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 エメザレは三人に押さえ込まれ、自由が奪われている。エメザレは嫌そうな顔をしているが、暴れるような気配がない。しかしエメザレは抗えるはずだ。完全勝利とはいかなくとも、全力で戦えば逃げ出せるはずなのだ。それなのにエメザレは動かない。じっと感情をこらえて唇をかみ締めているだけだ。これでは好きにしてくれと言っているのと変わらない。

「エメザレ、なにやってんだよ! そんな奴とっとと殴れよ!」

 エスラールは声を張り上げた。しかしエメザレは動かない。

「なんだよ。お前、抵抗しねぇのかよ。今日エスラールをぶん投げたくせに、こういうことされるの本当に好きなんだな」

 その様子が可笑しかったらしいバファリソンは、野次馬に知らしめるように大声で言うと、エメザレの上着を乱暴にめくりあげた。上着のボタンがいくつか飛び散りエスラールの顔の横を掠める。

「……ぅ」

 エメザレは小さな悲鳴をあげた。注意して聞かなければわからないくらいの、かみ締めていた口の端から空気がもれてしまったような声だ。

「お前、なんなんだよ……」

 それと同時にバファリソンは手をとめた。しかしそれはエメザレの悲鳴のためではない。現れたエメザレの上半身には、いざ強姦せんとしていた奴すらドン引いてしまうほどの、凄まじい量の鬱血痕があった。どう控えめに解釈してもあれは夜の行為の痕である。そそられるとか色っぽいとか、そんな可愛いレベルではない。ただ言葉を失うほどに汚いのだ。

 あれに似た身体を前に一度見たことがある。大護院時代の話だ。
 エスラールが十歳の頃、大護院で黒死病が大流行した。クウェージアでは孤児一人当たりにかけられる治療費が決まっていて、治療費を使い切ってしまうと、あとは一銭たりとも支給されない。よって身体の弱いものは死んでしまうことになる。黒死病の大流行の時もそうだった。

 ついこの間まで元気に走り回っていた奴が、高熱にうなされ身体中に出血斑ができて、満足に手当てもされないまま一週間もしないうちに死んでいった。
出血班は、死に近付けば近付くほどどんどん黒ずんでいく。まるでカビが繁殖していくように身体中が病に侵されて皮膚が嫌な色になっていくのだ。仲間の死体は死んで間もないはずなのに、ずっと死んでいたみたいに全身が黒くなっていた。

 その時エスラールはこの黒い点々が彼らの命を奪ったのだと思った。あれは魂の穴なのだと思っていた。袋の穴から空気が抜けるみたいに、身体の黒い穴から魂が抜けていってしまったのだと。

 エメザレの身体もそうだ。あれは穴だ。あの痕は心の穴なんだ。あれを塞がなければ、空っぽになってエメザレは死んでしまう。

「帰る。どいて」

 凍りついたサロンにエメザレの声が響いた。先ほどまで羽交い絞めしていた三人は、もう誰もエメザレに触れていない。生ゴミに触ってしまったみたいに、一歩退いて唖然としている。バファリソンすら固まったままだ。

 そんな中をエメザレはなんでもないような顔で通り過ぎていく。野次馬もエメザレが歩き出した途端に慌てて道を開けた。誰も何も言わない。囁き合いもしない。
 エスラールの立場的には最悪すぎる結末だ。バファリソンに殺意さえ覚える。

「余計なことすんじゃねぇ! このアホ!!」

 やっとこ野次馬の足の間から脱出したエスラールは、仮にも先輩であることを無視してバファリソンの頭を追い越しざまに引っ叩き、エメザレの背を追った。
 二人が去った後もサロンはしばらく静寂に包まれていた。



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