学校が終わった京介は輝や狩屋などと別れを告げ、グランドに向かった。彼らは明日には入部届けを出すらしい。絡む気すらしないので関係なかったが、あたまに居るのはあのバカみたいな笑顔。友達というものもいいかもしれない。
(だからまたこんなに見られても平気だ)
もらったばかりのユニフォームを着てグランドに立った瞬間、やはり周りの部員たちから注目を浴びた。震えそうになる足を一歩、また一歩と歩みを進めやっとサッカーボールのところまでたどり着く。
とん、と爪先だけで蹴ってみる。サッカーボールは答えるように前へ進み、ぴたりと止まった。京介はやっとサッカーができると心を踊らせる。胸一杯に広がる自由なサッカーへの期待。
(有名なサッカー校、いずれ俺の注目もなくなるだろう)
上手いばかりに妬まれた中学の日々。今思い出すだけで、頭痛がする。
(大丈夫、俺ならやれる。あと少し我慢すれば、俺が目をつけられることもない)
リズミカルな京介のドリブルは順調に進んでいく。もしここに選手がいたとしても、京介を止めることはできないだろう。そんな京介のプレーに心を奪われる者は少なくない。その反対に、妬む者もまた、生まれるのだ。
「いいぞ、剣城! その調子だ。」
そこで、京介の足は止まった。声がする方へ顔を向けると、そこには監督がいる。あの、監督だ。
「おい、なにしてるんだ2、3年! かなり差が見えるぞ」
すると彼は2年や3年に厳しい言葉をぶつける。とくに3年からしてみれば、2才も下の新人と差がついている(ましてや自分の実力が下)と言われれば、プライドなど壊されたものと一緒。先輩たちは円堂の掛け声と共に、気合いを入れ直した。
そして彼の育成の餌食となった京介は、走ることは不可能である。いまから京介が動けば、その行動は選手たちの見本となってしまうからだ。京介は自分と彼らに大きな差があるとは思えない。ならばなぜ、自分が監督から誉められるかと言えば、やはり、餌食となったからだ。
円堂は京介を見て、一滴も黒に染まっていないかのような笑顔で答える。京介は彼をみて思った。
(あいつ、俺を使ってやがる)
睨み付ければ返されることもなく、円堂の目は選手たちの方へと向けられる。円堂は京介の実力など、認めてはいなかった。ただ、選手たちをより強くするための道具だったのである。
「くそったれ。」
呟いた言葉が聞こえたかは知らないが、円堂が少し嬉しそうになったのが見えた。
*
「ちょっと待てください。」
長く感じた部活も終えて、京介は裏門で円堂を捕まえる。円堂も分かっていたようで、京介の言葉を聞いて一歩も動かずに京介を見た。
「なんだ?」
「他の選手の士気をあげるために俺を使うの止めてもらえませんか、凄く迷惑です。」
「なんの話だよ」
「とぼけないでください。あんたは俺のプレーを誉める気もないくせに」
とぼける円堂に京介が問いただすと、さすがに効いたのかため息をつく。そして、話を終えたかのように歩き出してしまった。京介は話に決着をつけたいので円堂についていく。どうせ帰りは部屋以外は一緒だ。自転車も今日ばっかりは置いていく。それくらいで円堂と話がつくなら本望だ。
円堂の返事を待つために一歩後ろを歩いて背中を見ていると、円堂は振り向く。そして口を開いた。
「たしかにお前の独りよがりのプレーには、吐き気がする。はっきり言って、お前みたいな中途半端な奴がここの学校の推薦で来たのは理解できないしな。まぁだからお前を育てるなら、あいつらを成長させるためにお前を利用したほうがいいんだよ」
円堂はかわらず歩きながら言っているというのに、ついていく気だった京介は迫力に足を止める。あの張り付いた笑顔は剥がれてしまったかのように、口も目も笑ってはいなかった。光を遮るような円堂の瞳は、どこを見ているかわからない。京介を見ていると言うよりも、京介のずっと後ろ、過去すら見ているようだった。
京介は吐き気がする、とまで言われたならば、普段は反論できたはずである。なのに、出来なかった。一点に縛られたかのような感覚である。
すると、いきなり円堂の瞳に光が入った。金縛りにあっていたかのような京介は、いつもの腹立たしい円堂に戻ったのだと悟る。円堂はまた、笑顔をはりつけた。
「なんてな。間違ったこと言うから意地悪しただけだ。」
仲直りとして、一緒に帰るか?とおどけたように言う円堂に、京介は首をふる。そんな京介に残念そうに、円堂は眉を下げてさよならとだけ言って早歩きで去っていった。
(意地悪、であんなこと言えないよな、普通。)
やはり光のなかったあの瞳には底知れない本性があると思う。だが、
(…気のせいか)
そのあとに見せられた笑顔が嘘とも言えないので混乱する。とりあえず面倒ごとは避けたいので、最低限のこと以外さけることにした。
京介に背中を向けた円堂はと言うと、のんきにコンビニに寄り、ジュースを手にとる。そして店員に出すと、あたりまえのようにレジを打つ彼女におつりはいらないといえば彼女は頬を染めた。毎度ありがとうございます、と渡されたレシートにはもう一枚の紙がついている。円堂は気づかないふりをして、両方受け取った。
そのあと鳴った着信は今日の夜会うはずの女性からだ、そして今から向かうのは夕方だけ会う予定の女性のところ。
「ああ、仕事が長引きそうだから。9時にはいけるよ、ごめんな、うん、愛してるよ」
生まれて何度言ったか分からない愛の言葉を告げると、早々に電話を切った。そして円堂は一口ジュースを飲むと、レシートと共に渡されたメールアドレスが書いてある紙を眺める。もしよかったら連絡ください、と書かれた紙は前から渡そうとしていたのだろう。紙が弱りきってる。円堂は紙を愛でることもなく、道の途中に捨てた。年下の彼女には興味はない。そしてまた、電話が鳴った。相手はこれから会う相手。
「ああ、もう少しでつくよ。早く会いたい」
彼女とは付き合っている、だがもう飽きたので一週間後には別れる予定だ。そんな相手に会いたいなど、言うだろうか。否、悪意がなければ言えるはずがない。この通りいくらでも、彼の口からは嘘を生むことができるようだ。
「ああ、好きだよ」
円堂はそう呟きながら、彼女のことなど脳では一ミリも入れず、次剣城をどう苦しませるか考える。本性を出すのは、まだ早かった。なぜならば本性が知られれば、彼は円堂から離れていく。
(もう知られてると思うけどな)
そう思いながらも、あせる気持ちなどなかった。今まで円堂の笑顔の裏を暴いたものは、誰ひとりとしていない。だからこそ、楽しみになった。京介はいつ、円堂の本性に気付くかを。飽き性の円堂にしてみれば、手応えのあるゲームだとおもった。気付かれても、気付かれなくても京介を自分のもとで育て上げ、苦痛ににじむ表情を作り上げる。
(あいつの悲しそうな顔は、サイコーだな)
我慢や悲しみを含めた京介の表情、それは円堂から見れば楽しくてしかたがない。
そう、円堂は京介の予想通り笑顔の裏には、人の苦しむ姿を見て楽しむという最悪な性格が隠されていたのだ。
(俺の嫌がらせにどこまで頑張るんだ、剣城京介。)
円堂は彼女と会う約束の場所に着き、扉を開ける瞬間までも京介を考えている。恋をしている情熱と同じ感情を持ちながらも、彼の情熱のベクトルの向きは少しとならずおかしかった。