10.愛国の娘
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 月の光がひっそりと照らす廊下をエメザレは歩いていた。静寂の時間帯には早いようだ。夜更かしを楽しみたい連中は、まだサロンに集っているらしい。一階に下りると大勢の楽しそうな声が聞こえてきた。

 二号寮へ行くには野外訓練場を通るのが一番早い。だが野外訓練場に出るにはサロンを抜けねばならなかった。今、面倒ごとに巻き込まれるのは願い下げだ。エメザレは各棟を繋ぐ渡り廊下から大回りをすることにした。

 西棟は一号寮と違い、静寂そのものだ。石造りの廊下は歩くたびに硬い音を響かせる。けして温かみのある音ではないが、静かな廊下で僅かに反響する無機質な音が、エメザレはとても好きだった。

 西棟には厳かな雰囲気がある。どでかい礼拝施設が置かれているせいだ。
 クウェージアでは夜の神、エルドを崇拝しエルド教を国教にしていた。日の沈む西側は神聖な方角とされているので、礼拝施設は絶対に西に置かれることになっている。西棟の半分以上を礼拝施設が占めており、千人がかなり余裕を持って座れる広さがあるのだが、そんな余分があるならば食堂をもっと広げてほしいといつも思う。

 左手に現れた礼拝施設の表の壁は真っ白く、黒を基調とするガルデンの内装の中では明らかに異質だった。エルド教において、もっとも神聖な時間帯は夜の十二時から二時にかけてである。ガルデンの中でも熱心にエルド教を信仰しているひとびとが、いるにはいた。一日の訓練の終わりに強制礼拝の時間があるので、普通はそれが終れば礼拝施設には立ち寄らないが、エルドにべったりの奴らは十二時から二時の間にもう一度やってきて、エルドの像の前で祈りの言葉をぶつぶつ唱えながら頭を下げるのだ。

 開け放たれた扉からは、礼拝施設の中の様子が見えた。十メートル弱の巨大なエルド像が、穏やかな微笑みを湛えて、ひざまずく二十人ほどの崇拝者たちを見下しながら、無償の愛とやらを振りまいていた。内部はとても夜とは思えないほど燦々(さんさん)としていて、数え切れないほどの、絵柄がついた値が張りそうな優美なロウソクで照らされていた。

 クウェージアでは山のようにロウソクと油がいる。重要な儀式も祭りも、催し物は全て夜に行わなければならないからだ。闇を照らすのには灯がいる。もちろん無駄に金がかかる。昼の神を崇拝している国では、夜明けと共に起き、日の入りと共に寝る、と聞く。そちらのほうが理にかなっているし無駄がない。クウェージアの、貧困の原因の一つは灯代にあるような気がしてならないのだが、信仰というものはときに合理性を無視する。

 エメザレは施設内には入らなかったが、立ち止まり、しばらくエルドと崇拝者たちを眺めた。


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