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「特にないですよ。そうですね、強いて言うなら僕がちょっとエスラールをからかったら、慌てたエスラールがベッドから落ちて床に顔面を強打して首を痛めて鼻血を出して死にかけたくらいです」

「そうなのか、エスラール」

 サイシャーンは首を横に大きく傾け、エメザレの後ろを覗き見た。

「え、え、ええ、え、ああ、は、はい」

 エメザレの側面から、にょきっと生えたような、サイシャーンの鋭い顔に睨まれて、エスラールは焦りまくった。しれっとしているエメザレとは正反対だ。
 サイシャーンはエスラールの顔を見ると、無表情ながらも、どことなく憐れみが感じられるような表情をした。

「顔がものすごいことになっているぞ、エスラール。まるで土に還りかけているジャガイモのようだ」
「ははははは」

 本当に自分はどんな顔になっているのだろうか。つまりボコボコになっているということか。ここまで気になったことはないというほど、エスラールは自分の顔の現状が気になった。

「まさかとは思うが、エスラール……」
「違います。なにもないです! 如何わしいことは断じて、断じてやってないです。僕はまだピンピンの童貞です!」

 エスラールは慌てるあまり、なぜか敬礼した。

「ふむ」

 サイシャーンは一応納得したらしく、エメザレのほうに向き直った。

「ところで、エメザレ。総監からお呼びが掛かった。君の話をもう一度ゆっくりと聞きたいそうだ。明日の朝、洗顔を済ませたら総監室に行きたまえ。朝食は是非一緒に、と言っていたが、気をつけろ。総監は君をよく思っていない。そして総監の悪い趣味は健在だ」
「望むところですよ。むしろそっちのほうがやりやすい」

 エメザレの声は刺々しい。
 悪い趣味というのは多分、男に対して欲情する癖が直っていないということだろう。外に出れば直ることもあるが、一生直らないこともあると聞いたことがある。
まさかエスラールが総監の所にまでついて行くわけにはいかないが、ついて行けないのが悔しく思える。

「エメザレ」

 サイシャーンは諭すように厳しい声を出した。

「冗談ですよ。気をつけます」
「では朝食の時間だ。遅れるな」

 エメザレの返事に深く頷くと、サイシャーンはお手本のように迅速な回れ右をし、部屋から出て行った。
 その広い背中をしげしげと見つめて、無性に抱きつきたい衝動に駆られたが、抱きつく代わりにエスラールは自分のことを力一杯抱きしめた。



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