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 本来、来賓であってもメルヴィトゼンの自室に通すことはまずないが、リアスだけは自室に通している。メルヴィトゼンがリンドーラの国王になる前から、ずっとそうしてきたので、今更場所を変えて会うのはかえって落ち着かないというものだ。

 何度となくメルヴィトゼンの部屋を訪れているリアスは、一見物置のようにも見える奇妙な部屋に驚くこともなく、ただぐるりと部屋を見渡して「また物が増えたな」と言った。
 
 書類が散乱している机の上には誰が気を利かせたのか、すでに紅茶と菓子の用意がしてあった。あまり部屋に黙って入られるのは好かないが、心遣いは受け取っておくとしても、アンヴァルクにそんな振る舞いをしても無意味であると親切な召使は知らないのだ。アンヴァルクは物を食べない。しかしリアスであれば、勧めればいかにも美味しそうに食べることだろうが。
 遠く昔にアンヴァルクが物を食べるとどうかなるのか、と聞いた事がある。「完全燃焼される。質量や構成物質に影響はない」という答えが返ってきた。旧世界の話である。今もそうなのかは知らない。

「さて、話を聞こうか」

 メルヴィトゼンはリアスに椅子へ座るよう目配せしつつ、せっかくの親切を邪険にしまいと三百年前に作られたらしい小奇麗な骨董のティーポットを手に取った。これも彼の大事な思い出の品の一つだった。
 しかしリアスは優雅な動作で椅子に腰掛けるなり、歓迎の振る舞いを待つことなく口を開いた。

「機構は旧ヴェーネンの廃止を決定した。明日、すなわち第5期1982年8月8日をもって旧ヴェーネンは全て破棄される――つまり死が与えられる」
「破棄……?」

 俄然も俄然ではなはだしい。
 冗談だろう。
 一番に彼はそう思ったが、アンヴァルクは嘘を言わない。
 友が彼に伝えた言葉は失意や消沈といった安直な言葉ではとうてい片付けられない、あまりにも酷い極めて無慈悲な、この世にある全ての打消しの言葉を集めてもまだ足りないほどに非理な告知だった。
 何を言っているんだ。
 明日。明日、唐突に彼の長い長い永遠のような人生が終わる。永遠だと信じていた自分が終わる。この国の未来はどうなる? 誰が変わりに統治する? 誰もいない。おそらく四千年続いた歴史深きこの国も自分と共に明日滅ぶのだ。民はどうなる。この国が明後日を迎える時、何が起こるのか長く生きた彼にすらわからない。
 このような不条理が許される世界に彼は純粋な憎しみを感じた。
 冗談だろう。
 だがアンヴァルクは嘘など言わない。それだけは確かなのだ。
 動揺と怒りに振るえて、つい彼は持っていたティーポットをテーブルに落とした。ポットは丁度真下にあったリアスの前に置かれたカップの上に落ち、かまびすしい嫌な音を立てて、長く時を生きた陶器がまるで明日の自分のように呆気なく割れて価値を失った。
 熱い紅茶は白いクロスを侵し伝って、膝の上できちんと揃えられたリアスの白い手の上に降り注いだが、その手が狼狽することはおろか些かも動くことはなく、リアスは深く青い瞳でメルヴィトゼンを見つめていただけだった。
 「友」が限りない危うさに呑まれていく。リアスが単なる物質であることを熱湯が如実に導き出している。遥か前から承知している事実だが、落胆する側面から彼はずっと目を背けていたかった。

「なぜだ……!理由はなんだ? なぜ機構はそんな決定をした!」

 絶望に似たものが身体を震わせ、説明しようのない複雑なうごめきが心を締め付けた。
 死が怖いのか? こんなに生きたのに。
 何度、死を肯定的に思い描いたことだろう。何度、愛しいひとの後を追って死んでしまいたいと思っただろう。何度この孤独と王という立場から死をもって逃げたいと願っただろう。つい先ほども消えてしまいたいと思ったばかりだと言うのに。
しかしこうして突如現れた死は、生易しい救済の意味など含まれていない。ただの、ヴェーネンが恐れるのと同等の恐怖としての死だ。
 築き上げてきたものが自分と共に滅ぶ、この惨劇。

「落ち着け。メルヴィトゼン」

 リアスは音もなく立ち上がり彼の横に立つとアンヴァルクとは思えぬ優しい声でそう言った。そして紅茶に濡れたままのリアスの手がそっとメルヴィトゼンの肩に触れる。

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