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 アシディアと聞いて一番に思い出すのは二千五百年前の戦いのことである。
 彼女は二千五百年ほど前まで、世界の三分の一を支配する超巨大帝国デネレアの女王であった。しかしその統治体制は彼から言わせれば悪政そのものであり、アシディアとメルヴィトゼンの父である、種祖エクアフの血を受け継ぐエクアフ種族の、しかも白い髪(ユグリヴェ族)のエクアフ以外を徹底的に制圧し一切の権限を与えなかった。

 アシディアはこの統治体制が最も正しいと狂信しており、メルヴィトゼンの助言を実に四千年にも渡って無視し続けてきた。本来ならば身内同士で争いなど起こしたくはない。しかももう新しく生まれることのない旧ヴェーネン同士、できることならば中睦まじく永遠を共にしたかった。だが、メルヴィトゼンとアシディアの、理想とする世界観はもう分かち合えることはないと確信するほどに、全くかけ離れた場所にあったのだ。

 もし、たった百年の寿命であったならばこんなにも思想が遠く離れることはなかったかもしれない。事実、旧世界では姉弟の仲は良すぎるほどに良かった。しかし長い時をかけ、いくつもの分岐を超えるにつれて少しずつ少しずつ心がずれて行き、気が付けばお互い全く違う結論にたどり着いていた。

 そして約四千年前、メルヴィトゼンは自分と同じ理想を掲げる民を引き連れて、半ば反乱のようにアシディアの元から去り、この国リンドーラを建国した。「姉弟の別れ事件」と呼ばれる出来事である。

 そこから超巨大帝国デネレアの衰退は始まりを告げた。それはおそらくアシディアの精神的な衰退に比例していたと思われる。アシディアは支配的ではあったが、盲目的にメルヴィトゼンを愛していたのだ。自分の父である種祖エクアフを狂愛し今も崇拝しているように、おそらく種祖エクアフの次にメルヴィトゼンを愛していた。だがその愛に思いやりは含まれてはおらず、常に一方的な制圧下に置きメルヴィトゼンを管理しようとした。彼がアシディアと絶縁した理由は多々あるが、それが一番の原因だった。

 そして緩やかに滅びの道を進むデネレアの一方で、極小国であったリンドーラはデネレアの領土を吸収し興起した。アシディアは何度となく使者と手紙を送ってきたが、どれも開封することなく燃やしてしまった。もとより彼はデネレアを討ち滅ぼす気でいたが、すぐに行動に移すことなく、じっとデネレアの衰退していくのを待っていた。

 かつて自分が姉と共に統治していた巨大な国が滅びていく様を、まざまざと見なければならないのは悲しいことであったが、それが正しいと信じて、彼はデネレアと姉を捨てたのだった。いや、心の底では絶縁されたことでアシディアの考えが変わることを、密かに嘱望(しょくぼう)していたのかもしれない。
 だからこそ、デネレアと戦をするまでに長い時間を置いたのだろう。「姉弟の別れ事件」からリンドーラがデネレアを滅ぼす「姉弟の別れ戦争」が起きるまで千五百年もの間がある。その間、なにをしていたのかと問われれば、彼は見ていた。そう、ただ見ていただけだった。

 その上、「姉弟の別れ戦争」が起こった理由もデネレア側のきっかけであった。衰退しきったデネレア内でついにクーデターが起きたのである。クーデターの首謀者ケルネリンはリンドーラに応援を要請した。重い腰を上げ要請を受諾したリンドーラはかつての超帝国を一瞬で飲み込んだ。その「姉弟の別れ戦争」は歴史に残る大戦であったが、デネレアの大軍は女王の情緒不安定さから全く役に立たず、たった一週間で決着が付いた。

 ついに、あの女王アシディアをこの手で捕らえ、ひざまずかせたのだ。伝説のような歴史の場面を忘れることはない。彼は剣を振り上げ、振り上げ――しかしアシディアの首に振り下ろすことはできなかった。
 なぜ殺せなかったのか。
 彼女殺してしまったら孤独の辛さが増すような気がした。大切にしてきた思い出が死んでしまう気がした。追憶にすがって生きている彼には、どのように愚かな昔さえも財宝のように思えた。それはただの己の弱さだが、メルヴィトゼンは形なき執着に勝つことができずに、ともかく彼は逃げ去るアシディアの背を黙って見送ってしまった。後悔してもどうにもなるわけではないが、その時の感覚がいつまでも後味悪く残っている。

 逃れたアシディアは北の果てに小さな王国オルギアを築いた。一見慎ましやかに過ごしているように見えたが、メルヴィトゼンにはわかっていた。アシディアはけして自分の非を認めたりしない。己の可能性に限りがあることも信じない。
 揺るがない自信こそが、天与の与え給いし超自然的、超人間(ヴェーネン)的な力の素質の源であり、それゆえに彼女は非日常的なカリスマ支配を可能にしたのだ。アシディアは再び世界の頂点に立つ機会を伺っている。永遠であるがためにいつまでも。

 それゆえにアシディアはなんの躊躇もせずにゼーレの脳と融合した。どうような低確率でも、たとえ無限分の一でも可能性があるならば諦めるわけがない。いつか、世界はアシディアのものになるだろう。
 また世界が彼女にひざまずく。止めなくては。

「そんなところで何をしている」

 その声はアンヴァルク=リアスのものだった。

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