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 なぜこんなところにエメザレがいるんだろう。と思っていると、今度は反対にエメザレが遠ざかっていく。その一連の動きはひどく緩やかに感じられた。
 やがて景色が回転し、無慈悲極まりない強固な石床がだんだんと押し迫ってきて、なるほど。自分は投げ飛ばされたらしいと理解した瞬間、ゴキッという鈍い音とともにやってきた超衝撃波で脳が振動し、途端に耐え難い激痛が顔面を襲った。
 気付けばエスラールは、床に突き刺さるような体勢で顔面を思い切り強打していた。

「痛ってええええぇぇぇぇぇぇーーー!!!」

 全体重を一瞬支えたであろう鼻を両手で押さえて、痛みのあまりにエスラールはのたうった。鼻からは大げさなほど大量に血が吹き出てくる。鼻を押さえている指の隙間からは血があふれ出て、床やら服やらを点々と汚していく。

「ごめん。受身、取るかと思ったから……」

 エメザレは呆然として言った。
 そうだ。
 エスラールは思い出した。エメザレが淫乱だと言われる理由だ。
エメザレは強い。見た目は細くてか弱そうに見えるが、エメザレは強いのだ。もし見た目通り、脆弱で非力だったとしたら、どんなにたくさんの奴と関係を持ったとしても、きっと無理にされたんだろうと、むしろ同情されたはずだ。しかしそうではない。エメザレは抵抗できるだけの力を持っていながら、多くの奴と寝ている。つまり合意の上でしているということになる――あくまで噂ではあるが。

 エメザレが強いということをすっかり忘れていた。というか見惚れていた。エスラールは自分のバカさ加減が恥かしくなって、唐突に隠者を志したい衝動に駆られた。

「まじで」
「エスラールが瞬殺だ……」
「あいつ何者だよ」

 そんな言葉が飛び交い、にわかに騒がしくなって、エスラールは本日二度目の脚光を浴びることになった。
 恥かしいことこの上ない。
 エメザレはといえば、傍観者の一人のようにエスラールをじっと見ている。気を抜いていた自分も悪いのだが、もうちょっと心配してくれてもいいような、とエスラールは少々恨みがましく思った。

「勝手に中断しないの。訓練を続けなさい。エスラール、医務室に行って手当てしてらっしゃい」

 ナルビルが手を叩きながら隊士を掻き分け、エスラールに近付いてくる。ナルビルは悪戯した猫を持ち上げるように、エスラールの襟首を掴んで引っ張りあげて立たせると、手を払って追い立てた。

「エメザレ、お前はあたしが相手するよ」

 そう言うと、今度はエメザレの襟首を掴んで持っていってしまった。

「はーい……」

 取り残されたエスラールは痛いほどの視線を一身に浴びて、痛む鼻に手を当てつつ、厳かに医務室への道程を歩み出したのだった。



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