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 村を過ぎると幅が二メートルほどの小さな川があった。エスラールはその川を通るたびに魚を目で探したが、一度も見つけられなかった。昔はマスが釣れたらしいと聞いたことがある。ひもじさのあまり、ひとびとが捕り尽くしていなくなってしまったのだ。マスだけではない、丘の一帯にはその昔、野ウサギもいたのだという。野ウサギもまた、飢えたひとびとによって狩り尽くされた。

「村人たちは、木の皮を剥がし、地面をほじくり返して幼虫を捕まえ、それを食べているのだ」

 教師はよく丘の上で大護院生に村人の生活がいかに悲惨かという話をした。それから「感謝しなさい」と言って大麦のパンと黄金色の飴玉を配った。半透明の飴はまるで芸術品のようで、いつまで眺めていても飽きなかった。口の中で消えていってしまうのが残念でならなかった。

 丘からは荒廃した広い大地がよく見えた。
 エスラールはカイドノッテの外は汚いのだなと何度も思い、素晴らしいコートを着られる自分は幸せなのだなと感じて、そのときに必ず頬っぺたが痛くなるほどに甘い、とても美味しい飴を舐めていた。

 幼い頃、その遠足の意味がわからなかった。なぜ遠足があるのか、なぜハンドベルを鳴らし、「愛国の息子たちだ」とわざわざ告げるのか、なぜコートを着せられるのか、なぜ丘の上で飴玉が配られたのか、少しも深く考えはしなかった。そして村人たちが、なぜ表情のない眼差しを向けていたのかもわからなかった。ただ、遠足に行けることが、コートを着られることが、飴を舐められることが嬉しいだけだった。

 けれどもある日、理解した。
 カイドノッテの教師たちは、大護院生に幸せであると思い込ませたかったのだ。愛国の息子たちはクウェージアに愛されていると信じ込ませたかった。だから国家に従順でありなさいといいたかった。愛の象徴がコートと飴だった。

 そして村人たちに知らしめたかったのだ。「愛国の息子たちを見よ。彼らはクウェージアの未来だ。このように素晴らしいコートを着ている。それだけの国力がまだクウェージアにはあるのだ。未来はまだ輝いているぞ」と。

 そして村人たちは、ちゃちな芝居を全て見抜いていて、なにも知らずに芝居をさせられ、やがて戦場で死に行くであろう大護院生を哀れみ、同時に、飢えを知らず清潔で、上等なコートを着ている大護院生を羨み、それらが相殺され無となって、あの言い表しがたい表情と眼差しを作り出していたのだ。

 それを理解したときから、エスラールは丘の上から村を見るのをやめた。村に背を向けて、パンを頬張るヴィゼルの不細工な顔を見て笑っていた。
世界は隅々まで荒廃し尽くしていて、腐り果てていて、聖典や伝説に出てくるような美しい場所なんてどこにもないことを悟ってしまったからだ。エスラールは人生に心底失望した。



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