遥か西方、天竺国に向かう旅は極めて前途多難の道のりだ。
道行く先々で、妖怪の襲撃は日常茶飯事。
立ち寄った村や町で厄介事に巻き込まれ、なかなか先に進めない事もよくある。
所持している地図が古すぎて、記載されている村や町が見つからなかったり、何らかの要因で無くなってしまっている事もしばしば。
そんな時、満天の夜空の下で四人仲良く野宿は当たり前。
時に不運にも、なかなか村や町に辿り付けず、水と食料が不足し、生きるか死ぬかの瀬戸際な時もあった。

それに比べて今は−−。
日が高々に昇っている時間に町に辿りつき、宿も部屋がとれ、妖怪の気配は全くの皆無。
本当に、久方ぶりに安息感を感じさせる平穏な日、だったが……。



部屋には己のベッドの上ですっかりゴロゴロと骨休めをしている悟浄と、その隣のベッドで空いた時間を有効活用すべく、文庫本に目を向ける八戒の姿があった。

「なぁ、耳痒いんだけど、耳かきねえか?」
「あぁ、それならココにありますよ」

耳を痒そうにしている悟浄を見て、読んでいた頁に栞を挟み、文庫本をその場に置いた八戒。
そして荷物の中を軽く漁り、直ぐに発見した耳かきを悟浄に手渡した。
渡された極細の木棒を数秒間、指でクルクルと手遊びをしている悟浄は何かを閃いたのか、八戒に向けて歯を零す。

「なぁ八戒、俺にサービスする気ない?」

ベッドの上に座った悟浄は、自分の位置からすぐ隣に来るようその場を軽く数回叩き、八戒を誘導させようとしている。
その誘導の真意に直ぐに理解した八戒は、優しい眼差しを向けて悟浄の隣に座り込んだ。

「ええ、いいですよ。悟浄の両手が今すぐにもぎ取れて、不自由になりましたら」
「怖っ、え、もしかして、かなり嫌だったりする?」
「冗談ですよ、冗談。ほら、横になって下さい」

本人は明るく言った口ぶりだが、とても冗談には聞こえない気が……。
しかし悟浄はこれ以上深く追求しずに、煙立つ煙草をその場にあった灰皿に押し付けた。
そして細い指がさす、膝の上に頭を落としてそのまま耳を向けた。
悟浄本人は口には出してないが、八戒の膝の上が居心地良く、かなりご満喫そうな顔をしている。

「毎回やってて思うんですけど、男の膝なんて固くて寝心地悪くありませんか?」
「ン〜、オメェの膝だからヘーキ」
「はいはい、そんな事言っても、何にもあげませんよ」
「あるじゃん。身体が」
「無償でボランティアしているのに、さらに無償で身体を差し出せだなんて、酷い人ですね。余りの酷さについうっかり手が滑って、耳かきが奥に入って鼓膜を傷つけそうです」
「……やけに説明的な脅迫だな、オイ」
「脅迫だなんて人聞きの悪い。あ、下手に動かないでくださいね。今動くと本当に鼓膜に傷が付きますよ」

笑顔でさりげない脅迫の言葉(八戒本人は否認)に、片方の耳の掃除が終わるまで、非常におとなしく悟浄は八戒に委ねる事にした。
そして、着々を耳かきを動かして耳掃除を進める中、今度はもう片方の耳を、と言って反対側に向くようにと八戒は促す。
しかし、悟浄は膝の上で仰向けになったまま、訝しそうに見下ろす八戒を見上げているだけだった。

「悟浄?」
「なんかよ、こうして普通の時に上見ると、やっぱ違うな」
「何がです?」
「今のお前の雰囲気が」
「はぁ、そういうもんですかね」
「そういうもんなの、結構貴重よ? 下から八戒を見んの」
「まあ、僕ら普段は身長は同じぐらいで、どちらかを見上げたり見下ろすコトは、あまりありませんからね」
「そういうのじゃなくてよ、もっと、こう……、なぁ?」

膝の上でニヤニヤと笑う笑みは、誰がどう見ても、何か『いかがわしいコト』を考えている表情だ。
どんな事柄も色欲に結び付ける即物的な悟浄に、八戒は思わず呆れてため息を吐く。

「……今、変なコト考えてません?」
「え〜? 変なコトって何よ? 無知な俺には分からないんで、博識な八戒センセェー、教えてくださ〜い」
「いい加減、その手には乗りませんよ悟浄。ほら、次は反対を向いて下さい」
「へーい」

悟浄の戯れ事にはとうに慣れきった八戒は、あっさりと華麗に流し、少々強引に悟浄の身体の向きを変えさせる。
生返事しながら、悟浄も八戒に合わせるよう次は細身に顔を向けて、片方の耳を八戒に向けた。
そんな時、調子に乗った悟浄はふと下心が芽生え始め、手をゆっくりと、八戒の尾骨へ触れようとした時。

「悟浄、今変な所触ったら、本気で鼓膜破りますからね?」
「……へーい」

あと少しで接触出来そうな距離だったが、まるで背中に目がついているかのようなタイミングで、八戒は己に降り懸かるセクハラの阻止に成功する。
一方セクハラに失敗した悟浄の代償は、耳の中に入った耳かきが、今にも奥を貫かれそうな更なる恐怖を植え付けられた事だった。
穏やかで丁寧な言葉なのに、悍ましい何かを感じ取った悟浄は、再び生返事をしてささっと不埒な手を引っ込めた。
それから悟浄は本当に一度もピクリとも身体を動かさずいる。
先程の忠告で珍しく順応的になっている悟浄に、八戒は思わず仏心が芽生えた。

「今いい子に我慢したら、後でご褒美が待ってますよ」
「あのな、俺はガキかっつーの」
「違うんですか?」
「違げぇわ!」
「じゃあ、ご褒美、いらないんですね?」
「……ご褒美って、俺が期待して良いヤツ?」
「それは後のお楽しみというヤツです」
「期待外れだったら、俺、何するか分かんねぇかもよ?」
「僕が貴方に期待外れな約束を、交わした事がありましたっけ?」
「んじゃ、お言葉に甘えて期待しとこ」

膝の上ですっかり機嫌を良くした悟浄は、声色の変化は非常に分かりやすい。
穏やかに流れるその会話は、本人達は気付いていない、完全なる悟浄と八戒だけの世界を作り上げていた。
先程の気まずい空気が一変し、またあっという間に甘ったるい空気が室内に蔓延されている。
そもそも膝枕をされながら耳掃除自体が、別空間を生み出す元凶の始まりだ。
しかも二人の会話の流れを聞くと、今の二人の行動図は今回が初めてではない様子。
このまま二人を放っておくと、アンコに蜂蜜を降りかけた激甘な空気を無差別に、そして永久かつ広大に広げかねない。
この空気に免疫がない者が吸ってしまうと、余りのイチャつきオーラ(無自覚なのでなお、タチが悪い)に間違いなく口から砂糖が流れ出て、胃に穴が空いてしまう事だろう。

しかし、まだ幸いな事がある。
それは、まずこれだけあの二人がオープンにくっついているのも、部屋の中だからだ。
過度なスキンシップを好む悟浄はともかく、八戒はやはり人目を気にしているので、公衆の面前でのイチャつきは絶対にありえない。
そう、誰も見えない二人だけでの話なら、イチャつこうがそれ以上の事をしようが、誰も文句も言わない。
好きにやればいいだけの話だ。
しかし、そうも言ってられない。
何故なら本日の泊まる部屋は、残念な事に−−四人部屋だからだ。

「テメェら、イチャつくなら俺が聞こえない遥か遠い彼方でやれ」

一般人が聞けば裸足で逃げ出す程のドスの効いた声と、ジャキッと銃を構える物騒な音が部屋に響く。
己のベッドの上で胡座をかき、今の今まで二人のやり取りを新聞の一面に集中して聞き流していた三蔵だが、とうとう許容範囲が非常に狭い堪忍袋が破れ、見事にぶち切れてしまったのだ。
一応部屋には四つのベッドが用意されているが、男四人が密集すると、当然部屋は狭い。
ただでさえ狭い事に、眉間のシワを寄せていたのに。
その上、はた迷惑な二人の激甘な空気を吸わされて、最高級に機嫌が悪い。
本当なら予告無しの魔戒天浄を、今すぐぶちかましてやりたい(主に悟浄に)気持ちでいっぱいの三蔵だった。

「いやーん。最高僧様ったら、俺達のやりとりが羨ましいからって怖い顔しちゃっ、ぉわっ!?」

そんな危険な状態の三蔵に、悟浄は呑気にも油に火を付ける軽口を叩いてしまい、とうとう弾丸を食らわされてしまう。
身動きがとりずらい体制でも、日頃撃たれ慣れている悟浄は、ギリギリ銃弾をかわせる悲しい癖を身についた為、幸い身体に損傷はなかった。
しかし、その名残が純白のシーツに、生々しく深く刻まれてしまっているが。
そんな中、今だに耳の中に耳かきがあるため、八戒は焦って悟浄の頭だけをそのまま押さえつけていた。

「悟浄、動かないで下さいって」
「だって、あの生臭坊主が……! てめぇ、もう少しで耳に傷が付くトコだったじゃねぇかっ!」
「テメェの耳が損失しても、その触覚で平衡感覚が取れるから安心しろ」
「ンだとぉ、この鬼畜坊主がァ!」
「だから、動かないで下さいっ。三蔵も、室内での発砲は止めて下さいって何回言ったら分かるんです? 室内の備品に弾痕の付いてるの見付かったら、謝るのは僕なんですよ?」
「……俺への心配はねぇのかよ」

『ベッド>悟浄』という己の身の心配よりも、ベッドの損傷と弁償の心配を取る八戒。
シビアな八戒の言葉に悟浄の繊細な心(自称)は、見事に打ち砕かれ、内心かなりヘコむ悟浄だった。

「ざまぁねぇな、河童」
「て、めぇ……っ!」

そんな悟浄を煽り立て、今度は三蔵が悟浄の火に油をぶちまけ、必然的に火が一気に燃え広がる怒りに満ち溢れてしまう。
完全に売り言葉に買い言葉な状態。
頭に血が上った悟浄は八戒の押さえる手を振り払って、悟浄は三蔵に食いかかろうとするが……。

「−−悟浄」
「ンだよ、はっかっ……ぃ!?」

業火に燃え上がる怒りの悟浄とは反対に、冷水の如く冷えた氷の一声は、室内を酷く冷えさせるほどの威力だった。

「僕、動かないで下さいって、何回言いましたっけ?」
「……二、回?」
「いいえ、この会話の一つ前も足したら四回も言いました。そう、四回も」
「……」

最後の所を特に強調した言い方に、悟浄は可哀相に強制的に凍結されてしまう。
そんな八戒が悟浄を止めている中、描写はしなかったが、今の今まで食欲を満たす為に菓子を食べていた悟空も、流石に三蔵の前に立ち塞がって宥め始める。

「三蔵もあんまイライラすんなよ」
「だったらお前は、この狭めぇ部屋の中、目に見える所でイチャつかれて平気だっていうのか?!」

こんな部屋の空気の中にいるくらいなら、妖怪の襲撃に遭遇しやすい野宿の方が余程マシだ。
それかまだ凍結している悟浄を射殺し、野外放置して再び平穏を取り戻すかの選択しか方法はない。
すっかりタチの悪い空気を吸ってかなり気が立っている三蔵は、今にも場を弁えずに魔戒天浄を発動させそうだった。
しかし、そんな三蔵に慣れている悟空は平然として言葉を続ける。

「別に? いつもの事だし」

無関心で見ていなさそうで、悟空は実はしっかりと二人の動向を見ているようだ。
しかも、あの甘過ぎる空気を『いつもの事』だと、流せる悟空は、実はかなり大物かもしれない。

「それに、なーんかこんな同じような感じの状況、俺見た事あるんだよなぁ、……こういうのなんて言うんだっけ?」
「もしかしてソレって、デ・ジャ・ブュって奴ですか?」
「あっ、それだ、それっ!」

喉まで引っ掛かった内容を、八戒の助言で要約思い出せた悟空は、とても晴々な表情をしている。
そして、要約凍結が解かれて自由の身になった悟浄は、小さな肩に腕を回してからかい始めて来た。

「何がデ・ジャ・ブュだ。脳みそ胃袋で出来てるお猿ちゃんのクセに、そんな感覚が分かんのかよ?」
「猿って言うなこのエロ河童っ! 八戒の膝に乗って鼻の下伸ばしてたクセに!」
「はっ、上等じゃねぇか。男ってのはなぁ、スケベに出来てるモンなんだよ、このアホ猿がっ!」
「開き直んな、このバカ河童っ!」

三蔵の次は、今度は悟空との争いが悟浄の間で始まってしまい、また賑やかな騒音が狭い室内に響き出す。
恐らく、この部屋の隣部屋に宿泊している旅人は、騒ぎ出す騒音妨害にさぞ迷惑しているだろう。

「うるせぇ!! そんなに猿と河童で仲良くあの世に行きてぇのかァ!?」

その怒声が一番騒音妨害になっている事に、三蔵本人は気付きもしないだろう。
見れば、悟浄と悟空の睨み合う僅かな間に銃騨は滑り込み、今度は年期の入った壁に弾が減り込んでいた。
その新しく出来たばかりの弾痕を、八戒は大きく嘆息を吐き出す。

「あーあ、また壁に弾がめりこんで……。三蔵、たまには貴方から宿主さんに謝って下さいよ」
「何他人コト言ってやがる、テメェもだ八戒。よくも俺の前で、河童と一緒に空気汚染してくれやがったな?」

怒りの限度を超えた三蔵は、とうとう八戒にまでその矛先を向けだす。
普段からあまり八戒と対立する事がなかったが、今回だけはどうしても腹の虫が収まらない様子だった。
しかし、そんな鋭い眼光を放つ三蔵に睨まれても、八戒は表情を崩さずに笑みを絶やさない。

「貴方からはそう見えたかもしれませんけど、僕はただ、悟浄の耳掃除をしただけですよ?」
「何が耳掃除だ、てめぇがそうやって河童を甘やかすから、奴はツケ上がって調子に乗らすんじゃねぇか」
「別に甘やかすとかじゃなく、悟浄がツケ上がるのはいつもの事ですから。それに……」

三蔵の言葉にまた血の気を上がらせる悟浄に、八戒は静かに悟浄の前に立ち塞がり、悟浄の動きを制止させる。
そして、フっと軽く整った顔を俯けた八戒は、直ぐに極上の笑みを三蔵に向けてこう言った。

「この際はっきり開き直らせて貰いますけど、イチャついて何が悪いんです?」

−−この時、三蔵は開き直った人間の言葉が何よりも恐ろしく、非常にタチが悪いと思い知った。
しかも無自覚かと思いきや、かなりの確信犯。
そんな有無も言わせないその言葉に、今度は三蔵が凍結されてしまう。
固まっている三蔵を心配する悟空を余所に、八戒の大胆な一言にかなり気を良くしている悟浄。
そんなマヌケた脳天に、今すぐに風穴を切実に開けたくなった。






なんて迷惑な奴らだ!
(イチャつくならよそでやりやがれ!)






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以上、最高僧様の誕生日記念でした!
因みに、悟空の言ってた意味は、500年前の例のあの人達のコトです(笑)


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