シルベーヌは、恐ろしく聡明で美しい少女であった。まだ成人していないにも関わらず、彼女の口から出るのは大人顔負けの知識と、その知識を生かした言葉。未来まで見通せる。そんな風に影で噂されるようになったのはつい最近の話ではない。
ウィルジアの霧の森には魔女が住んでいる。いつしかシルベーヌは魔女と呼ばれ、彼女の住む屋敷のある森へは人が寄り付かなくなった。
シルベーヌ自身それを望んだわけではない。魔女と呼ばれていても中身は普通の少女だ。人から遠巻きにされるのは嬉しくもないだろう。
彼女はただ、普通の人間として生きたかっただけだ。数年前に家を出た姉を待ちながら、ただひっそりと普通の暮らしをしたかっただけ。それなのになぜこうなってしまったのだろうか。
彼女は日課のように書斎にこもり、両親の残した大量の本を読みあさる。本のジャンルは様々で、図書館のようだった。
両親を早くに亡くしたシルベーヌには姉と本が先生で、姉のいない今は本に頼らざるを得ない。ルイも頭は悪くないが、シルベーヌと比べるとどうしても劣ってしまう。ルイはそれをよく分かっているために、シルベーヌが書斎にこもると一切干渉してこなかった。
読みかけの本や、父親がつけていたらしい帳簿に目を通し、そこにあるだけの情報を吸収する。姉とルイ以外と顔を合わせることのなかったシルベーヌは、活字を追う事にどんどん表情を失っていった。
「この本の続きは……」
分厚い専門書を読み終わり、次の本を探そうと立ち上がった時だった。カーテンの向こうで窓ガラスが控えめにコツコツと鳴った。
何か鳥でもぶつかっているのだろうか。小鳥が窓にぶつかるのは日常茶飯事。放っておけばすぐにどこかへ行くだろう。シルベーヌはそう思って本を探す作業に戻った。
三十分ほど経ったが、窓がなり止むことはない。一定間隔でコツコツと鳴っていて、その音がやけにシルベーヌの耳についた。
「これではおちおち本も読めないな」
シルベーヌは仕方なく立ち上がり、レースのカーテンを開け、窓の外を伺った。
変に賢いカラスかなにかだろうか。そう思っていたのに、窓の外にいたのは金髪の青年だった。
濃い灰色の軍服から見るに、ディアフィル帝国の兵士らしい。前髪をあげ、頭に包帯を巻いている。宝石を思わせる透き通った青い目が優しそうに細められていた。
シルベーヌは予想外の出来事に目をパチパチさせるだけ。霧の森に入る人間などいないし、他国の人間からすれば霧の森は迷いの森だ。どこまでも鬱蒼と続く森は、森を良く知る人間でないとただの終わりのない迷路と同じなのだ。
「ご機嫌よう、聡明な魔女殿」
「な、なぜディアフィル帝国の人間がこんなところに……」
「少しばかりお話をしたいと思いまして。魔女殿の力をお借りしたいわけではないのですよ。ただ話相手になりたいだけで。……といっても、私なんかが魔女殿の話相手になれるとは思わないのですが」
私は頭があまり良くありませんから。恥ずかしそうに笑った彼に、シルベーヌはただ困惑するだけだった。
話相手になりたいというだけで、わざわざ不侵の協会を越え霧の森にやってくるのだろうか。本当にそれだけのために来たのなら、目の前の男はただの阿呆でしかない。
――きっと、なにか裏がある。シルベーヌははにかむ男の真の目的が何なのかを考えはじめた。なにかがあってからでは遅いのだ。あらかじめいくつかの可能性は考えておかないといけない。
常に最悪の場合を考える。それがシルベーヌの生き方であり、最大の護身術だった。
男の仕草や声色から何が目的なのかを探るが、全く考えが読めない。なにか裏があるはずなのに、何も読めない、見つからない。
……こいつは本物の阿呆なのだろうか。シルベーヌが男に同情しかけたとき、彼がニコニコ笑ったまま口を開いた。
「魔女殿はなにかお好きなものは?」
「……は」
「甘いものだとか、可愛い洋服だとか、動物だとか。とにかく好きなものはありますか」
「し、強いていうなら本、が好き……だが……」
「本ですか、分かりました」
突然の質問にシルベーヌが答えれば、男は更に嬉しそうに笑う。完全に男のペースに乗せられている。
何か言ってやろうにも、男の目的が分からないだけ何をいえばいいのか分からない。魔女と呼ばれるシルベーヌにもわからないことはあるのだ。
男はシルベーヌに興味があるようで、更に質問を繰り返す。どんな本が好きなのか、好きな作家はいるのか、どれくらいで一冊を読み終えるのか、どんな本をいつも読んでいるのか。
質問される度にシルベーヌがぎこちなく答えれば、頷きながら笑顔でそうですかと返す男。本当に彼の目的はなんなのだろうか。マイペースそうなところが見られるし、本当に話相手になるためだけに来たのだろうか。
暇人だこと。わざわざこんな森の奥に、話をするためだけに来るなんて。本当に変人だ。
シルベーヌの中で男がどんな人物であるかが定まっていく。彼女の中で男はただの物好きな暇人。失礼にもほどがあるが、シルベーヌはそう捉えた。
「おっと、そろそろ行かないと日が暮れるまでに本部へ到着できないかもしれないな……。魔女殿、とても楽しかったです。また来ますね、失礼します」
「あ、ああ……」
勝手にやってきて、勝手に帰る。男はまるで嵐のようだ。シルベーヌが呆気にとられているうちに、男は森の中へと足を進めていく。
途中で振り返ったと思えば、シルベーヌへ大きく手を振り始める。彼の中でシルベーヌは友達かなにかなのだろうか。
どうするべきか悩んで、恐る恐る小さく手を振れば、男は嬉しそうに笑ってから走っていった。方向は分かっているのだろうか。分からずに走っているならもう二度と会うこともないだろう。
本当によく分からない奴だった。シルベーヌは困惑しながらそう思った。また来るとは言っていたが、おそらくもう来ないだろう。わざわざ霧の森の奥に入ってまで話すような人間でもあるまい。
シルベーヌはふう、と一つ息をついてから窓とカーテンを閉め、次に読む本を探し始めた。思ったよりも重かった本をなんとか受け止め、彼女は小さくはあ、とため息をついた。
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