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ガルデンを統べる男は純潔な白い部屋で、偉大な影のようにそっと佇んでいた。

 エメザレは敬礼の姿勢を取り、総監の顔を見た。一目見ればわかる、と言った先ほどのサイシャーンの言葉を思い出した。

 総監の見てくれから言えば、怪物でもなんでもなかった。むしろ穏やかな顔の壮年だ。歳のわりにかなり引き締まった軍人らしい身体つきではあるが、元の骨格は大して立派ではなかっただろう。身長は高いとはいえなかった。白髪が丁度よく入り混じった黒髪は、灰色がかって見え、その色合いはどことなく柔らかな印象を与えている。控えめにウェーブした長めの髪を後ろで縛った姿は、軍人というより裕福な家のおじさんといった感じで、なんの脅威を感じる必要もないように思える。

 しかしそれはあくまでも見た目の話である。
 一見して害のなさそうな容姿の裏側には、計り知れない悪意が閉じ込められていることをエメザレは瞬時に感じ取った。

「直ってよろしい」

 総監の声色は、今まで聞いたどんな声よりも優しく聞こえた。エメザレは言われたとおり、敬礼を直った。

「こっちへおいで」

 総監はたおやかな笑みを浮かべ、さらうようにエメザレの腰に手を回してくる。その手つきはあくまでも上品だったが、その指の先から底知れない憎悪が伝わってきるようで寒気がした。
 エメザレは脇に抱えていたサディーレの日記を胸の位置に持ち替えた。

 総監はたおやかな笑みを浮かべているが、けして微笑んではいないのだ。まるで微笑みを描いた絵を顔に飾っているようだ。総監は笑っていない。もちろんエメザレを歓迎してもいない。総監は全てに怒り狂っている。内なる感情を鎮めて押し戻し、押し殺し、かろうじて不安定にそっと笑っているのだ。顔に飾られた微笑の絵を剥がしたら、きっとあらゆる汚物を煮出したような、世にも醜い情念が我を忘れ、溢れてくることだろう。エメザレはゆっくりと大きく息を吸った。

 腰を穏やかに抱かれたまま、奥へと連れて行かれる。奥はプライベートスペースと言わんばかりに、白い薄手のカーテンで仕切られている。外からは物のシルエットがなんとなくわかるくらいだ。総監はカーテンを優雅に開けて見せた。
 そこはゆっくりと食事を取るためのスペースであるらしい。テーブルとソファーに対して、広すぎる印象の空間はやはり真っ白で、現実から切り離したようにゆったりとしている。

「ここに掛けたまえ。君と食事をするのを楽しみにしていたよ」

 総監は淑女を扱う紳士のような動作で、肘掛のついた一人掛けの大きなソファーをひいた。総監の有り得ないほどの親切に恐れを感じながら、持ってきたサディーレの日記帳を膝の上に置いてしっかり守り、エメザレは一応おとなしく座った。

 貴族が使うような優雅な曲線美の脚がついたテーブルの上には、色彩の美しさを計算し尽くして飾ったのであろう料理が並べられていた。エメザレがいつも食べている、美味しくもないぼそぼそしたパンとは比べものにならない。席の前には、朝食にしてはやたらと品数の多い料理が一式、もう置かれている。
 世の中にはこんなにきれいな食べ物があるのだと感嘆して、エメザレは自分の目の前に並べられた料理に見入ってしまった。

「さてと」

 総監は向かいに腰をおろした。

「今更言うこともないだろうが、私はガルデンの最高責任者ラステルガ総監だ。もっともほとんどの場合、ただの総監としか呼ばれないがね」

 と両手で天を仰ぎ、軽い口調で言った。

「昨日は大変失礼をいたしました」

 エメザレは立ち上がり深々と頭を下げた。厳罰に処されてもなんの文句も言えない立場にある。だが、聞こえたのは総監の小さな笑い声だった。

「まさか私が呼んでいるのに来ないとは思わなかったから驚いたよ。しかし反王家勢力が空想上の存在であるならば、この一件は解決したようなものだ。急ぐ必要もないと考えを改めた。それなら最初の予定通り、君とゆっくり朝食でも食べながら話し合うのも悪くないと思ってね。もういいから、頭を上げて座りなさい」

「申し訳ありませんでした」

 エメザレはもう一度謝罪してから、ふかふかのソファーに腰掛けた。

「それにしても君は本当に綺麗な顔立ちをしているんだね。まるで愛されるために生まれてきたようだ」
「恐れ入ります」

 そうは返したが、孤児で愛とは無縁の人生を歩んできたエメザレからしてみれば、総監の言葉はただの嫌味にしか聞こえない。

「さあ、さっそく召し上がれ。いつも君が食べているものより美味しいはずだ。どれでも好きなものを好きなだけ食べていいんだよ」

 総監はテーブルに広げられた料理を指し示し、まるで小さな子を甘やかすような口調で言った。



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