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「ないですね。いいですか、惻隠なる罪人よ、訓練が終るのは午後の十時です。ユドが叫びながらサディーレを刺していたのが午後の十一時過ぎ。私は訓練が終ってから真っ直ぐにここに来て、その長椅子に腰掛けていました。私の部屋はそこです」

 月の男は長椅子の左側の部屋を指差した。

「そしてサディーレの部屋は私の部屋の隣です」

 と言って今度は、長椅子を挟んで右にある部屋を指した。

「その長椅子に座っていれば、サディーレの部屋に誰が来たかはわかります」

「でも月男くん、さっき目を瞑ってたじゃんか」

 エスラールが言うと月の男は、不快感をできるだけ押し殺したような表情で、エスラールを睨み、それでも穏やかにゆっくりと口を開いた。

「私は月男でも月の男でもなく、ヤミという名があります。それはまあいいとして、私をあまり見くびらないで頂きたい。私とて軍人の端くれですよ。例え目を閉じていても、誰かが前を通れば気配でわかります。そして気配がすれば目を開けることくらいします」

「ごめん。ヤミ。名前知らなかったんだ」

 エスラールが詫びると、月の男は納得したのか一度小さく頷いて、また話し出した。

「その日、訓練を休んだ人物はいませんでした。そして私は一番初めにここに着いた。サディーレが帰ってきたのは十時十五分くらいだと思います。それから三十分ほど後にユドがサディーレの部屋を訪ねてきた。
 それからしばらく経って、ユドが叫んでいるのが聞こえました。普通ではない叫び声でした。それで私はサディーレの部屋のドアを開けました。するとユドがサディーレに馬乗りになって、サディーレを刺していました。私は大声で異常を周囲に知らせながら、ユドを取り押さえてサディーレから引き離しましたが、サディーレは既に事切れていました。ユドを引き離した時には、私の声を聞きつけて、すでに何人か部屋の前まで来ていましたし、すぐにサディーレの部屋の前はひとだかりができて、その後、教官が駆けつけてきました。部屋の中に最初から誰かいたとしても逃げる暇がありません」

「窓は?」
「内側から閉まっていました。だから犯人はユド以外に有り得ません」

 月の男はきっぱりと断言した。そして話を聞く限りでは彼の言うとおり、ユド以外に犯人になりえない。

「くっそ。一体どうなってんだ」

「やっぱりその日記帳が怪しいな。ないって絶対おかしいもの。だって誇りの日記帳を絶対に捨てるわけないし。犯人が持ち去ったとしか思えないけど」

 エメザレが苛立ちながら呟いた。

「私はちゃんとお話しましたよ。約束どおり、反王家勢力が誰か教えてください。まさか約束を破りはしないでしょうね」

「もちろんちゃんと教えてあげるよ」

 エメザレが言うと、月の男の顔がにわかに強張り、緊張が走った。エスラールも唾を飲み込み、エメザレの言葉を待った。


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