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「ジヴェーダ様が言うには、まだ私を庇ってくれているそうですよ。私を英雄だと思っているそうです」

「当然だよ。君は英雄だもの。俺がまた英雄にしてやるよ。ここから出してやるよ。またみんなで一緒に酒でも飲もうよ。きっと楽しいよ」

エスラールはエメザレの口に卵焼きを入れると、咀嚼している頬に触れ、そして髪を撫でた。

「エスラール。もしあなたがこれから革命を起こすのだとしても、イウ王子だけは殺さないで。守ってあげてほしいのです。だって私を守ってくれたから」

「うん、いいよ。わかった」

魔法みたいな優しい笑顔。

エスラールはどうしてこんなに無邪気なのだろう。叶えることがどれだけ難しいか、きっと彼は理解している。革命を起こそうとしているのだ。その国の王子を救えるはずがない。

彼が救おうとしても、友愛会も黒い髪たちも許さないだろう。

けれども絶対にできるといつも信じている。そのために彼は死んでもいいと思っている。

どうしてたくさん人を殺しても汚れないのだろう。いつも不思議だった。私心が全くないからだろうけど、子供みたいに笑えるエスラールが羨ましかった。

エスラールはそれから全く来なくなった。というより来られなくなったのだろう。

そしてある日、一通の手紙が届いた。愛国の息子達からの長い手紙だった。

内容を要約するとこうだ。

四百年前の、黒い髪の王家の末裔の令嬢がエスラールとの婚姻を望んでいるが、エスラールはエメザレがいることを理由に拒否している。

よって、エスラールとの恋人関係を正式に解消してほしい。そして恋人関係であったことを今後一切口外しないでほしい。できれば会うことも差し控えてほしい。

エスラールはもう一度エメザレを表舞台に立たせるつもりでいるが、表には出てこないでほしい。

そして最後には連名で数えるのも面倒なほどの賛同者たちのサインがあった。書き方としては嘆願書に近しいものだったが、その嘆願の強さを誇示するように血判まで押してあった。

そして最後のサインは、あのヴィゼルのものだった。

親友だと思っていた。確かに親友だった。

彼はそれまでエスラールの中で、一番だった地位をエメザレに譲ってくれたのだ。その時、確実に確執はあったが、結局誰よりも、エスラールとエメザレの関係を認めるように、周囲に働きかけてくれた。祝福の言葉をくれた。それからは常に一緒だった。

だが今、ヴィゼルの選択はきっと正しいのだ。

きっと彼だって苦渋の選択を迫られたはずなのだ。エスラールが英雄になり、世の中をエスラールの理想に近づけることは、黒い髪の視点からすれば絶対的に素晴らしいことだ。

どうにかしてエスラールを汚点なき英雄に仕立てあげなければならない。

だから受け止めなければならない。気持ちを落ち着けようとした。

だが悲しいと思うより前に涙が溢れていた。心臓が痛かった。体中が震えた。自らの意志とは関係なく嗚咽が漏れた。きっと慟哭という言葉が相応しい。

悲しみとして処理できないほどの不可解な暗澹。うずくまって泣いていた。

みんなと一緒に行きたかった。歩くことも出来ないのに、一緒に行けるわけはないけれど、でもせめて、気持ちだけはみんなと一緒にありたかった。

気持ちだけは連れて行ってほしかった。

でもそれすら、もう叶わないのだ。このささやかな気持ちは、地上の誰にも伝わらず、歴史の闇に葬られ、全て何もなかったことにされてしまう。

自分の全てが消されようとしている。

でもそれが正しい選択なのだ。
声が出なくてよかったと思った。声が出ていたら看護婦が慌てて飛んできただろう。

「ふふ」

なぜか笑いが込み上げてきた。涙と共に底から湧き上がる笑いが止まらない。

泣き笑いはいつまでも止まらないように思えた。


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