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 何度歩いてみても、誰もいない静かな廊下は自分にふさわしい気がしてならない。なぜそう思うのかは知らないが、とにかく誰もいない場所というのが自分には似合っていると思うのだ。

 午前の訓練はもう始まっているだろうか。
 エメザレはそんなことを考えながら、西棟の廊下をゆっくり歩いていた。

 エスラールは朝食に現れなかった。サイシャーン総隊長もだ。
ガルデンには朝食を取らなくてもいい自由はない。食事であろうとも、遅れれば遅刻の扱いであり、遅刻は処罰の対象だ。もちろん食べ損ねた食事は二度と出てこない。

 エスラールは確かに起きていたし、あの後で二度寝をするというのも考えづらい。それに総隊長が遅刻するというのも有り得ないほどの失態だ。ただの遅刻には思えなかった。

 もしかして僕のことを二人で話しているのだろうか。いや、自意識過剰なだけか。処罰を受けてまで、話し合う必要がどこにあるというのだ。きっと考えすぎだ。

 石造りの廊下は歩くたびに硬い音を響かせる。けして温かみのある音ではないが、静かな廊下で僅かに反響する無機質な音が、エメザレはとても好きだった。

 西棟には厳かな雰囲気がある。どでかい礼拝施設が置かれているせいだ。クウェージアでは夜の神、エルドを崇拝しエルド教を国教にしている。日の沈む西側は神聖な方角とされているので、礼拝施設は絶対西に置かれるらしい。西棟の半分以上を礼拝施設が占めており、千人がかなり余裕を持って座れる広さがあるのだが、そんな余分があるならば食堂をもっと広げてほしいといつも思う。

 右手に現れた礼拝施設の表の壁は真っ白く、黒を基調とするガルデンの内装の中では明らかに異質だ。礼拝施設の中では十メートル弱の巨大なエルド像が、穏やかな微笑みを湛えて無償の愛とやらを振りまいてくださっていることだろうが、今は中に続く扉は全て硬く閉ざされている。日の昇っている時間帯に祈ることは許されていないのだ。

 だが目的の場所はここではない。とくに神にすがりたい気分でもない。エメザレは礼拝施設を通り過ぎ、更に奥へと向かっていった。

 どでかい礼拝施設に比べると、たいそうこじんまりした印象の医務室は西棟のたいぶ奥まったところにある。廊下は行き止まりで、医務室に用がない限りは立ち入らない場所だ。エメザレは医務室の扉をノックすることなく、静かに開けると部屋の中に倒れこんだ。

「大丈夫?」

 慌てた声がして、エメザレはすぐに、駆け寄ってきた先生に抱き起こされた。

「すみません。すごく気分が悪くて……」

 弱々しい声で訴え、エメザレは顔を上げて先生を見た。先生は優しそうな顔立ちで、三十の半ばくらいに見える。少し長めの黒髪は緩やかなウェーブがかかっており、垂れ目がちなのもあいまって、全体的に温和な雰囲気がした。嫌味ではない程度の適度な気品も持ち合わせていて、目元になんとも言えない大人の色気があり、麗しいという言葉が似合う。エメザレの肩を抱く大きな手は力強く暖かくて、先生が大人の男性であるということを実感させた。

「君か。また調子が悪いの? 大丈夫?」

 先生はゆったりとして擦れた声で囁き、大切な子供を抱きしめるようにエメザレを抱擁した。

「いつもは我慢できるくらいなんですが、今日は立っていられないほどひどくて。足に力がはいらないんです。それに身体中が痛い……。訓練に向かう途中で倒れそうになったから、教官になにも言わずに来てしまったんですが……」

「とりあえず、ベッドに横になりなさい。立てる?」

「はい」

 エメザレがよろけながら立ち上がると、先生はエメザレの腰に手を回して、少々強引に引き寄せ、身体を密着させるようにして支えた。嫌というほどでもなかったのだが、無意識に身体がびくついてしまい、先生は支える腕の力をそっと弱めた。


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