バイトの時間も控えており、畳まないままのユニフォームをカバンにしまった時、京介の隣の輝が鼻をくんくん、と鳴らしながら笑う。

「剣城くんの匂い、甘いですね!」
「え」

 匂いなど気にした事のなかった京介は驚いて、急いでいた手を止めた。何の意識もせずに思った事を口にした輝はその反応に驚き、顔を真っ赤にして手を振る。

「あっああ、深い意味はないんですよ! あっえと、良い匂いって事で、えっと!」
「あ、いや、大丈夫、分かってるから」

 輝の焦りように京介も恥ずかしくなり、二人して手を振りまくった。その行動はかなり滑稽なもので、面白いものが好きな狩屋が食いつかないはずがなく、ニヤニヤしながら近づいてくる。そして輝の肩に手を置くと、何故か得意げな顔で京介を見た。

「どーしたの? 何をそんなに慌ててんのさ」
「いや、別に」
「あのっ、剣城くんが汗かいてもとっても良い匂いなので、凄いなって、ああ、また変態っぽく!」
「だから、大丈夫だから…」

 狩屋にはからかわれるので話したくなかったが、混乱した輝が暴露を始めてまた自爆している。京介は輝を宥めながら、狩屋を見ると狩屋はからかう事もなく京介に近寄ってきた。その行動に離れようとするも後ろはロッカーで逃げられずに、嗅がれるままである。目を瞑ってその時が終わるのを待ってると、狩屋が感心しながら頷いた。

「たしかに、良い匂い! てか、甘い匂いっつーか。なんで?」

(そんなこと言われても嬉しくないんだが…)
 困りながらも、汗臭くないのは安心する。泥のついた足だけは洗うが、このまま汗も流さずにバイトに直行するのだ。バイト先は居酒屋、飲食店であり汗臭いのではやってられない。安心しながらも香水もつけていない自分がなんでその匂いがするのか、気になった。
(あ、そういえば)

「兄さんから貰った柔軟剤かな、入れすぎたか?」

 生活用品を買え揃えていた時に、優一が良い匂いの方が良いからと柔軟剤を買ったのを思い出す。京介は気にしていなかったが無くなれば律儀に買い直して、教えられた通りに基準の量より少し多めにいれていた。それしか考えられ無いので、そのせいにして、自分の服を嗅ぐ。だが自分の匂いなど分かるはずもなかった。

「兄さんから? って、」
「あっ、やべえ、時間だ!」

 京介が自分の話をするものではないので身内の話がでてきて興味が湧き、輝が聞こうとしたとき、京介は立て掛けられた時計を見て焦ったように赤いTシャツを着る。学ランを手に持つと、慌ただしく部室から出て行った。その背中を見送りながら、二人は京介が自分で洗濯をしているところを想像して少し可愛く思える。頑張り屋で誰よりも努力をしている、だが誰に言うわけでもなくひっそりと生きる彼、そんな彼をもっとすきになった。



 バイトも終わり時刻は10時丁度。夕飯の時間はとっくに過ぎていて、自転車を走らせながら次々通り過ぎる店を見るが、何処も閉めていた。いつもバイトが終わった時間ではスーパーに寄ることは出来ないので、冷蔵庫はもう空っぽに近かった。あるのはマヨネーズと、秋から貰ったおすそ分けのロールキャベツ。それも明日の朝ごはんなので、今日食べてはならない。
(ご飯のこと考えてたら、腹減ってきた…)
 だが優一から貰ったお金を無駄遣いしてはいけなかった。我儘を言うように鳴りはじめたお腹を摩りながら、京介はそれでも我慢する。だがコンビニを通った時、貼り出された広告が目に入ってしまった。
(スウィーツ祭り、スウィーツ全品半額!?)
 そのコンビニは盛大に誘惑してくれたおかげで、京介はブレーキを掛けてしまう。そして頭に浮かんだのはこの前貰ったプリンであった。円堂は嫌いだがプリンには罪は無いので正直に言わせて貰うと、本当にあのプリンは美味である。そのお礼を言おうとしていたが、学校であの人気者に話しかければ注目を浴びてしまうし、部活では試合もひかえているため誰もがピリピリしながら練習に挑んでいるので、サッカー以外の話は許されなかった。放課後は自転車に跨いでマッハで行かなければバイトには間に合わないので、帰り話す暇はない。
(今日、なんかお礼を持って訪ねてみる、か)
 また余計なことを言われそうだがどんな相手にもお礼はしなければならないと優一に習った。いざとなったら袋ごと投げればいいだろう。京介は自転車にロックを掛けていそいそと入り込む、その時にはもう自分の空腹など忘れていて自動ドアが開いた時には円堂のことしか浮かばなかった。

 そして、なぜ自分はこんなにタイミングが悪いのだろうと京介はアパート前に立ちつくす。

「あんた守とどう言う関係!?」
「ふん、そういうあんたは? なに彼女面してんのよ!」
「はあ? 実際彼女だしぃ?」
「はああ? 守は私が彼女って…」

(また円堂守は女で遊んだのか)
 彼の女癖には怒りを通り越して呆れすら感じたが、すこし心が傷付いたのは気付かないフリをした。黙って自分の部屋に入りたかったが、階段の前で争われてはどうにもできない。争いの種、円堂は眠そうにあくびして階段の段差に座っていた。京介はため息をついて、近くの電柱に身を隠ししばらく様子を見ることにする。
 すると、片方の女はこのままでは埒が明かないと、円堂の胸ぐらを掴んだ。

「ちょっとなんとか言いなさいよ、と言うか私が一番っていえばいいの!」

 ここまでされても尚円堂守と居たいのか、と京介は第三者の目で見て彼女に同情してしまう。なにより、こうやって見ているのも悪趣味かと何処かへ暇つぶししようかと身を翻した時、はっきりとした円堂の声に振り向いた。円堂はこんな時も笑顔である。

「いま、なんて…?」
「聞こえなかった? お姉さん達。俺は君たちどっちも付き合ってないって言ったんだ。うん、はい、話は終わり。ていうことで、近所迷惑だから帰ってくれないか」
「え?」
「どういうつもり!?」
「あーもう、うっさい」

 貧乏揺すりをしながら円堂は女二人を睨むが、女らは怯まず怒りを燃やすだけだ。
(円堂監督も…、無茶な事言うな)
 京介は円堂の逆ギレに驚きながらも、なんでも良いから早く決着をつけて欲しくて、京介は電柱の後ろで体育座りをして丸まる。すると、円堂は笑いながら言った。

「一発殴らせてやるから、早く帰れよ。な?」

 完全に人を馬鹿にしている言い方で、円堂に苛立ちすら感じる。すると見なくても分かる、円堂はどちらからも頬を叩かれたようで乾いた音が二回した。京介は自業自得だ、と思いながらも自分が氷水を持って行ったのを思い出す。
(あれは、あの時は騙されてたから持って行っただけで。今、持ってく必要は。)
 それでも前に見た赤くはれた頬を思い出すと居ても立っても居られなかった。女たちが帰るのを見て、京介は唇を噛む。今更氷水やら持って行っても馬鹿にしたように笑われるだけ、きっと前もからかわれてただけなのだ。心配しても無駄だ、と京介は円堂が部屋に入るまで待とうと円堂がさっきまで居た階段を見ると彼は居ない。京介が驚いて顔を覗かせると、電柱の向かい側から円堂がひょこりと顔を出した。

「うわっ、」
「うわって、お前な。おばけみたんじゃ無いんだから」

 呆れたようにいう円堂に京介は持っていたコンビニの袋をぎゅっと握る。いきなり出てくればそれは驚くだろう、失礼な。
 すると円堂は首根っこをがしがしとかくと、視線を泳がせた。京介が不思議に思い覗くように見ると、円堂はあーと言葉を濁らせる。

「バイト帰りか」
「あ、あ。はい。」
「じゃあ早く部屋に入れよ」
「っ、はあ? こっちはあんたが階段の前であんな争ってたから入れなかったんだよ!」

 円堂の少し強めの言い方に京介が腹を立てて、円堂に口答えをした。疲れているのにいますぐ寝たいのを我慢して電柱の裏で終わるのを待っていたのに、怒られる意味がわからない。京介が不機嫌になったのを見て、円堂はため息をついて京介を横目で見た。

「階段の前で邪魔したのはすまなかったと思ってるよ、だから叩かれてまで早く帰したんだろ。」

 円堂は口先を尖らせて拗ねたように言うと、京介の手を引いて部屋に帰ろうと言う。京介はそれを見ながら、ゆっくりと今、数分の間にあったことを頭で片付けた。京介は隠れたつもりだったが、円堂は帰ってきたのを知っていたらしい。その京介に気を使い階段は邪魔と考えて、あんなにひどい事を言い放ち殴られてまで早く帰したらしい。たしかに、最初円堂は話に入るつもりはなかったようだったが、いきなり声を荒げて彼女たちを怒らせた。円堂にしては軽率な行動だとは思っていたが、まさかその行動が全て京介の為だなんて。
(この人の事だから、どうせ他に用があったんだろう。拗ねてるけどだいたいこの人がいけないんだし、女の人たちにひどい事をしたのは変わりない)
 円堂に気持ちが残っている京介は自分の為と言うことに嬉しく思いそうになったが、よくよく考えてみてすんなりと喜ぶことが出来なかった。今までやられたことは勿論、この前だって友達の白竜の前ではらはらさせられたのである。京介は引っ張られながら、のんびりと考えた。
 するともう自分の部屋の目の前で、円堂は京介の背中を押すと手をあげる。

「じゃあ、おやすみ。」
「え」

 手元のふくろが音を出した。円堂は京介が思わず声を出したのを聞いて、鍵を探す為ポケットを探りながらにやりと笑った。

「なんだ? あ、もしかして一緒に寝たいのか? いいぞ、いつでも歓迎だ」
「いつもからかわないでくれ!」
「はは、そんな面白い反応見せる剣城がいけないんだろー」
「あのな、も…」

 やはり円堂はからかっていたのかと、京介は悔しさから顔が熱くなるのを感じる。だが、そのあとに見せた円堂の表情に京介はもんくを言うのを忘れてしまった。
 彼が、あまりにも悲しく笑うので。

「なんだ、なんか文句あるんじゃないのか。」
「…これ」
「ん?」

 京介はポケットから手を出すと、円堂の前に袋を見せる。円堂は鼻につく表情をぴたりと止めて、本当に不思議そうに首を傾げて袋を受け取った。そして袋を広げて見ると、半額のシールが貼られてるスウィーツが三個ほど入っている。円堂は顔をあげて京介を見ると、京介は反対に下を向いた。円堂の方を見ずに、ゆっくりと口を開く。

「この前の、お礼。 たまたま半額だっから買っただけだから。あと頬ちゃんと冷やしてくださいよ!!」

 大きな音を立てて、京介の部屋のドアは閉められた。言い逃げされた円堂はと言うと、袋を持ったまま立って京介の部屋のドアを見つめる。
 自分は、何をしているんだ。
 円堂は朝からの自分がどうしても理解できなかった。今日起きた時に浮かんだのは、何故か京介で。朝練の時も、授業中も、部活中も、京介の怒った顔や照れた顔や泣きそうな顔や、笑った顔が頭から離れなかった。だから、放課後話しかけようとしたが、京介は部活が終わると誰よりも先に自転車にのって帰ってしまい、話し掛けられずに終わる。家に行けば居るかと訪ねてみたが、インターホンを押しても誰も出なかったので、諦めて明日にすることにした。だが、暇だったので適当に女を呼び近くの居酒屋に行ったところ、そこで京介を見つけたのである。
 京介は円堂に気付いていなかったので、黙って見ていたが似合わない作り笑いが引きつっていて思わず笑ってしまった。このまま話しかけても良かったのだが、また見に来たいので話し掛けないことにする。
 だが、京介のことをもっと知りたいと思った円堂は彼女はそっちのけで、店長を呼び出した。教師、ましてや担任ということを良いことに、京介の情報を聞き出すことに成功したが、その内容に息を飲む。
 週4で入っているここのバイトの他にももう一つバイトをしており、内職もしていると噂だ。バイトしている時間は部活が終わってからの7時から10時まで。たったの3時間だが、京介からしてみればかなり辛いものだろう。掛け持ちをしているので、京介に休みもない。なぜそこまでするのかと聞けば、最初は答えてくれなかったららしいが店長が頼み込めば仕方なしに口を開いたらしい。
 一人暮らしの金は一応兄に払ってもらっているらしいが、そのお金は使わないように貯めていて卒業と共に返すつもりでいる。そのお金を貯める為に、お金が必要だ、と。
 剣城京介、高校一年生でまだ義務教育を終えたばかりなのに兄にまで甘えられないとは気の毒な男だ。いつもならそうやって客観的に見て笑うだけなのだろう、だが、何故か円堂は笑えなかった。店長には断わって酒も飲むことはせず、その店を出る。彼女は後ろから文句を言いながらもついて来たが、やる気は失せてしまったので早く帰って欲しいと思った。だが彼女が買い物をしたいというので仕方なく付き合ったその帰りだったと思う、この前手を出したばかりの女に会ってしまったのである。円堂は激情した彼女らに言い訳をするべく家まで連れて行ったはいいが、鼻につく甘い香水がきつい彼女に部屋に入って欲しくなく階段で話すことに。声は大きいので、きっとアパートの住民にはばれてしまっただろう。だが、円堂にとってはもうどうでも良かった。ただ眠気に襲われて、早く部屋に入りたい一心である。彼女たちが目を離した内に腕時計を覗くと、時刻は10時22分。あの距離からならば、京介が10時にバイトを上がり帰って来ても良い頃だ。
 今日の部活の練習は一段とスパルタであったし、バイト帰りの京介は疲れているだろう。帰ってきた時にこれを目撃すれば京介のことだ、女たちをくぐり抜けて自分の部屋に入る事などできないと思うので、どうやって早く帰すか本格的に焦って来た。そして顔をあげたとき、近くの電柱に何かが隠れたのが見える。円堂は少し前屈みになりながら見ると、京介特有の紫色の制服が見えた。予想通り、京介は来れなかったようで。そう思うと、もうこの女たちを片付けることしか頭に無くなった。今日デートした女は飽きたから良いが、途中で会った女はまだ遊び足りないのでキープしておくつもりだったが、もはや誰が居なくなってもどうでもいい。あの少年を部屋で休ませたい気持ちでいっぱいになった。
 すると、考える前に言葉はするりと抜けて、理性を取り戻した時には両頬は腫れている。だが、その痛みより電柱に向かっている円堂がいた。なぜ京介にそこまでするか分からない、だが驚いた顔の彼が間近に来た時に掠れた甘い匂いに、彼女たちに触れた時に感じた嫌悪感と全く逆の、安心感を感じて妙に納得する。
 それからは自分でもなにを言ったか知らない、まるで初恋の相手と話すようにドキドキしながらからかいも入れて、自分が悪いのに子供のように拗ねたりして、ただ無意識に彼に接した。
 そして彼は一番酷い仕打ちをした円堂に、この前のお礼と渡して来たのだ。

(お金貯めるんじゃなかったのかよ)

 半額と言えど、京介にとって何の利益もなく無駄と言えるこの三個のスウィーツ達。

(俺にこんな事して、ほんとあいつは甘い奴だな。)

 心の中で貶しながらも、頭では京介の事ばかり考えて、心を踊らせていた。本当に自分が、分からない。だが、一つだけ、明確に残る彼の匂い。

「あまい」








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