今日は豪炎寺がコーチにくる日、この日を京介は待ち侘びていた。先輩や円堂のことがあって家に帰りたくなかったとき、豪炎寺は嫌とも言わず京介に優しくしてくれた上に、寝床や朝食まで提供、終いには学校まで送ってくれたりもしたので、京介はどうしてもお礼が言いたかったのである。連絡先なども知るはずもなく、この日だけが豪炎寺に会える日なのだ。
誰が見ても分かるくらい、京介は朝からそわそわしている。そんな京介に一番勘の鋭い円堂が気付かないはずもなく帰りのHRが終わって部室に急ぐ京介の後ろにそっとついた。
「つーるぎっ」
「!?」
ふっ、と耳に息を吹き掛ければ京介は目を見開いて自分の耳をガードする。そして後ろを振り向き円堂を睨んだ。円堂はその表情を楽しみながらも、京介の隣について歩く。京介が早く歩こうが遅く歩こうが、まるで二人三脚しているように足を合わせてついて来た。京介も、無視するつもりがたまらず声をあげる。
「何か言いたいことでもあるんですか」
「いやーなにも?」
「じゃあついてこないでください」
「俺も部室向かってるし」
「じゃあ隣を歩かないで下さい」
「分かった」
「…後ろにつくのもやめてください」
「注文多いなー」
呆れたようにいうが京介と話せて満足なようで、嬉しそうにしながら少し前を歩いた。京介はご機嫌な円堂に不思議に思いながらもまた気まぐれかと黙っている。あと二分もすれば、部室に着く。早くついてくれと思いつつも、前の円堂の背中を見て胸が煩い。まるであの人がすきなんでしょう、と知らせるように。
(くそ、くそ、…っくそ!)
ピリリリ、円堂の携帯の着信音が鳴って、京介は握った拳の力を緩めた。円堂に聞こえているはずなのに、円堂は一向に出ようとしない。耳触りに響く着信音にきっと相手は女なのだろうと思うと、胸糞悪い。
「着信、来てますよ」
「あー、うん、いいんだよ」
「また女の人ですか? 節操なし」
「剣城、なんか言ったか」
「いえ」
変わらず京介のとげとげしい言葉と態度に円堂は笑っていうと、京介は目を逸らす。この野郎、ムキになりそうになって円堂は口を閉じた。からかっていた筈なのに、こんな子供の冗談にムキになるなんて自分らしくない。円堂はごほん、と咳払いをして早歩きをして先に行った。京介からしてみれば願ったり叶ったりだが、嫌がってる京介をからかわずに何処かに行くのは珍しい。まだ鳴り続ける着信音。相手と話し込みたいから姿を消したのかと思うと、やっぱり胸がいたくなった。
だが、めげてはいられない。この後もハードな練習が待っているのだ。今日はバイトが無いので練習に全力を費やしたいと思っていたので、今日に豪炎寺がいるのはありがたい。体を動かしたくてウズウズしていると、前に靴をならし歩く、会いたかった人が目に入った。京介は
円堂の前では見せないような笑顔を見せる。
「コーチ」
「元気だったか、って、顔色が悪い。寝不足なんじゃ…」
「心配し過ぎですよ、大丈夫ですから」
この前の事で距離が近くなったからかクールな印象は薄れ、まるで親戚のおじさんのように体の心配から入りペタペタと顔中を触った。くすぐったくて笑いながら京介が言うと、豪炎寺はそうか、と恥ずかしそうに目をそらす。どうやら無意識に触っていたようで、気まずい空気が流れつつもどこか心地よかった。
この前で分かったこと。コーチは少し謎が多い人だが、お兄さん気質で心配性、困った人はほっとけなくて、とっても優しいのに不器用で気付かれない。自分の兄、優一とは優しいところは一緒なのに、兄とは反対に不器用な所が可愛く思えた。
「あ、すまない。気を悪くしたか」
「いえ。それよりコーチこの間は」
「この間って?」
幸せな時間、そこで話を中断したのは円堂だ。
(この人は、俺と誰かが話しているのを邪魔するのが好きなのか?)
前にもあった出来事を思い出しながら円堂はつくづく悪趣味だと思うが、ここで悪態をつけば豪炎寺に見られてしまう。礼儀の無いやつだとは思われたくないので、猫を被って黙り込んだ。すると豪炎寺は京介の代わりに口を開く。
「ああ、この間、偶々外で会って。その時の話だろう?」
話を合わせてくれ、と頼んだ覚えも無いのに、豪炎寺は有りもしない話を一瞬で作り上げて、顔色一つ変えずに此方を見た。助けられてばかり、お礼も言えていないのでここは本当の話をしたかったがまだ付き合って居るとふざけたことを抜かす円堂のことだ。豪炎寺の家に泊まったと言えば、恋人からの許可を取れ、だとか彼お得意のシャレにならないブラックジョークでこの場に吹雪が吹くだろう。俺は続けて話をした。
「はい。えーと」
「ああ、あの時ジュースを奢ったことなら気にしなくて良い。大人には甘えるものだ」
「ああ、ありがとうございます。」
作り話がするすると進んで、豪炎寺は口元だけ緩めるとその場から離れる。京介は豪炎寺の背中を目で追って、その背中にありがとうございます。と心の中で何度も呟いた。
すると、円堂があからさまに不機嫌そうに目を細める。京介はため息をついて、円堂を見た。
「で、次はなんですか。」
「何って、冷たいな。俺はただ恋人が他の男に笑い掛けてるから心配して」
「そうやってまたからかって。あのな、人が話をしてんだから話を遮らないで下さい、邪魔なんですよ! 今、コーチと話してたんです!」
円堂がまだふざけているので京介は思わず感情的になり、声を荒げる。言ってから声が大きかったか、と周りを気にするが幸い周りは誰もいなかったので胸をなで下ろした。そしてまた円堂を見る。円堂はおちょくる顔でもしているのかと思ったが、そんなものではなかった。例えるならば、子供が泣く前に顔をくしゃくしゃにさせる、あの顔。
そんな表情されては、京介も悪い気になる。確かに邪魔は言い過ぎたかもしれない、反省しそうになるがすぐに自我を取り戻した。この男はおちょくるためなら表情を自由自在に変えられる、いうならば百面相である。危ない、騙されるところだったと京介は円堂と目を合わせないように冷たい態度をとった。すると、円堂はゆっくりと瞬きをして、京介を覗き込む。
「豪炎寺みたいな、優しいやつが好きなのか?」
囁くような声に心が弾んだ。円堂の瞳に間抜けな京介の顔が映る。性懲りもなく、ドキドキしている自分に嫌気がさすが、円堂が自分を見てると、自分だけを映していると思うと嬉しくなった。
(見ている先を見ているわけではない、いつも何処か遠くを見ている。誰を映しているかわからない、その瞳。)
根拠もないが、はっきり言える。今、この目は京介だけを捉えていた。京介は驚きのあまり開いたままの口から声を絞り出すように出す。
「まあ」
瞬間、円堂の表情が消えた。ここで何を言ってるんだ、と言えば良かったのか。そりゃ優しい人の方がいいに決まっていた。だが、うだうだ考えてももう遅い。そうか、と遠く、小さく、円堂の声がした。
「じゃあ、豪炎寺と付き合えば。俺は優しくとか、人のこと考えられない人間だし」
京介は息を吐いた。それは、どういうことか。聞かずとも分かる。別れる、ということで。
「っ、なんでそうなる、コーチは恋愛として見てない!」
「あっそ。どっちにしろ、俺は他のやつに目移りするやつなんていらないから。別れよ、うん、良かったな、これで、さっぱり、終わりだ」
冷たい目で睨まれて、京介は恐縮する。円堂は京介に背を向けて部室の方へと歩いて行ってしまった。止めようとしたが、足を止める。円堂を引き止めてどうする、別れられたんだから嬉しむはずではないのか。頭の良い脳とは反対に目はじわりと熱くなる。
そこで、やっと気付いた。京介は自分が他のものよりも少しだけだが特別だったことを。からかわれても、バカにされてもあんな目で見られたことはなかった。いつも楽しんでいるように、笑っていて。
気付いたら、目からは涙が流れていた。心臓も涙に便乗して、どくどくと脈を打つ。離れたくない、頭の良い脳も言い出した。
「もう、とっくに、手遅れだ」
今も目を瞑れば浮かぶあの光景。暖かい言葉に、高鳴る心臓の音、二人が重なったように思えた一つ部屋の中で、嘘の告白された。今思っても馬鹿らしいと思うのに、勝手に浮かび上がっては、また胸を痛くする。
俺の時間は、彼に抱き締められたあの日のまま、止まっていた。