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 エスラールは女を間近で見たことがないが、これは男ではないと思った。エメザレの容姿は女性的というほどではない。しかしその片鱗がある。それが僅かであれ、女の片鱗を持つものは、男だけの世界で、あっという間に女性的な立場へ変換されてしまうことになる。

 だが、普通は抵抗するものだ。必要以上に男らしくしてみたり、俺をそんな目で見るなと力一杯拒絶してみたりする。それなのにエメザレは女の片鱗をぶら下げたまま、隠しもしないですっかり受け入れてしまっている。そうなると、もう女のようにしか見えなくなってしまうのだ。

 ずっと大切にしまっておいたはずの感情が、逆立ってくるような感覚に襲われた。

 その時、中の上の方から熱の塊のような何かが流れてきて、エスラールは我に返った。熱はエスラールの指を呑みこみ、付け根の部分まですっぽり覆ったかと思うと、ぼとっと音がして、見るとカマキリの卵みたいに白くて粘っこい泡状の塊が床に落ちていた。

「すげー量だろ。呆れるよな。あれ全部、精子だぞ」

 ミレベンゼは落ちてきた液体を指差して笑った。確かに出てきた精子は一人や二人の分量ではなかった。

「そこは笑うとこじゃないだろ。悲しむとこだ」

 エスラールは、ねだるように擦りついてくるエメザレの背中をさすり、桶に残っていた水を下腹部にかけて、雑巾で丁寧に拭いてやった。

「この偽善童貞め。ほらよ! それにエメザレ包んで、早く行っちまえ! 俺はまだ掃除が終ってねぇんだ」

 ミレベンゼは床に置いてあった毛布を掴むと、エスラールに投げてよこした。それは案外きれいな毛布で、触り心地はよくなかったが、よく干されているのか昼間の匂いがした。

「言われなくても、とっとと帰ってやるよ」

 エメザレは毛布で包んでやると、安心したみたいに急におとなしくなって目を閉じた。エスラールはエメザレを抱き上げ、ミレベンゼに一瞥をくれてから背を向け歩き出したが、サロンから少し離れたところに、さきほどエスラールが投げたブラシが転がっていたので、それをミレベンゼに向かって蹴った。ブラシはやはり何度も回転して、ミレベンゼのちょうど足付近で止まった。

「掃除、頑張れよ」
「言われなくても頑張るよ。じゃーな」

 ミレベンゼはブラシを拾って言った。


◆◆◆

 二号寮の外に出ると月がやたらと綺麗だった。空は澄み渡っていて、真っ黒だ。無数の星たちが瞬いて、冷たくて優しい月の光がそれらを照らしている。それはただの、なんの変哲もない夜空なのだが、なぜか美しく見えた。

「おい、エメザレ。空を見てみなよ。月が綺麗だよ」

 だがエメザレは毛布のなかでぐったりとして目を閉じている。
 エスラールはエメザレを抱いたまま、訓練場の真ん中に立ってみた。絶対的な景色がガルデンを丸く取り囲み、それ以外の世界は最初からなかったかのような気分になる。

「月とかさ、ちゃんと見たことないんだろう。今度見てみろよ。月はさ、月だと思って眺めてるといつまでもただの月なんだ。でも感動するまで見続けるんだよ。諦めないで見続けるんだ。
なんで君、一人ぼっちで壊れてんのさ。俺、諦めないよ。俺がこんなこと許さないからな。うぜーとか鬱陶しいとか大きなお世話とか言われても聞かないからな。
エメザレ、聞いてるか? 君、ほんと死体みたいだな。確かに幽霊だよ、これじゃ。でもこんなん悲しいだろ。悲しいんだろ。俺は悲しいよ。俺が悲しいんだ。俺だって生きてるのが怖いよ。
でも幸せになるのを諦めちゃだめだ。感動するまで見続けるんだよ。そうだよ、諦めないで幸せになるまで見続けるんだ」

 祈るような気持ちで、エスラールは月に向かって話し続けた。



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