「次はグランド十周、終わった者から自主練をはじめていいぞ!」

 円堂が変わらない笑顔で言うと、部員達は大きく返事をする。円堂はその声に満足げに笑うと、端のベンチに座るとファイルを広げてデータを確認していた。そんな円堂を京介は黙って見ていて、グランドを走っていたが端に寄り、ベンチの前に立つ。

「まだ一周も走ってない、休むな」
「円堂さん」
「…監督、だろ」

 こちらを見ずに言っていたが、京介が名前を呼んだ瞬間、反応して引きつった笑顔を浮かべたまま顔を上げた。京介は円堂が動揺しているのを見て、腕を組む。円堂の口が微かにピクリと動いたのが見えた。

「円堂さんが言ったんじゃないですか、呼べって」
「それは付き合ってる時だ、今は」
「今も付き合ってます」

 言った瞬間、円堂の笑顔がなくなる。周りの掛け声が響いて自分たちだけでは無いのだと意識させたが、京介は今言わなければならないと思った。帰りに言えば彼は逃げる、ならば今言わなきゃいけない。注目されることは嫌いだ、誰かに見られることも、だがそれ以上に円堂と離れるのが嫌だった。円堂が別れると言ったならばそれは本当に別れるという意味。もう連絡も取らなければ、話すのは先生と生徒、監督と部員、ただのお隣さん。それだけでは、耐えられないのだ。
 京介の言葉に円堂が両手のひらで顔を包むと、笑いで肩を揺らす。耳障りで奇妙な笑いが耳に残ったが、愛想笑いじゃないと知っただけで京介は自分がしたことが間違えとは思えなかった。円堂は俯いたまま、ぼそりと言う。

「何を考えてる? 俺と居たって今のお前に利益なんてないぜ」

 確かに今までの京介の態度からしてみれば、円堂も突然の事でびっくりしたのだろう。だがもう冷静になった円堂は、何かの企みだと思ったらしくバカにする様に間接的に京介を責めた。こうなる事は分かっていたので、京介はポケットに入れた手を握りしめると、目を瞑る。勇気なんて、好きな人の為なら簡単に浮かび上がるものなんだ、と京介は思った。

「ただ貴方が好きなんです、だから別れたくない、昨日の話はなかった事にしてください。」

 そこまで言うと、京介は走ってコーナーに入り部員達と何事もなかったかのように走り出す。取り残された円堂は動かず、今の言葉を頭で繰り返した。聞き間違いではない、言葉。円堂は久々に自分の予想外な事が起きたと思った。



 部活が終わると誰よりも早く着替えてエナメルバックを持ち、自転車に乗り裏門までこいで行く。するとそこには円堂の後ろ姿があり、京介はわざとらしくブレーキを掛けた。

「今度は何だ」
「別に」

 円堂が京介の方も見ずに言うと、京介はそっけなく返しながらも自転車から降りて自転車を引く。嫌がらせのような早歩きに、京介は黙ってついて行った。
 商店街へと繋がる道を行くと狭い道路だ、円堂の後ろに着き自転車をひたすら押す。乗って帰りたいが、円堂と共に時間を過ごしたいと思った。というより、今ここで共にして置かなければ届かない所まで逃げてしまいそうで。
 京介は音を立てて回る車輪を見ながら、帰路を歩く。こんな時、円堂と隣りで良かったと思う自分に都合がいいな、と笑いたくなった時、前の円堂が止まったのが分かった。前を向けば円堂が此方を向いていて、その顔にはあの笑顔が無い事が分かる。電池切れの電灯がチカチカと2人を照らした。

「俺と付き合ってるって言ったな」
「はい」
「じゃあ今日風呂入って俺の部屋に来いよ、意味は分かるだろ?」

 意味が分からない人なんているものか、京介は円堂が心底意地が悪いと思う。だがこれは試されていると思った。そう考えるとここで引くのは腹が立つ。京介のプライドに関わってくる問題だ。京介は負けじと口を開く。

「付き合って二週間でそれはない、それでもあんた大人か? もっと紳士的に行けよ」

 睨み付けながら言うと、驚いた顔の円堂と目が合った。すると、円堂は暫く立ち止まっていると、ゆっくりと近づいて来る。京介はびく、と肩を揺らしたが後ずさる事は無かった。円堂は震えた手でハンドルを持つ京介を見る。

「お前ほんっと口悪いな、それでも俺の恋人か? でも、確かに紳士的じゃないな、今度にしよう。今日はレストランに食べにでも行くか」

 京介は一瞬止まった。言葉の中に含まれたもんくにもだが、案外すんなりと認めてくれた事に気になったからだ。彼が黙って認めるわけがない、なにか企んでいると分かるが付き合えるならもう良い気がした。
 この人が俺はすきだ。どんな円堂でも受け止めて、直してやる。
 これは昨日決心したことだ。円堂は何かを隠している、ならばそれを解いて克服させればいい。もうここまでくると、京介は開き直っていた。すきなものは好きなのだ。

「ああ」
「そうと決まれば貸せ」
「え」

 すると京介の手からハンドルを奪うと、円堂は自転車に跨る。京介が某然と見ていれば、早く、と急かしてきた。京介はそれが荷台に乗れと言う事だという事は気付いていたが乗れないで居る。
(こ、これは、近すぎる)
 前は意識しないで乗ったので平気だったが、今や好きだと開き直った状態で乗るのはなかなか恥ずかしかった。

「いや、俺走ります」
「はあ? いいから乗れ…」
「さ、触らないで、くれ!」

 腕を引っ張った円堂に、京介は逃げるように腰を引かせると首を振る。抵抗する態度に一度だけ嫌そうにしたが、よく考えすぐに京介の心が読めた円堂はその反応にニヤリと笑うと持った手を引くと胸の中にいれた。京介は目を見開く。

「離せ!」
「おいおい恋人にそれはないだろ、さっきの威勢は何処に行った」
「誰かに、見られたら…」
「誰もいないって」

 な、と耳元に口付け優しい声で言われてしまっては京介も腰が抜けるかと思った。やはり円堂にはかなわないので、悔しく思うが円堂の手から、胸から、口から伝わる熱が気持ちいい。京介はもっとこの人の隣りにいたいと思った。
 一方、突き放せずに黙り込む京介に、円堂は目を丸くする。この後からかうな、と怒って自分を突き放すだろうと考えていたので、自分の胸に擦り寄ってきた時は情けないがどきりとしてしまった。こんなに素直になって何を企んで居る、と思うがこれに乗って見るのも暇つぶしにはなるだろう。
 いつもならスムーズに行くが、すこしもどかしく両手を回した。がしゃん、と自転車が倒れる音がする。円堂は京介の肩に、頭を乗せた。変わらず香る、優しい匂い。

「良い匂い」
「え?」
「いや、なんでも」

 言いながら顔をあげると、京介も円堂の方を見ていたようで鼻がぶつかった。パチリと合う目に、京介が目を閉じる。それが合図のように円堂が顔を傾けるとゆっくりと近付いた。
 そして、京介の鼻に噛み付く。

「つぅっ!」
「ふっ、ははは! キスされると思ったのか?」
「〜っ! お、思ってない!」
「思ってただろ、このマセガキめ」
「違うって言ってるだろ!」

 笑いこける円堂に京介が怒れば、円堂がごめんごめんと反省が見られない態度で謝った。京介は円堂の腕の中から離れると、自転車起こして早歩きで行ってしまう。円堂は顔が見えなくとも、顔が赤くなっているんだろう、と容易く予想できる京介の怒った背中を見て、笑った。だがそれと同時に胸に温かい気持ちが生まれてきて、円堂は止まる。

「まさか、な」

 円堂はぼそりと言った。その言葉が聞こえなかったのか確認する為に京介は振り返る。すると、円堂は予想通り赤くなった顔を見て笑った。

「もういいです、レストランは無し」
「はは、ごめん、ごめんて。真っ赤な顔の剣城も可愛い」
「またそうやってからかう、やめろよ!」
「はは、ごめんって言ってるだろ、ほら機嫌直せって」

 今の“可愛い”は冗談じゃ無いんだけど、と思いつつも何も言わないでおく。少し前を歩く京介の背中を追いながら、円堂はまたじわりと胸が温かくなった。


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