3/13 先日も同じことを言われたが、それが具体的に何を指しているのか、実はエメザレにもわかっていなかった。 シグリオスタ大護院において、サイシャーンという男は神であった。もちろん救済の神ではない、畏怖の象徴としての神だ。サイシャーンはシグリオスタにいながらシグリオスタにはいなかった。シグリオスタの弱肉強食という伝統の支配を受けなかった、ただ一人の神だったのだ。そして伝統を変えられる立場にありながら、法則に干渉しない無慈悲な神のように伝統に一切干渉しなかった。全てを把握しながら、力がありながら、なにもしなかった。救えたものはたくさんあっただろう。エメザレのことにしてもそうだ。サイシャーンが一言「やめろ」とさえ言えば、エメザレへの容赦ない蹂躙行為は止んだはずだ。 サイシャーンはそういったことを詫びているのだろうかと思った。だが許すもなにも、そもそもエメザレはサイシャーンの助けを期待したことは一度もない。期待していないから恨んでいない。それとも全く別のことに詫びているのだろうか。エメザレは首を傾げた。 「私が言っているのはメルベロットのことだ」 「メルベロット?」 意外な名前が飛び出してきたので、エメザレは驚いた。 「メルベロットのすぐ近くに私はいた。だが私は彼を助けなかった」 「それを、なぜ僕に謝るんですか」 「君たちは友達だったんだろう。君たちは手紙をやり取りしていたはずだ。私はそのことを知っていた。君はメルベロットを殺した私を、私たちを憎んでいるだろう。メルベロットをなぶり者にしていた私たちのグループを」 サイシャーンの表情からは謝罪の感情は読み取れなかった。だが平坦な声の中には確かに罪悪感が感じ取れた。 メルベロット。それはエメザレの中で最も美しい存在であると共に最も忌まわしい存在でもあった。彼を思い出す時、必ず最高に美しいことと最高に醜いことを思い浮かべることになる。いくら忘れようとしてもその強大な思い出は、エメザレの脳を抉るように刻み込まれていて、けして取り去ることはできなかった。永遠に美しい少年はエメザレの心に深すぎる影を落としていた。そしてその二人の関係は誰にも知られていないはずだった。清く大切な関係を守るため、細心の注意を払っていたはずだ。だが神にはとっくの昔に見透かされていたのだ。 なんだか滑稽に思えて、脳裏に蘇る幻影を追い払うようにエメザレはそっと微笑んだ。 「いいえ。先輩は勘違いしています。その理屈で言うなら、メルベロットを殺したのは僕です。その証拠に、メルベロットの最後の手紙には、先輩のこともシマ先輩のことも一切書いてありませんでした。僕への恨みだけが綴られていました。僕への呪いの言葉だけが綺麗に書かれていたんです。だからあなたが謝る必要はありません」 「君への恨み? 君はなにもしていないじゃないか」 「それより行きましょう。ただでさえ総監は待ちぼうけをくらっているんですから」 エメザレは先へ急いだ。エメザレはメルベロットの存在からできる限り遠ざかっていたかった。 「待て、エメザレ」 サイシャーンに腕を掴まれ、自分の意志とは無関係に身体がびくついた。嫌な癖だ。直したいがどうしても直らない。身体がどうあれ、意識としては別に怯えているつもりはなかった。 サイシャーンはエメザレの腕を優しく掴み直した。 [*前] | [次#] しおりを挟む モドルTOP |