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 薄暗い部屋の隅で細い影が立っている。

 よく表情も見えないのに、エスラールはまるで来ない誰かをずっと待っている孤独のようなものを感じた。エスラールに気付いたその影は、そっとこちらに近付いてくる。彼は思わず身構えた。


「よろしくね、エスラール」


 そう言って微笑んだ時、やっとエメザレの輪郭がはっきりと見えた。エスラールは初めて間近でエメザレを見たのだ。

 遠くから見るよりずっと目元が鮮やかだ。静脈が透け、僅かに青味がかっていて、その上から上気しているような赤味がうっすらと差している。

 深い夜淵の色の髪は一本一本が細くしっとりした光沢を放ち、はっとするような白い肌は、まだ誰にも踏まれたことのない雪のように純潔だ。

 黒い瞳には静かでありながらも屈強で直線的な意思が見て取れた。本有的な悲愴を背負い、全てを抱きしめるようにして、そして何かを諦めている。

 エスラールはエメザレから目を離せなくなった。けして一目惚れに落ちたのではない。エメザレの瞳を見て直感に打たれ、わかってしまったからだ。

 エメザレは無傷だ。魂は死んではない。狂ってもいない。噂は全て嘘なのだ。誰かが悪意を持って作り上げたのだ。そうでなければこんな生きている眼を持っているわけがない。

 エスラールにはエメザレの本質がなぜか瞬時に、まるで運命のように理解できた。おそらく今まで誰も、見ることも気付くこともできなかったものだ。なぜ突然に自分にだけそれが見えたのか、エスラールはわからなかった。


 このひとを、助けなくてはいけない。

 とにかくエスラールはそう思った。


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