「今からちょっと、付き合ってくれませんか?」

窓から夜桜の花びらが散り降っている捲簾の自室に、突然前触れも無く、現れたのは天蓬だった。
そして、微笑みながら言った。
視線をずらして見れば、上等な酒に満たされた瓶に二つの盃。
これだけを目にして直ぐに、男の言わんとしている意味を理解した捲簾は、ニヤリと返事した。


天界の桜は決して散ることがない。
年中ずっと満開の花が咲き、薄桃色の花びらをまるで雪のように降り続ける。
そして、桜の木の下で腰を下ろし、注がれた酒を口に含めて味を楽しみながら、捲簾は話を切り出した。

「で、どういう風の吹き回しだ?」
「いやですねぇ、僕は下界でたまたま上等な酒を見つけて、たまたま今夜は気分がよくて、たまたまこういう夜桜で花見をしながら貴方と酒が飲みたくなっただけですが?」

明かにわざと『たまたま』という言葉を乱用し、胡散臭げな言い回しに自然と捲簾の眉が寄った。
しかし今は、手酌で容れようとしている天蓬を見兼ねて、その事を深く追求するのは後回しにすることにした。

「俺がいんのに、手酌なんて寂しいマネすんなっつうの」

上等な色合いな盃を捲簾が入れた酒で満たし、天蓬は笑みを浮かべながら飲み干す。

「確かにそうですね。じゃあ、今度は僕がお酌してあげます」

今度は酒瓶を手に取った天蓬は、前に出された捲簾の盃に酒を注ぎだす。
酒に満たされた盃を捲簾は、顔を後ろに傾けて一気に勢い良く飲み干した。

「やっぱ美人に入れて貰うお酌は違うねぇ」
「誰が美人ですって?」
「お前しかいないだろう? しかもとびっきりの」
「……次からは、貴方一人で勝手に手酌して下さい」
「まあまあ、そう怒るなって」
「じゃあ、怒らすような事を言わないで頂けます?」

ジロリと睨む天蓬に『本当の事なんだから仕方ねぇじゃん』と、捲簾は言いそうになるのを辛うじて止める。
これ以上余計な事を言えば、後々天蓬からの報復が厄介だからだ。

−−そう、本当に綺麗な奴だ。
この顔が天界中に知れ渡っているのも、頷けるほどに。
普段のズボラを表した無頓着な身なりや、片目にかかった前髪と分厚い眼鏡と、オマケに変わった性格のせいで変人と噂されているが。
それと同時に、変人と囁かれている噂と反した美しく整った顔は、美を謳われる神や仙女にも匹敵するほどである。
しかし、綺麗なのは顔だけでないのが、この男の面白い所だ。
線が細く何処か儚い外見とは反して、内面に宿る凛とした美しさと清々しさ。
部下を駒と見ずに奴なりに部下を愛し、どんな理不尽な苦行を味わされても、歯を向け決して屈服しない強さがある。

しかも、ズボラで不精なこの男は、自身の容姿に対して端麗である事は自覚している。
理解した上で、端麗な容姿を利用し、人心を虜にし、自分にとって得になる方向へ事を運ぼうとするしたたかさもある。
が、理解しているクセに、妙な所はまるで理解していないのが悩み所だ。
例えば策に成す為に、自らが近づいて相手を骨抜きにするが、他者からの秘めたる好意や不埒な思いを持つ者に対してはまるで鈍感だ。
それが実は悩みの種であるが、これはこれで可愛いと思うのは本人には秘密にしておく。

「−−なんです?」

先程から黙って見てくる捲簾に向かって、訝しい顔をしている天蓬は言った。

「綺麗だなって、思って」
「……桜が?」
「モチ、桜も綺麗だぜ。でも俺が言ってんのはこっち」

腰かけながら慣れた動きで捲簾は、天蓬の細腰に手を回す。
すると一瞬、整った眉頭がピクリと動いては、絡みつく不埒な手を払い退けた。

「手つきがイヤらしいですね」

眼鏡越しでも伝わる鋭く冷たい眼力で天蓬は捲簾を睨みつける。
何の免疫のない普通の者なら、蛇に睨まれた蛙の如くその場で動けなくなるほど、天蓬の秘められた眼力は強い。
自分に向ける視線が、例えどんな憎悪なものでも、向けられるのであれば無関心より断絶マシなのだから。
しかし、酒によって仄かに頬を上気させた睨みでは、ただの心地好い目線でしかない。
そこの所を、この男は分かっていないのでタチが悪い。

「まぁ、そう苛立つなって」
「さっきから怒らすような事をしてきているのは、貴方の方じゃないですか」

ツンとした言い方の後、盃を邪魔にならない位置に置き、天蓬は白衣のポケットから煙草を取って口に咥え始める。
そして火を点さずに、煙草を咥え、捲簾を見る奇妙な様子のまま動かない。
その様子の意味は『煙草の火、付けて下さい』と、言っている。
つまり、自分でまたわざわざポケットからライターを取る事と、煙草をくわえて話すのが面倒だからこんな奇妙な様子が生まれたのだ。
この様子を例えるなら、車の免許を持ってるし運転出来るくせに、運転は相手に任せて自分は助手席に座りだす、正にアレだ。
ようは天蓬は、何だか言って捲簾に甘えているようだ。
そして、世話好きな性質を持つ捲簾にすれば、甘えるより甘えられたい派である。
しかも捲簾のタイプは『手間のかかる美人』だ。
思考が複雑で色々と放ってはおけない上に、とびっきりの美人、正に『ストライクゾーン』である。
天蓬の様子に苦笑しながら捲簾は、自らのポケットからわざわざライターを取り出して、火を付けてやる他になかった。

「−−で、天蓬元帥閣下がわざわざ足を運んで花見の誘いを下さった理由を、そろそろこの私めに教えて頂けると有り難く存じますが?」

ゆらゆらと昇る紫炎を視界に入れながら、捲簾はわざと畏まって聞いた。
別に深い意味はない。
天蓬自らが捲簾の部屋に足を運ぶ事すら珍しい。
さらに言うなら、いつも捲簾から誘いをかけるので、天蓬からのこうした誘い自体が珍しい。
しかし、捲簾には断る理由は何一つないので、のこのこと付いて来た訳だが。
一体何の意図があって、わざわざ天蓬がここに連れてきたのか。
例え、本人が対して理由がなく、無意識にここへ連れてきたとしても、必ず意識的に『何か』あるはずだ。俺に伝えたい事が。
勿論、そんな伝えたい何かがあるかなんて確証はない。
公私共に天蓬と居る機会が多いが、年月で数えれば下界で言うと僅かな数年間程度しかない。
たったこれっぽっちの時間で、一体どれだけ天蓬の何を分かっている?と聞かれれば、『ほとんど知らない』だ。
まだまだこの男は本当に謎だらけだ。
軍部内では『夫婦関係』と比喩され、夜もある意味『夫婦関係』に当て嵌まる関係になっても。
今だにこの天蓬という男が、分からない所がありすぎる。

「さっきも言ったでしょう? たまたまだって」

視線は捲簾を見ず、桜を見上げて天蓬は口を開く。
捲簾の問いに対して、天蓬はまた同じ答えを返してきた。
天蓬は吸った煙りを吐き出した後、視線は変わらず桜だが、口元が僅かに上がって見せたのが分かった。

「でも、強いて言うなら、昨夜に面白い夢を見たんですよ」
「夢?」
「ええ。僕が生まれ変わった人物だろう夢です」

そこでようやく天蓬は、捲簾に視界を向けだす。
向けられた表情からは、まるで背後にポンっと花が咲いたような脳天気な笑みだった。

「……なんだそりゃ」

捲簾は、思わず出た言葉がこれだった。
天蓬の一言、一文字を聞き逃さぬよう意識を集中していたのに、一気に脱力感が捲簾の身に宿った。
もしかして、俺の考えすぎか?
冷静に考えてみれば、こいつが超マイペース野郎である事を忘れていた。
そんな奴の言動を一々一喜一憂していたら身が持たない。
隣で顔をうなだれている捲簾に対して、先程の急降下な不機嫌をスルーして天蓬は機嫌良く、夢の詳細を話しだした。

「夢では転生し、下界人として下界にいる設定です。しかも、貴方とそっくりな相手と何故か同棲してるんですよ。あれは絶対に貴方の来世ですよ」
「勝手に人様を殺して生まれ変わらすなっつーの」
「いいじゃないですが、仮想の話なんですから」
「仮定、ねぇ……」

お前の中での俺は、一体どんな深層心理を持ってんだよ。捲簾は激しく己の中でツッコミを入れていた。
そんな捲簾の内情などお構い無しに、また天蓬は頼んでもいないのに、饒舌に夢の続きを語り出す。

「で、その僕と貴方って顔はそっくりなんですが、コレが生活習慣が全然似てないんですよ。貴方ってゴミの収集日は知らないし、えげつないラーメンを夕食に出されるし、部屋は汚いし、人間の住む生活じゃない貴方のそれを見て、何故か僕がだらしの無い貴方の身の回りの世話をしてるんですよ」
「今と全くの真逆だな」
「あの惨状と比べたら、僕のはまだ人が住める環境です」
「……多分、お前の方が絶ッ対酷いと思うぞ」

思考をあの部屋に移すと、決して狭くない一室を埋れるほどの書物や下界から持ち帰った変なもの(本人曰く造形美らしい)をごっちゃにして散らかしては、ドアを開ける度に雪崩に巻き込まれる部屋は早々拝めたものじゃない。
そんな部屋環境がまだマシだと言えるこの男の感覚は、綺麗好きな捲簾にはやはり理解しがたかったりする。

「と、いう感じで何だか楽しそうな夢だったので、是非貴方に聞いて貰おうかと思ったワケですよ」
「あっそーデスカ」

かなり投げやりな返事を捲簾は返した。
やっぱりただの考えすぎじゃねーか、と思った矢先。天蓬は更に続ける。

「まぁでも、その二人、なんだか楽しそうでしたよ」
「楽しそう?」
「下界の春に咲く桜を一緒に見て、この天界ではありえない猛暑の夏と紅葉彩る秋。雪降る凍えてしまいそうな冬を合わせた四季の流れを感じ、色んな季節の空の下で、彼らは笑ってましたから」

夢を思い出しているのか、天蓬は穏やかに、そして何処か遠くを見て微笑んで見せた。
天蓬の言う通り、下界には変化のある四季があり、この常春の天界で季節の巡りは当然ない。
よって季節ごとに変わる変化も起きず、ずっと変わらない空の色、咲く草花、情景や、空気の味も全て不変。
現在花びらを散らせ、永久に等しく満開に咲き続ける桜も、ずっと不変のままだ。
総てが、不変に構成されたこの天界にとって、下界はより新鮮で、全てが色鮮やかに写るのだ。
鮮やかに変化する四季の巡りや、気まぐれ美人のような空の色に、散る最後の時まで美しく見せる美人な桜。
この不変に等しい世界などでは、決して味わえない素晴らしさを、下界にはたくさんある。
そんな世界の空の下で、もし、天蓬と共にあるのなら−−。

「今度、二人で休暇取るぞ」
「は? 何のために?」
「下界に降りる為に決まってんだろ」
「……まさか、下界遊覧の旅に出ようなんて言い出すんじゃないでしょうね」
「まさか。下界に二人で降りて、どっか温泉が湧いてる旅館に泊まって、そんでもって腰が抜けるぐらいにヤる」
「……うわぁ、それって僕が酷い目に合う事前提じゃないですか」
「下界でしか味わえない季節を感じながら、ヤるのもまた一興だろ?」
「ヤるなら何処だって同じですよ、そんなの」
「まあまあいいじゃねえか、じゃあ次の休暇の申請出しとくわ、俺達二人同時に同じ日に」

捲簾の中でソレはもう決定事項になるが、まだ天蓬は不満そうにブチブチと文句を言っている。
しかし、いくら天蓬が不満でも、捲簾は取り消しする気はない。
やると決めたからにはやる。
そして文句を言いながらも、それほど嫌がっていない天蓬の微々たる表情に、嬉しさを隠す為に一気に酒に満たされた杯を飲み干した。



「今日は付き合ってくれて、ありがとうございました捲簾」
「何、急に改まって」
「僕だって親しき仲にも礼儀ありを、心得ていますよ」

それは普段、天蓬自身がいかに自らが傍若無人であると、自覚して言っているだろうか。
そんな事を頭の端で考えていた捲簾の無言を、読み取ったのか天蓬は『貴方って、本当に失礼ですね』と言ってきた。
最近、何だかよく人様の脳裏を読まれるようになったが、あくまでそれが出来るのは天蓬だけである事を忘れないで欲しい。
ようは、こいつがおかしいのだ。
勿論、この思考も何故か読み取られて、捲簾は片頬を思いっきり抓られてしまう。
痛む片頬を撫でながら、こんなやり取りが日常茶飯事になるなんて、あの初めての出会いから予想だにしなかったと、捲簾は過去と今を比較した。

「じゃあ、閉会と致しますか」

そう言って、この場から立ち去るべく天蓬に続いて捲簾も、足に地面を付け立ち上がる。
そして捲簾は、天蓬を呼び止めた。

「天蓬」
「はい?」
「また花見しようや、二人で」

先に前にいた天蓬は、立ち止まって身体ごと捲簾に向けだす。
一瞬見開いた瞳は直ぐに穏やかに細め、捲簾の名を静かに口にした後には、何も話さない天蓬に、捲簾は再び口を開ける。

「美人な桜の下で、またとびっきりの美人と酒を飲み明かす。まさに両手に花って奴だな」
「なんだかまた余計な一言が聞こえましたが」
「気のせい、気のせい」

またそんなやり取りをしながら捲簾は、ふと天蓬の夢の話を思い出す。
魂が転生し、下界人として生きる俺達。
夢を見た本人ではないので何とも言えないが、転生したからと言って、それはもう俺では無い。
勿論、転生して例え魂が同じで外見が酷似していても、もうそれは俺達で無いのだ。
もうすでに、それは『そいつら』の体と魂なのだ。

夢は見た本人の深層心理とよく言うが、一体どういう意味があってそんな夢を見たかは、当然分かりかねる。
しかし、決して意味がない夢では無いと思う、直感的に。

「じゃあ、今度は貴方から花見を誘って下さいね」

花びらが散り続ける儚ない背景に、美しい背景に劣らない美しい微笑みを、天蓬は向けた。

儚さを持つこの男を、守りたいなんて思った事は一度もない。
この男は、高い位の軍位持っているだけあって強いからだ。
この細い身体では想像出来ない程の戦闘力の高さと、気高く誇り高く、何があっても己を貫く強さを持つこの男は、オレに守られるほど断じて弱くない。
守られるなど、軍人として、まず男として屈辱的な事を、この男が好むわけがない。
だから、せめてこいつと同じ位置に立ち、同じ目線で物事を見て、気持ちを共有していきたい。
歩む道を共に行きたい、例えその道の先が肉体の消滅であっても……。






桜花繚乱
(今度は上等な酒を用意しておいてやるよ)






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以上っ。
勝手に『OVA特別編発売記念日』を祝っちゃおう的な話でしたー!←


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