−始まったか、お節介モードが。
一旦スイッチが入った状態の捲簾に、拒否し続けると後々面倒だ。
辟易し、不本意ながらも、黙って言われた通りに指定された椅子に腰を下ろす。
すると、捲簾がいつも部屋の片付けに重宝している透明なゴミ袋に穴を空け、それを髪避けに被せてきた。
そして背後に立った捲簾から眼鏡を外され、そこからハサミを持った動きは、的確に迅速だった。
あの長く鬱陶しい前髪と後ろに流れる髪も切り落とし、次々ゴミ袋に流れ落ちていく。
床に髪の残骸が落ちていく様を淡々と見ていると、終わりを告げられてその場で眼鏡と手鏡を手渡される。

「……あんまり変わってないじゃないですか」
「前髪は目に掛からないギリギリに切って、後は全体的に痛んでた毛先を切っただけだからな」
「あ、やっぱり痛んでました?」
「ロクに風呂に入らない奴が、髪にリンスなんかしてるワケねぇだろうから、そりゃあ痛むだろな、枝毛もあったし」
「なるほど、でもまぁ、髪が痛んでて枝毛があっても、別に死ぬ訳じゃありま」
「そういう問題じゃねぇって! たのむから毎日風呂に入れって、そんでもって、ちゃんと髪洗ってリンスーしろっ!」

ゴミ袋を剥がされ、床に落ちた髪の残骸を処理しながら、至近距離で捲簾は切実な願いを込めて怒鳴り散らしてきた。
至近距離で怒鳴られた影響で少し耳鳴りを感じながら、再び鏡に写した己の髪に少々不満げに口を開く。

「……お風呂の話はさておき、別にバッサリ切って貰っても良かったのに」
「これでいいんだよ、お前にはこれぐらいの長さがちょうどいいの」
「別に髪なんて切っても、また伸びるじゃないですか」
「いいんだよ、コレで」

いつの間にか向かい合わせに立った捲簾は、髪を一房指に絡めて軽い手遊びをしている。
そしてスッと接近し、一房する髪にわざとらしく音を立てて唇を落とした。

「こっちの方がお前らしくて似合ってる。だから今度、邪魔になったらまた切ってやるから、勝手に一人で切るなよ?」

−−分かったか?
それは、酷く低く甘い声だった。
正面に立つ捲簾の双眸には、至近距離の為に天蓬自身が映し出されている。
声もだが、双眸も酷く優しげに写るが、しかし何処か狙いを定めた野生的な眼光も感じさせる。
経験の違いからして仕方がないが、こんな風に今まで女人を口説いて来たのかと思うと、思わず思った事が口に出ていく。

「成る程、今までこうして幾たに渡る女人を手玉にしてきたんですね。納得しました」
「ちげぇよ、なんで今そんな話になんの?」
「貴方がこんな狙った事をするからです」
「あ、もしかして妬いてんの?」
「それこそ、なんでそんな話の展開になるんですか? それに、何で自分の髪を切るのに一々貴方の許可を取らなくちゃいけないんです? めんどくさい」

せめて口だけは普段通りに開き、前方を塞ぐ捲簾を強引に押し退け椅子から腰を上げ。
そして、捲簾から背を向ける。

「まぁ貴方がそこまで僕の髪を気に入って下さっているのなら、僕が勝手に切る前に、ご自分で僕の髪を切って下さいね」
「それってお前が髪が邪魔になってウンザリする様子を、一々俺が観察して気付いて髪切れってコト?」
「まあ、そんな所です。さて、僕は今まで強制労働をさせられた分の時間を本で取り戻したいので」

顔を見せずにそう言い捨てて直ぐに、取り戻せた本に手に触れようとするが。
その直前に手を掴まれてしまう。

「本にトリップする前に、風呂に入ったのいつだ?」
「……………………………………………………三日、前?」
「なんでそんなに考え混んでしかも疑問形だよ……、てめぇの事だろうが!」
「別に、いいじゃないですか」
「よくねぇよ! 本とか髪とか云々いうより、まず普通はそっちだろうが!」
「えー……」
「分かった。強制的に俺と一緒に風呂に入るか、素直に自分で入ってくるか選ばせてやる」
「僕一人で入ってきます」
「遠慮することねぇぞ、何なら俺様が直々に天蓬元帥閣下のお背中を流してやっても」
「結構です」

捲簾の言い回しが何だか良からぬ方向へ事が運びそうだったので、天蓬は己の身がどうかなる前に、強くハッキリと拒否の言葉を言い残して、珍しく自ら浴室へ向かった。
ドアを閉め、背後から捲簾が来る気配が無いことを確認し、己の服に手をかけた時。
目に入ったのは、綺麗に畳まれた白衣等の着替え一式だった。
間違いなく捲簾が、報告書を処理し終えて風呂に入らせてようと、わざわざ用意していたのだろう。

(本当、つくづくあの人に甘えてますねぇ)

それを目にした時、不意にその場に誰もいない事をいい事に、天蓬は極上の笑みを零したのはいうまでもない。





貴方がいなかった日々が思い出せない。
(まぁ思い出す必要なんか、ありませんけどね)







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ダブル天ちゃん記念日!
今だに『天上の蟻』を読み返して一人勝手に妄想しているであります。
うん、てか、ダブルとは関係なry←


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