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 とりあえず起き上がったが違和感がある。なんか世界が斜めになっている。首が右側に傾いている気がする。

「痛たた! 痛っ! いったいぃぃぃぃ」

 首を真っ直ぐにしようと手で頭を動かすと、激しい痛みが走った。まぁ首は繋がっているようであるし、呼吸もしているし、死にはしないだろう。しかし昨日と今日の出来事でエスラールの頭部はもうボロボロである。

 しかたないので首を右に傾けたまま、状況を整理しようと考え出すと、真っ先にエメザレの冷たい唇のことが浮かんできた。自分の唇がまだ冷たいような錯覚があり、親指でなぞったが、そこにはなんの名残もなかった。

 いや、それよりも、エメザレは?
 エスラールはエメザレのベッドに目をやったが、ベッドは空だった。
 今は何時なのだろうと思った。気絶してからどれだけの時間が経ったのだろうか。とにかくエメザレが帰ってきていないことだけは確かだ。行かなくては。早く助けなくては。きっとまた一人で震えて泣いている。

 エメザレはもうエスラールの世界の一部なのだ。どんなに遠くへ行ってしまっても、二度と会うことがなくても、永遠に仲間だ。それは定められた自由のない人生の中で、失望はびこる現実の中で、最も大切にしなければならない気持ちなのだ。
 それがエスラールの“まともな精神の保ちかた”だ。生き方だ。
 エスラールは痛む首を傾け、部屋を飛び出した。


 二号寮に足を踏み入れると、威嚇するような空気が昨日と変わらずに流れていた。しかし今日はそれに躊躇することなく、エスラールは二号寮に入っていった。

 入ってすぐに、よく響く高い喘ぎが聞こえて、その声がエメザレものだとなぜかわかった。暗闇の中に浮かび上がるサロンは異次元への入り口のようで、うごめく大きな塊のシルエットが遠巻きから見えた。巨大な影絵のような塊は不定形で、動きが不気味だ。わずかな怯えが生まれたが、エスラールは止まらなかった。

 サロンに近付くにつれて、シルエットが詳細になり、それがひとの群れなのだと理解した。その群がりの隙間からエメザレの姿が見えた。飢えた虫が甘いものに群がるように、男たちがエメザレに群がっている。男たちはエメザレの首や腹や足に、文字通り激しく喰い付いていたので、一瞬食われているのではないかと思った。エメザレはされるがまま、床に横たわり、痛いのか、時折身体を仰け反らせて悲鳴に近い喘ぎ声を上げている。

 彼らは行為に必死で、走り寄るエスラールに気付かない。

「エメザレから離れろ!」

 エスラールはサロンの真ん中でうごめいている塊に向かって言った。



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