子供の王国
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「総隊長、なにも殴ることないじゃないですか……」
エスラールは少し前を歩いているサイシャーンの凛々しい背中に言いながら、自分を慰めるように、頭のてっぺんでぷくぷくに膨れているたんこぶを撫でた。
昨日からまったくいいことがない。ヴィゼルには童貞の喪失を疑われ、チョップを食らわされ、昨日助けたはずのエメザレからは、恩を返されるどころかインポとか言われ、そのおかげで仲間からはめでたくもインポに認定され、サイシャーンからは超強烈なゲンコツを頂いた。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことだ。さすがのエスラールもいじけたくなってくる。
「すまない。あそこで君を殴らなければ、一号寮はしばらくインポテンツという単語で溢れかえっていたことだろう。申し訳ない。君は尊い犠牲だった。悪いと思っている。許してくれ。君のたんこぶを無駄にはしない」
サイシャーンは拳を握り、肩を震わせて背で憂える。
「僕って可哀想です」
エスラールは自分の存在を哀れんで泣いた。 サイシャーンがエスラールの頭頂にゲンコツを打ち下ろした瞬間、野次馬はクモの子を散らすように逃げていった。ついでにヴィゼルもいつの間にか忽然と姿をくらましていたので、なぜか成り行きでサイシャーンと顔を洗いに行くことになり、こうして仲良く廊下を歩いているのだった。
洗面所は半分外にある。外というか、屋内にはあるのだが、屋根がついていない。洗面所の中央には高さが二メールはありそうな、石を組み上げて作った四角い貯水槽があり――巨大な浴槽に似ていた――洗面はそこにたまっている雨水を使っている。
一号寮の洗面所は思いのほかすいていた。いつもならば、エスラールもとっくに顔を洗い終えて食堂に向かっている頃だ。そろそろ焦らなければならない時間なのだが、サイシャーンのペースはゆっくりだった。
貯水槽には一メートルほどの高さの位置に、小さな穴が規則的にいくつもあけられていて、普段はコルクが詰まっている。そのコルクを抜くと顔を洗うのに丁度いい水圧で水が出てくるのだ。
「昨日は大変だったそうだな」
サイシャーンは出てきた水で顔を丁寧に洗いながら言った。
「な、なんで知ってるんですか!?」
一体どこから見ていたのだろうか。常に殺気を無意識に纏っている、サイシャーンのような危険人物(?)が後ろにいれば、すぐに気がつきそうなものだが。
エスラールは口に含んだ生ぬるい水を噴き出した。
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モドル