――お前には三週間後軍をやめてもらう。
アーリシュの元から去っても、何度も頭の中を巡る一言。いつかは軍を去るときが来るだろうと思っていたエリザベスだが、一番引きたくない今去れと言われても素直には頷けなかった。
アーリシュに了承の返答をしたのは、ほぼ社交辞令のようなものだ。アーリシュの命令も大切だが、エリザベスの中で最も重要なのはシルベーヌだ。いくらアーリシュの命令でも、エリザベスがシルベーヌを守る手立てを無くすような命令には頷けない。
シルベーヌは辛い思いをしてきたのだ、もう二度とそんな思いをさせないために。エリザベスがシルベーヌを置いてまでエンパード軍へ入ったのは、ただそんな理由だった。
シルベーヌを守るために、一体なにを犠牲にしてきただろう。幼い小さな体を張って、自分を傷付けて。何年間もボロボロになりながら、歯を食いしばりながら踏ん張った。それでも得たものより失ったものの方がはるかに多いのだ。
期限付きの、守護者気取り。残された三週間の間は、今までのようにシルベーヌのために体を張れる。
だが三週間たってしまったら? 帰る場所も、シルベーヌへ何か与えられるものもないくせに、のこのこ家へ帰るのか?
それしか選択肢がないとしても、エリザベスはそれを選べない。選べるはずがないのだ。数年前に自分がシルベーヌへ言った言葉のせいで、帰るに帰れない。
――絶対、私が守ってあげるから。幸せに暮らせるように、守ってあげるから。次に会うときは、シルベーヌが泣かなくていいようにするから。
今でもはっきりと思い出せる、幼い頃の自分の言葉。半分呪縛になっている己の言葉に頭痛がする。自分で自分の逃げ道をなくしてから、エリザベスは単身で異国の軍へ飛び込んだ。
エリザベスを守るものも、エリザベスを必要とする人もいない。全てがエリザベスとは深い関係をもたないものの溢れる国で、軍で。
全てを捨ててきたはずだった。それなのにエリザベスはなにも捨ててこれなかった。よくよく考えれば全てを抱え込んで、それでも自分は空っぽなのだと、全てを置いてきたのだと自分を騙したかったのだ。
全てを置いてこれなかったツケが回ってきたのか。エリザベスはやるせなくて拳を壁へつき、情けなく笑った。
「私は、馬鹿か……」
漠然とした理想を抱いて、具体的な方法も考えずに突っ込んだ幼かった自分。軽率にも程がある行動がゆっくりと、それでも確実にエリザベスの首を締めていた。真綿で首を締められるとはまさにこのことだ。
残された三週間で何ができる? 三週間が過ぎたとき、何をすればいい?
考えても、全くわからない。自然とエリザベスの口から乾いた笑い声がこぼれ、それからぼろぼろと涙が遅れて落ちた。
今までシルベーヌを守ることがエリザベスの存在意義だった。それに突き動かされてなにも考えずにただなんとなく生きてきた。
だが、よくよく考えればエリザベスにはそれ以外に何もなかったのだ。自分が、ない。
シルベーヌを守りたいと行動していたのは間違いなくエリザベスの意思だ。だがそれだけなのだ。自分のために動いたことなどないに等しい上、どんな人間かと聞かれても答えられない。本当に、なにもないのだ。
空っぽなのはあながち間違いでもないかもしれない。悪い意味で。
今のままではきっとダメだ。わかっていても、どうにもできない。シルベーヌを守るためには何が必要なのか。今何が足りないのか。
考えても良く分からない。とにかくがむしゃらにやるしかないのだろうか。生き延びて、またシルベーヌの隣で笑うために。
「……前線に戻るしかないか、砲撃手じゃダメだ」
「エリー、前線に戻ってくる気になったの? 坊ちゃんには僕が話をつけておくよ」
「……ジギアス大尉、いつからいらっしゃったんですか」
「さっき階段を登ってきたところだよ。オッサンだから体力はないけど気配を消すことだけは得意だからね」
「はあ……」
妙に誇らしげな顔をするジギアス。確かにジギアスは気配を消すのがうまい。だが自分でそこまで自慢してはその凄みがないというか。
噂では大尉になる前、女神の聖戦で気配を消し敵に近づき、一人で中隊三つを壊滅させたらしい。それが事実なのか否なのか、エリザベスには分からない。わからないが、なんとなくやってのけそうな気はするのだ。子供っぽく、軍人にしてはゆるすぎるが。
「僕はエリーは前線にいるべきだと思うよ」
「はあ」
「エリーは自分の手で勝たなきゃきっとダメになる。自分を見失って、戻れなくなるよ」
「……なぜ、そうお思いになるのですか」
「さあ? 僕にもわからない。強いていうならそうだな……僕の今までの経験かな」
そう言って、ジギアスはエリザベスに背を向けゆっくりと歩き出した。少しおどけたような歩き方が彼の年齢と、今の状況、それから無機質な廊下でただただ異質だった。
まさか、戦争を楽しんでるんじゃないだろうな。エリザベスが心の中で少し疑ったとき、くるりとジギアスが振り向いた。まさか心を読まれたのだろうか。ドキドキしながらジギアスの顔を見れば、眼鏡の奥の瞳がすっと細められた。
「僕はね、エリー達を大切に思ってるんだよ。僕は多くのものを戦争で失いすぎた。だから今手の内にあるものは守りたいんだ。エリーにも守りたいモノがある、だから僕はエリーが目の届く場所にいてほしいのかもしれないね」
――守るべきものを守りたいのは誰だって同じだからね。守るべきものを失った痛みは、当人にしか分からない。エリーにはその痛みを味わって欲しくないんだよ。
柔和な笑みを浮かべながら、ジギアスはゆったりと言った。少しくたびれたように見えるジギアスはどこにでもいるオジサンのように見える。
どういうことですか。エリザベスが問おうと思った時にはもうジギアスは歩き始めていた。香りのキツい葉巻をくわえ、前かがみになりながら火をつけ歩いている。
禁煙であるのに構わず葉巻をふかすジギアスはただ何かを隠そうとしているように見えて、エリザベスは何も言えずそこに突ったっていることしかできなかった。
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