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 しかし――

「いいだろう。お前が望むなら」

 間違いなく、リアスはそう言った。
 幻聴かと疑うような答えが返ってきて、彼は驚き顔をあげると、そこには優しい顔のリアスが微笑んでいる。微笑んでいるのは顔だけで、何の感情も感じられないリアスの瞳が、今この瞬間だけはなにか素晴らしいものを含んでいるような気がした。

 その言葉を疑うよりも先に、メルヴィトゼンの中で全ての執着が消え去り、物質を超えた奇妙な感情が爆発するように心を満たしていくのがわかった。

 彼は今までメルアシンダの像や並べられた人物絵画との友情など成立しないと思っていた。おそらくそれは当然の答えで正しくもあるが、しかしもしこちらの思いに答える物質があるのなら、それが紙であれ靴であれ、それは確実に存在する可能性があるのだ。
 考えてもみれば、自室の山のような思い出の品たちは彼にいつも強さを与え孤独を和らげ続けてきた。それが、彼が物質に与えてきた愛情に対する返しであるならば、交友関係はしっかりと成立していたのである。もちろんそれを否定するのは簡単なことだが。

 しかし、たとえば、実在しなくとも正しく優しく絶対的な存在が、その概念だけで多くを救う事ができるように、心ない物質が彼を救えない理由もどこにもなかったのだ。

「嘘だよ、リアス。冗談だ」

 思い切りリアスを抱きしめてメルヴィトゼンは言った。

「冗談? ヴェーネンの冗談はよくわからない」

「お前はおれの友人だ。一番の友達だ。アンヴァルクらしく永遠に生きていろ」

 そこには今までのような上辺だけの言葉ではなく、数千年ぶりに思い出した強い感情が含まれていた。

「メルヴィトゼン、アルトの石と融合すればアシディアのように永遠に生きられるのではないか? ここで死ぬ必要はなくなる」

 ひらめいた様子でリアスはそう言ったが、メルヴィトゼンの答えはずっと前から決まっていた。

「おれはアシディアがしたことを正しいと思わない。いつだってあの女がしてきたことを負い目に感じてきたんだ。同じことはしない。おれはアシディアのようにはならないよ」

「そうか」

 リアスは悲しそうな顔をしてうなずいた。

「リアス、最後の頼みがある。おれはアルトの石をこの庭に隠す。いつかアシディアはアルトの石を欲するだろう。なにしろこの石には機構の法則を変えられる強大な変則能力がついているんだ。これは絶対にアシディアの手に渡してはならない。だからお前がこのアルトの石を守ってくれ。それがおれの最後の願いだ」

「お前が望むなら守ってみせる。絶対に」

 これでもう、思い残すことはない、と彼は安堵に包まれ僅かに微笑んだ。
 その時。強烈な、立っていられないほどにひどく深い眠気がメルヴィトゼンを襲った。初めは昨日寝ていないせいだと思ったが、尋常ではない眠さにぼんやりと死ぬことを理解した。身体中の力が抜け意識がみるみるまどろんで行く。倒れた自分をリアスが受け止めたのがわかった。

「許してくれ」

 アンヴァルクがそんなことを言った。

「許……す?」

「そう。私がアンヴァルクであることを。許してくれ」

 リアスの胸に埋もれるように抱かれたメルヴィトゼンは、最後にもう一度リアスの顔を見たいと思ったが、掲げられた右手はリアスの顔に届くことなく地面に落下した。

 鼓動しない胸、脈を打たない手、生物の匂いもしない。冷たい静物のようなアンヴァルクに抱かれて、しかし今はそれに安らぎを感じている自分がいる。幸せだと思っている自分がいる。輪郭の定まらない不思議な感情を、彼は尽きる前に確かに肯定したのだった。

 だが、ふと彼は思った。これが機構の用意した己へのシナリオだったのではないか。全てはいかにも機構らしい、美しい演出だったのではあるまいか。でなければ絶対的な機構の使者であるアンヴァルクが、一個人のために自殺に値する行動をとると思えない。

 ああ。

 彼は音にならない息を吐いたが、それはけして絶望ではなかった。
 そして、数万年孤独の中で生き続けた寂しい彼の瞳が最後に映したのは、己の手の中で燃え尽きる流れ星のように光を放つアルトの石だった。

「偉大王メルヴィトゼン。お前の偉業は未来永劫語り継がれることだろう」

 アンヴァルクは静かになったメルヴィトゼンを抱きしめて言った。その姿は悲嘆にくれるヴェーネンのように見えたが、アンヴァルクの乾いた瞳が僅かにも潤うことはなかった。

 そしてリアスは声を上げた。悲鳴のような奇声のような声だった。だが泣くことの叶わないアンヴァルクの悲痛なその声は世界の誰の耳にも届くこともなく、やがて何もなかったように消えてしまった。


王、沈黙の時

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