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「好きかってきかれると困るな。でも嫌いじゃない。そうだな、好きでも嫌いでもない食べ物に似ているかな。例えばパンとか。あの毎日食堂で出てくる、中身になにも入ってなくて、大麦のぼそぼそしてるパンだよ。それに似てるよ。すごく食べたいわけじゃないけど、食えと言われれば食べれるって感じ」

「は? パン?」

 セックスがパンに似ているというのは、どういうことなんだろうか。エスラールにはその例えがよくわからなかった。というか、そもそもエスラールには具体的なセックスの知識がないので、どのように例えられても理解できなかっただろうが……。

「エスラールにはわかんないよね。価値観が全然違うんだから。だってエスラールはセックスを宝物みたいに思っているんでしょう? それは正しいよ。それが正常であってほしい。君はそれでいいんだ。覚えてないけど、きっと僕にもそんな頃があったはずだ。

 でも僕はセックスがなんなのか、宝物なのか、大事なのか、素敵なことなのか、よくわからない間に奪われてしまった。そして失われた価値は、もう永遠に戻ってこない。おそらく僕は生涯、セックスにパン以上の価値を見出すことはないよ。だから大丈夫だよ」

 エスラールはその言葉の中に、エメザレの喪失と先天的な悲観がどのようにして生まれたのか、という答えが含まれているような気がした。そして、なんと自分は恵まれた人生を送ってきたのだろうかとも思った。

 エスラールの周りには常に正しい大人がいた。エスラールの育った大護院はかなり田舎のほうにあった。他の大護院がどうなのかは知らないが、客観的に見てもみすぼらしい建物で、ガルデンに比べると食事の質はかなり悪かったし、都市部にある大護院とは違い、子供の数も格段に少なかった。

 だからエスラールは、ガルデンの食事が美味しいと感じることができたし、ガルデンの外観を美しいと思えた。そして、少数制であったからこそ、親の代わりとまでは言わなくとも、大人たちからある程度の愛情らしきものを貰うことができた。厳しい監視下に置かれてはいたが、悪いことをした者にはしっかりとした制裁が加えられ、それによって道徳を教えてもらえた。悪いものから守ってもらえた。

 しかしエメザレはそうでなかった。きっとエメザレは正しい大人が機能していない大護院で育ったのだ。誰からも守ってもらえず、守る術も教えてもらえず、なにがなんだかわからない間に色々なものを奪われてしまった。

 童貞が宝物というのはなんとも滑稽な表現だが、エスラールは確かに大切に考えていた。大切なのだとわかるまで持っていられたのは、軽く奇跡だったのかもしれない。

「なにがどう大丈夫なんだよ。それ説明になってないし、全然駄目だし」

「だからさ、僕は宝物を粗末にしてるんじゃないよってこと。パンを無限に配っているだけなんだ。傷付いているといってもたかが知れてる。君が犯されるのと、僕が犯されるのとでは全くもって重さが違うんだから。エスラールの価値観でものを言われても困るよ」

「価値観と重みの違いはわかったよ。確かに俺がエメザレと同じ目に合ったら、三日目くらいで自殺しそうだよ。けど俺が聞きたいのは、どうして少なからず傷付くような行為を率先してやってんのかってこと。理由がないわけないだろう」

「それは……」

「起床――――――!!!」

 エメザレの言葉を遮るように、再び叫び声と騒々しい起床の鐘の音が近付いてきて、部屋の前を通り過ぎていった。
 部屋の外はすでに、洗い場に向かう仲間たちの話し声と足音で溢れている。

「早く顔洗いに行ったほうがいいんじゃない」
「逃げるなよ。大切な話をしてるんだ」

 エメザレは毛布をはねのけ、ベッドから抜け出そうとしたので、エスラールはエメザレのベッドに半分乗っかるように詰め寄って、とっさに左腕を掴んだ。エメザレは腕を掴まれると小さく震えて身体を硬くした。その顔には僅かな恐怖が浮かんでいる。



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