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 真夜中も真夜中の時間帯だけに一号寮は静かだった。廊下に灯は一切なかったが、外廊下から入ってくる月の明かりで案外暗くはない。

 エスラールは急いで一階に降り立つと、サロンに誰もいないことを一応確認してから、訓練場を突っ切って二号寮へと向かった。訓練場には白っぽい砂が敷かれているのだが、それが月光を反射して黒い二号寮を下から不気味に照らしていた。

 エスラールにとって二号寮は未知なる領域だ。いつぞや述べたように一号隊と二号隊にほぼ接点はない。二号寮に用があるわけもなく、立ち入りたいとも思ったこともなかった。もはや別世界だ。

 彼は初めて二号寮に足を踏み入れた。ぱっと見た限りでは一号寮と間取りは変わらないようだ。しかし方角の問題なのか、気のせいなのか月明かりが弱々しく感じる。なんだか一号寮とは空気が違うように思う。冷たい風が吹いてきて、エスラールを威嚇するみたいに撫でていった。

 帰ると言ってもどこに帰ったのだろう。
 エスラールは考えた。普通に考えれば前に住んでいた部屋だろうが、それが何号室なのかわからない。まさか一室一室訪ねて回って探すわけにもいかない。誰かがいれば聞けるのだが、この時間帯では誰かを見つけるのすら難しそうだ――いや、サロンがある。あそこは夜通しランプが点いているから、もしかしたら誰かいるかもしれない。

 エスラールはサロンに向かおうとした。

 が、“二号寮のサロンには幽霊が出るんだ”というエメザレの言葉が頭を駆け抜けて止まった。忘れていればよかったものを、こういう時に限って思い出してしまう。

 あの威嚇するような冷たい風は一体どこからやってきたのだろう。

 幽霊などいるわけがない。そう、いるわけがないのだ。しかし頭ではわかっていても、怖いものは怖いのだ。全く足が進まない。二号寮に一歩入ったところで、エスラールは立ち往生していた。

 情けないが怖い。迷惑を覚悟でヴィゼルを叩き起こして付き合ってもらおうか。でもさすがに悪い気がする。エメザレを見ておけと頼まれたのはエスラールだ。ヴィゼルを巻き込みたくない。

 また強い風が吹いた。夜の肌寒い空気が帰れとばかりにエスラールを押してくる。だがその風がエスラールの耳に微かな音を届けた。

 泣き声だ。すすり泣き、時おり嗚咽が混じっている。猫ではない。鳥でもない。そして幽霊でもない。エメザレだ。泣き声で人物を特定できる特技は持ち合わせていないが、それでもわかる。あれはエメザレの声だ。

「エメザレ」

 エスラールは泣き声のする方へ走った。
 間取りが一号寮と変わらなければ、一階の正面廊下を真っ直ぐ行くと、サロンに辿り着くはずだ。案の定、廊下を真っ直ぐ進んでいると、ぼんやりと明るい空間が見えてきた。やはり二号寮のサロンもランプは点きっぱなしらしい。エスラールは灯を目がけて突進した。



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