11.美しい世界
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 昔、カイドノッテ大護院にいた頃、年に三回ある遠足がエスラールはとても楽しみだった。遠足といっても、歩いて三十分ほどの距離にある丘に行って昼食をとって帰ってくるだけで、とくに面白いことがあるわけではない。丘に向かう途中には貧相な畑と小さく汚い家が何軒かと、しょぼい川があるだけだった。それでも大護院の外に自由に出ることができないエスラールには特別な世界に思えた。

 エスラールが知らないだけで、もっと家はあったのだろうし、どこかに商店のようなものや、もう少し拓けた場所があったのだろうと後に思ったが、最初の頃はまだ幼かったので、遠足のときに見かける数軒の家だけが、村の全てどころか、世界全体のような気がしていた。

 遠足のことを思い出すとき、エスラールは決まって同時にきれいなコートと黄金色の飴玉を思い浮かべる。

 いつもは、ごわごわの質素な服を着ているのだが、遠足に行くときと、かしこまった行事があるときだけは、裏地のついた、貴族が着るような立派なコートを着ることができたからだ。黒いビロードでできていて、襟と袖に白い刺繍が入っている、そのコートの異常なまでの心地よさが強く印象に残っているのだ。

 普段、コートは子供の手の届かないところへしまわれているらしく、見ることさえ叶わなかった。特別なときにだけ、どこからともなく魔法のように現れ、教師によって配られた。美しく輝くコートを着て、大護院生全員が二列に並び、田舎の道を歩くのだ。

 クウェージアの天候は、もれなく曇りが多い。晴れの日もあっただろうが、思い出の中の遠足は常に薄寒く、どんよりとした曇り空だった。

 村の家の前を通るとき、先頭を歩く教師はハンドベルを鳴らし、「愛国の息子たちだ。愛国の息子たちだ」と誰にともなく告げた。その時間帯はたいていの場合、村人は外へ出て農作業をしていたが、大護院生が通る間は畑を耕す手を止めた。とくにそういう決まりがあったわけではないと思う。だが村人たちは、寄ってくるでもなく、笑いかけてくるわけでもなく、かといって嫌な顔をするわけでもなく、立ち尽くして、川の上流から葉っぱとか木の枝とかが流れてくるのを、なんとなく目で追うように、表現しがたい奇妙な眼差しで大護院生を見送っていた。

 灰色の鈍い色彩で思い出される村人の顔は無表情で、全員が干物みたいに痩せこけている。ビロードのコートとは次元の違いすぎる、汚く泥だらけの服を着ていて、かつての色がわからないほどに土色に染まっていた。白いはずの肌も不健全に濁っていて、灰をかぶったような色をしている。ひもじい大地からは、枯れ草に似た細い農作物が頭を出していた。



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