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 生きて、生きて、生きて。もう正確な年齢はわからない。

 不可思議の分岐を下った昔、神は永遠を生きる旧ヴェーネン(旧人類)を造った。少なくとも彼はそう習ったが、果たしてそれが本当なのか確かめる術はどこにもない。自論としては、法則の交差の果てに起こったただの現象の一つだと思っている。
 世界が終り、その世界が旧世界と名を変えて新世界が到来しても、旧ヴェーネンは変わらずに永遠だった。新世界から現れたヴェーネン(人類)は――皮肉にも全て旧ヴェーネンの腹から生まれたが、永遠の命は持ち合わせていなかった。
 我々は旧世界の生きた最後の遺物である。我々は世界を支配しヴェーネンを庇護という名で支配し、とこしえの命で世界の変革をせき止めている。

 部屋を照らしていたロウソクの火が消えたので辺りは暗闇になった。しかし時はまだ昼である。明かりを求めるのならば後ろにある窓を開ければいい。だが彼は窓を開けることをせず、代わりに暗闇の中で見えない己の両手を眺めた。闇の中で広げられている両手が、ひいては自分自身が世界から消えてしまうかのような、そんな恐怖が緩やかに彼を蝕んでいく。だが妙に心地よい。 このまま静かに消えてしまいたい。
 だがすぐに己の弱さを闇の中で嘲笑い、立ち上がると、すぐ後ろにある硬く閉ざされた木板の窓の取っ手に手をかけた。

 輝ける外の光が暗闇のリンドーラ王国の偉大王メルヴィトゼンを照らす。長く柔らかいウェーブの白い髪。威厳高い薄灰色の瞳は厳しさと同時に達観を宿し、時に温情を含んでいた。老いない皮膚は乳白色で女のようにきめ細かいが、顔の造形はきわめて男性的な美しさである。旧ヴェーネンらしい二メートル近い長身に対して少々細い体つきではあったが、全くか弱さを感じさせない。
 
 メルヴィトゼンと共に照らされた白亜の部屋には所狭しと歴史的に価値ある品が乱雑に並べられており、どれもこれも数百年前の、最も古いものは数千年前の物で、絵画、像、壷、貴金属、さらには破れた紙や壊れた靴、幼児用の帽子に折れた歯ブラシなどあまり意味のないものもあったが、メルヴィトゼンはそれらの古物に愛着を持っていた。それらは全て、買ったものではなく長く生きてきた彼の思い出の品であるからなのだが、苦楽を共にしてきた言わば戦友のような、そんな物質を超えた奇妙な執着を抱いているのも確かだった。
 特に――
 メルヴィトゼンはひび割れた石膏像に目をやった。長い髪を複雑に編み、花瓶の壷を抱いて微笑を湛える女性の像は、彼の一番目の妻メルアシンダをモデルにして作られたものである。花瓶にはメルアシンダに手向けるように、彼女が好きだった青いルーノリアの花が活けてある。長い間外に置かれていたため、雨風にさらされてひどく汚れ朽ちかけていたが、それでもメルアシンダの愛らしい面影を感じるには充分だった。メルヴィトゼンを映さない石の瞳でも、その顔を見ると癒された。
 そして壁一面に飾られた人物絵画の数々。見るものが見れば恐怖を感じることだろうが、そこに画かれているのは自分と関係の深かった者達ばかりだった。部屋の中央に立てばちょうど絵画の人物達の視線が集中するようになっている。感情のない視線を浴びて孤独を紛らわす。そんな毎日を彼はずっと生きている。

 されど、窓の外に広がるのは世界で最大の繁栄を興した多種族平等国家リンドーラの首都ヒューダス。抜かりなく整頓された穏やかで美しい街並みと、千年の安泰を誇り、最も幸福だといわれるリンドーラの民の姿。くしくも王と民の幸福の対比は時を追うごとに強くなっていくように思えた。

 だが、終わらない日常を打ち壊すかのように、ふと窓の外を見た彼の目に、にわかには信じられないものが映った。それは遠く遠く、外壁で囲まれたこの王都ヒューダスの外側からやって来る者の姿だった。目のいい彼にすらまだ青い点のようにしか見えなかったが、彼には一瞬でそれが何者かわかった。

「アンヴァルク=リアス」

 彼は呟き、密やかに嬉しさで胸が熱くなるのを感じた。
先ほどの悲嘆など吹き飛んで、気付けばメルヴィトゼンは部屋を飛び出し、幅の広い白い廊下を走っていた。

「アンヴァルクだ! 門を開けよ! 機構の使者だ、門を開けよ!」

 常に王の尊厳を保ち、滅多に表情を崩すことのない彼が、まるで少年のように疾走する姿を幻だと信じた者もいるに違いない。

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