円堂と付き合ってから、もう三日経っていた。あれから円堂は部活以外は必要以上に優しくなったし、帰りは必ず二人で帰るようにしている。死角で見えないところで手を繋いで歩いて見たり、お互いの部屋に入る前は周りの目なんか気にせずにキスだってした。京介は十分幸せを感じていたのだと思う。
 だがそんな幸せも、たったの四日目で途切れた。

「うう…」
「おいおい大丈夫かよ、剣城くんー」

 机に突っ伏して唸っている京介に、狩屋は珍しく心配そうな面持ちで覗く。それもそのはず、京介はアルバイトや内職などでここ三日はまともに寝ていないのだ。
 優一からアルバイトは止められていたが、黙って優一に迷惑掛け続けることなど出来なかった京介は、近くのコンビニに週5で入ることにした。時間は部活が終ってからの7時から10時、小遣い稼ぎにはなりそうである。その後は秋から紹介してもらった内職だ。たまたま夕食をご馳走になった時、お礼と言うことで内職を手伝うことにする。元々手先は器用な方なので面白いほどうまく行く様に秋がなんなら内職をしてみないかと言ってくれた。
 時間を無駄にするくらいなら、と始めた内職。一度ハマるとなかなか終わらせることが出来なかった。寝るのは3時4時になり、それから朝練に向かう。そんな日が三日も続き、京介は早くも根を上げた。

「もう、なんでそんな無茶するんですか。剣城くん、そんなんじゃいつか倒れますよ!」
「…保健室行ってくる」
「ああちょっと!」

 輝の注意を聞き流しながら、京介はよたよたと保健室に向かう。
 勉強が遅れてしまうので、保健室で休めるのは次の授業分だけだ。それでも一時間休めるのならば、かなり違うので眠たい目を擦りながら頑張る。チャイムが鳴ったのが聞こえて授業が始まったのだと思いながらも、保健室のドアを開けた。

「患者さん」

 何度か会ったことのある保険医が靴を鳴らせながら近寄ってくる。京介は壁に手を掛けながら、必死に言った。

「寝不足で、出来ればベッドかして欲しいんですけど」
「あら、残念だけど、ベッドは埋まってるの。ソファーで寝るか、次の時間に来るかだけど」

 ソファーで寝る、他の生徒に間抜け顔を見られるのはプライドが傷つくので却下。次の時間、待てないので却下。京介は返事もしないで保健室から出ると、近くの階段の一番下で座り込んだ。頭はただぐるぐると回っている。もうここで寝てしまおうかと、ならばソファーで寝た方が幾分良いかと思われる選択すらちらつかせながら壁に頭を預けた。
 すると、聞き慣れた声が廊下から聞こえてくる。

「まあ、そんなもんかな。え、はは、バカ、ここで言えるかよ。」

 はっきりと聞こえて、京介は目が開いた。そう、この声は京介の恋人、円堂の声である。どうやら電話しているようで、照れたような声が聞こえた。ここで電話中でなければ話しかけていただろうが、今話しかければ非常識過ぎるだろう。京介は身を縮こませて目を閉じると、円堂の声はだんだん近くなって来た。

「でもごめん、最近構ってやれてないよな。部活の顧問って結構忙しくてさ。じゃあ今日の帰りは会おう、いや嘘じゃないって、空けとけよ?
 うん、うん、分かった。大好きだよじゃあな。」

 好きな人の声を聞いて落ち着いていた京介はそこで完全に目が覚める。いま、大好きと言ったか、誰に言ったんだ。電話相手なので誰に言っているかわからない。
(もしかしたら母親にいっているのかもしれない、大の大人が母親に大好きと言うか、いやホームシックで…。)
 悶々と考えていると保健室のドアが開く音がした。京介は本格的に身を隠す。保険医に見つかって教室に返されれば、円堂の話を盗み聞きすることは出来なくなってしまうからだ。電話は終わったがもしかしたらまたその人から電話がかかって来るかもしれないと、期待を乗せる。階段を上がりちょうど壁で隠れるところにしゃがみ、息を潜めた。カツカツと聞き慣れた保険医の足音が聞こえる。どうやら階段を通り過ぎるらしく安堵していると、

「円堂先生ー!」
「わ、」

 保険医は円堂と鉢合い、抱きついたらしい。服が重なる音が聞こえて、京介はクエスチョンマークが頭に浮かんだ。
(なんで抱きついたんだ?)
 考える暇もなく、保険医は話し始める。

「先生に会うために生徒追い出したんですよ、ねっ褒めて」
「褒めると言うか、それはいけないことです。その生徒、具合が悪かったんじゃ?」
「いや、ただの寝不足らしいです。いっかなって」

(追い出された寝不足、俺のことか)
 ふざけんな、寝させろ、なんで円堂さんにそんなくっ付いてんだ。言いたいことがあったが、円堂の引き剥がされるのを期待していると動いた音は聞こえない。だが、その代わりにリップ音だけが、誰もいない廊下に響いた。

「そっか。なんか俺もダメなやつかも。君に生徒より優先して貰って喜んでる自分が居る。おれそれほど、君を愛してんだな」

 へへ、と照れた笑いをする円堂。さぞかし女が喜ぶような優しい顔をしているのだろう。保険医も嬉しそうにそっか、と呟いた。
 そしてそこで、京介は身体中の血が嫌に流れて行くのが感じられる。そう言うことか、と脳では考えながらも、身体は怒りで火照っていた。考えられない、あの男は生徒で男の俺と付き合っておきながら二股を掛けていたのである。いや、実際何股なのかなどここまで来るとわからない。先ほどの電話だって円堂を信じたいと思ったから無理なフォローを考えたがいまになれば答えは一つしかない、きっとあれも“コイビト”なのだろう。
 そうなると、本当に自分がバカらしくなってくる。手も繋いで、抱き合って、キスして好きなんて言って。円堂からしてみれば好きと呟くのは、まるで空気を吸うくらい簡単に吐かれる、誰に対しても、…たとえ好きでなくても。
(あいつ、なめてやがる)
 今ここで殴ってしまいたい気分であったが、それはそれで問題になる。まず、教師に手を出した俺は下手すれば退学ものだし、円堂と恋人だったなんて知れたらそれこそ俺は恥ずかしくて生きていけない。
 とりあえずここから逃げて後でブン殴ってから話をしようと思うと、抱き合っていた二人がアクションを起こした。

「で、ごめん! 俺校長に呼ばれててさ、それを言いに来たんだよ」
「えー、校長なんて後でいいじゃない」
「いや、校長に怒られるのはさすがにな。また来るからさ」
「分かったわ、じゃあ待ってるからね」

 そう言うとまたキスした音が聞こえて、保険医が保健室に帰るのが分かる。二人の話は聞けたし、もう思い残すことはない。
(豪炎寺さんが言ってた事って、この事だったのか)
 最後まで味方だった豪炎寺を思い出しながら京介は頭をかいた。あれほど本気で止めてくれていたのに、自分はそんな豪炎寺を振り払ってあの魔王の胸へ自分から飛び込んでいったのである。自業自得だ。今度お礼を言おう、思いながら足を階段に掛けると足音が聞こえた。誰かが下から来ている。まずいと思い早歩きで行こうとするとその足音の主は軽い足取りで登ってきた。振り返る前に、覚め切った声が後ろからする。

「で、なんで授業中のはずのお前がいるんだ、剣城?」

 振り向けばいつもと変わらない円堂の笑顔、いや目だけは笑っていなかった。京介は負けじと目だけで対抗する。

「あんたのせいで、追い出されたもんで」
「うん? 寝不足くんは剣城だったのか、ごめんな、あいつ俺にメロメロなんだよ、お前と一緒で」
「ーっ、お前!」

 掴みかかろうとすると、円堂は涼しげな顔で避けて、階段の手すりにこちらを向きながら両肘を掛けた。そして手のひらをぶらぶらとさせながら、笑う。

「違わないだろ? 俺が男相手になんか本気になるわけないのに、お前は鵜呑みにして。幸せそうにここ三日間上手くやってきたじゃないか。」
「あんた、さいっていだな」
「何回言われたかわからないなー、今となっちゃ褒め言葉だ。なあ、剣城ショックか、悲しいか?」

 得意げに笑う円堂を見て、とても同じ人間に見れなかった。悪魔でしかない、こんなの。
 剣城は下唇を噛んだ。ショックに、悲しいに決まっている。だがこいつにそんなこと絶対言いたくない、最後くらい抵抗してやりたかった。剣城は円堂をきつく睨む。

「ショックな訳ねえだろ、俺は女じゃねーんだ。男に引っかかったくらい、痛くも痒くもねえ。」

 鼻を鳴らしながら言うと、円堂は噴き出すように笑った。その感じが凄く勘に障るが、ここで理性を失えば彼方の勝ちである。ここは我慢と思っていると、笑いに肩を揺らして円堂は京介を見た。

「男だからだろ、剣城? 男だから、男に引っかかったからショックなんだよ。恥ずかしいと思わないのか?」

 言われた瞬間、今まであったことがフラッシュバックしてくる。頬を赤らめ円堂に近寄る自分、彼に触られてドキドキして、彼から貰ったものを嬉しいと思って。それから? なんて、恥ずかしいことをしてしまったんだ。円堂は見ていてそれはそれは面白い光景だっただろう。
 最初から、こいつの手のひらで踊らされていたのだ。

「…クズが」
「まあ、そんなこと言わずに。可愛いって思ったのは本当なんだぜ、騙されてバカみたいでな」

 こっちは貶しているのに円堂はニコニコしながらこちらに近付いてくる。マゾかと思ったが違う、逆だ。
(俺が悲しむのが、楽しいのか)
 キチガイ、言うのをやめて円堂と距離を取る。

「うるさい、近寄るな」
「酷いぞ、さすがに先生もショックだなあ」
「ふざけんなよ」
「ふざけてない」

 本当に、一瞬の出来事だった。
 円堂は京介の手を掴み自分の方に寄せると、壁に押し付ける。京介が痛みに顔を顰めさせると、円堂は京介の頬を片手で持つと上を向かせた。

「なあ、ショックなんだろ、はは」

 甲高い声が頭に響く。その笑顔は貼り付けたような作り物の笑顔で、背筋がゾッとした。京介は顔を逸らしたいが力強い手を退けることは出来ずに、円堂と目を合わせたまま答える。

「べ、別に」
「はは、顔に出てるぞ。うん素直で良いな!」
「うぜえ」
「ごめんなあ、キスしてやるからさ」
「…あんた、何がしたいんだ?」

 おちょくるように笑っていた顔がピクリと止まった。言われるなんて思っていなかったのだろう。
腹が立つ表情が消えたので、剣城はやっと冷静になって口を開く。

「だって男好きじゃないんだろ? なのに男の俺にキスして、好きだとかなんとか言って。あんたこそ、恥ずかしくないのか? こんなことして何の意味がある、メリットなんか無いだろ」

 責めるようにまくし立てると、円堂は壁と京介の顔から手を退けて考える素振りをみせた。いつも簡単に嘘をつく奴が、なぜこんな簡単な質問に答えられないのか。
 円堂は五秒くらいして、やっと答えを見つけたのか手をポンと合わせて笑う。

「人の苦しむ顔が見たいからだ!」

(子供みたいに汚れのなさそうな笑顔でなにいってんだこいつ)
 憎たらしい気持ちでいっぱいだが、頭に過ったのは何故こんな事を考えるようになったのか。円堂の性格の曲がり方は半端じゃないが、生まれた時からこんな性格だったわけが無い。これは推測だが、なにか過去があるとか…。

「ついでに言っとくが、俺に悲しい過去はないぞ。人を苦しめるのは趣味だしな」
「ないのか!?」
「…剣城って実は天然か」

 心を読まれた京介は驚きで判断力に欠け、マヌケな返しをしてしまう。そんな京介に今まで余裕の笑みを浮かべていた円堂も、真面目に頭を抱えたくなった。そんな円堂に呆れられて京介は恥ずかしくなる。
 京介はヘマする前に逃げようと円堂の前からするりと抜けた。円堂はゆっくり笑う。

「バレるの予想外に早くてびっくりしたよ。もうちょっと遊ばせてくれるよな、剣城?」

 楽しげに呟く円堂に、京介は歯ぎしりをした。どこが、びっくりなどしていなかったではないか、わざとらしい演出にイライラする。京介はただ自分の背中を見つめる円堂に親指を立てて、ひっくり返した。




 



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