フられた剣城と野次馬井吹

「剣城は俺が別れようって言ってたら別れる?」

 夜の8時を回ったところ、気晴らしに蹴り合いでもしようと言い出したのは天馬の方だ。剣城も一人で黙って考え込むよりはボールを蹴りながら、天馬と話し合った方が良いとその誘いを断らないで今に至る。
 剣城は蹴ろうとしていた足が止めて、いきなり飛んで来た言葉に面食らった。さっきまでチームメイトの分析や意見を出しあっていたのに、いきなり、それはそれは唐突に一個人的な話をし始めたからである。思うように操れなくて、ボールに遊ばれるよりはやめたほうがいいと手にとった。蹴っていたから、当たり前のように汚れている。剣城は天馬を見て笑いも浮かべずに、目を向けた。

「なんだ、急に」
「急に、じゃないよ。朝からずっと言おうと思ってた。」

 そう、苦笑いする天馬の気持ちが伝わって来て剣城は返事することも出来なかった。言おうとはしていたが今の現状、キャプテンとしてチームの事で頭がいっぱいになって言うのを忘れたのだろうと剣城は思った。天馬がベンチを横目で見ると、剣城はなにも言わずともベンチに座る。天馬の緊張が、剣城のことも緊張させた。

「嫌だって言えないと思う」

 剣城の言葉に、天馬はそっかあとすぐに答える。剣城の答えをわかっていたらしい、ショックも受けていない天馬に剣城は全てが伝わっているようで嬉しいが、そのあとの言葉をわかってしまったからこそ泣きそうになった。

「別れよう」




 ベッドに体を沈めて剣城京介は考えていた。自分にとって松風天馬がどれだけの存在だったかということを。
 彼は剣城の世界で中心だった。いつの間にかするりと入って来たと思えば、自分が依存するほどその大きさは絶大になっていて。天馬がいるだけで良かったのに、付き合ってお互い特別の関係になれるとなったときにはどれだけ嬉しかったことか。幸せだった、何もなくても、またサッカーできて、一緒にサッカーの未来が守れて、一緒に日本代表に選ばれて、本当に幸せだったのだ。
 幸せ過ぎて、罰が当たったのだろう。天馬は静かな声で言った。「好きだけど、大好きだけど、世界を勝ち抜くには今はサッカーのこと以外は考えていられない。だから、距離を置こう。俺の勝手でごめん」嫌で嫌で仕方なかったのに、宣言したとおり、嫌とは言えなかった。自分はいままで幸せにしてもらった分、自分が彼の幸せの邪魔をしたくなかったからだ。でも、それでも最後自分がかわいい。

「別れたく、なかった」

 だんだん出てくる涙を拭っても、拭っても、出てくる涙。別れたくない、といえばあの時どうなっていただろう。いまから天馬の部屋に行ってやっぱりよりを戻そうと言えば、どうなる。

 どうなるっていうんだ。

「う、う、うぁ」

 まくらに顔を埋めて、声を殺しても情けなく開いた口からは嗚咽が漏れて行った。当たり前に隣にチームメイトがいるということもどこか冷静な頭がわかっていたのに、胸が熱くなって泣くしかできない。
 サッカーなんて、もう。

「剣城いるか?」
「っ!」

 ノックされて聞こえた男の声に自我を取り戻した。声は井吹のようで剣城は急いでティッシュを取り目を拭くと、待ってくれ、と声を上げる。鏡で顔を見れば少し目が赤いだけで腫れ上がってはいなかった。良かったと思いつつ、ドアに近寄ると、扉をゆっくり開ける。

「井吹か」
「ぅわ、部屋真っ暗じゃねーか。電気つけろよ」

 井吹はそういいながらズカズカと剣城の部屋に入ると、机の前の椅子に座る。そして剣城に目でベッドを指すので、剣城は帰れとも言えずベッドへと座り井吹を見た。

「今日はもう遅いし、練習には付き合えないぞ」
「そんなんじゃねーよ。ただ夕御飯食べに来なかったからどうしたかなって」

 井吹も心配していたらしい。いつもキツく見える目つきも、柔らかくなり心配そうに伺っているのを見て剣城も申し訳なくなる。仲間はみんな優しいのでこうやって誰かが心配してしまうから、本当は食べに行こうと思っていた。だが、それほど気力もなかったのである。時計を見れば天馬と別れてから二時間もたっていた。二時間もボーッとしていたのかと思うと自分がどれだけぼけていたのかも分かる。

「す、すまない。今日、食欲なくて」

 剣城の言葉に井吹は少し間を開けた。それがなにもかもばれているようで剣城はどきりとする。だが、すぐに井吹は顔を顰めてため息をつく。

「夏バテか? いや、熱中症かも。とにかく気をつけろよ、練習しても体壊しちゃ元も子もねえし」
「ああ、気をつける。わざわざありがとな」

 やはりばれていなかったことにホッとしながら無理しているお前には言われたくない、心の中で思いながらも剣城が笑うと井吹はピタリと止まった。そして井吹もつられたように笑い始める。剣城が不思議がっていると、井吹はバンダナに手を掛けると剣城を見た。

「はじめて笑顔みた時からおもってたんだけどよ。お前って笑うと印象変わる、可愛いっつーかさ。笑ってる方がいいぜ」

 そういいながら井吹は席を立つと、ドアのところまで両手をあげ背を伸ばしながら歩いて行く。剣城は可愛いといわれた衝撃で固まっているたが、すぐに前に全く同じことを天馬にいわれたことを思い出した。最悪だ、こんな時に、先ほどの天馬とのやり取りを思い出してしまい、また泣き出しそうになってしまう。すると、井吹がいきなり振り返り、剣城を見た。剣城は涙目になっているのが自分でも分かるので顔を反らすと、そのまま下を向く。不自然でも仕方ないとおもった。
 ドキドキしながら、井吹が出るのを待っていると、井吹がまた近寄って来る。帰るのではなかったのかと、驚いて顔をあげると、顎を人差し指で持ち上げられて上を向かされた。がっちりと合ってしまった、目。先ほどとは違う鋭い目つきで、剣城だけを見つめる。

「勿論泣いてるよりは数倍いい」

 その顔は真剣で、剣城は言い返すこともできなかった。井吹は剣城の返事も聞かずにじゃあなと言う早歩きで部屋を出て行く。用は夕御飯に来なかった剣城が心配だっただけなのだろう、優しい井吹に感謝したいがそれどころではなかった。あの感覚、天馬とキスする時に似ている。余裕のない表情、指から伝わる熱い熱、なんて事だ。

「あいつ、なんて顔するんだ」

 胸が、熱い、熱い。




 井吹は廊下を早歩きしながら自分の部屋に向かっていた。顔が火照って行くのが分かる。
 ちょうど二時間前だ、剣城に練習を付き合ってもらおうと部屋に訪れたが部屋にはいなかったので、グランドへ見に行った。すると天馬と剣城が居たので、一緒に練習をしてもらおうと思った。そこで聞こえて来たのは、いつも元気で明るい天馬の声とはかけ離れたひどく落ち着いた声だった。「剣城は俺が別れようって言ってたら別れる?」この二人が付き合っているという事実が分かる、一言。最初は理解を得なかったが、剣城の精一杯な声で理解するのには難しくない。そして、すぐに時は進んで行った。「嫌だって言えないと思う」、「別れよう」。そう言うと二人はまるで、打ち合わせをしていたかのように感情を出さずに別れてしまう。どちらも悔いのない、しっかりした声だった。
 男同士が付き合うなど、聞いたことはあったがまさか同じチームにいるなんで誰が思うか。井吹は動揺を隠せなかったが、自分の部屋へとかけて行った。見なかったことにしたかったからである。そしてすぐに夕食の時間になった。いつも天馬と剣城は同じテーブルだ、今日はどうするのだろうと野次馬のように見ていたら、ぞろぞろと集まるメンバーのなか、剣城だけ来ない。出されたご飯、ひとつも残さずしっかり食べるあの男が何故。ふられたから、たったそれだけで?
 全く他人事で気持ちも理解のできなかった井吹はただ思った。ご飯を食べ終わり部屋に戻って、モヤモヤしながら考えても答えは出ない。
 ああ! グダグダ考えているなんて俺らしくねえ! 剣城に聞くしかねえだろ!
 我慢出来ずに飛び出したはいいが、何も用意していない井吹だったが考えるのは苦手なので行き当たりばったりでどうにかなると思うともう走り出していた。剣城のドアが見えて、よし、と気合をいれた時すすりごえが聞こえて立ち止まる。ここの宿舎のドアは薄い、普通の声のボリュームであれば話している内容まで聞こえてしまうくらいだ。だが、抑えているようで抑えていない、泣いている声に井吹はクエスチョンマークしか浮かばない。何故、別れただけなのに泣く、二人の納得の答えではなかったのか。それほど二人はサッカーで世界に行きたいのではないのか。
 思っていたら躊躇はなかった。もうすでにノックをしている自分に、驚いたくらいだ。いるのはわかっていたが、もう開き直って確認を取れば剣城は待ってくれと声を出す。居留守を使えばいいのに、思った井吹は自分が諦めれば良かったのにともおもった。そうして出てきた剣城は、いつもと同じだった。強いていえば少し目が赤いくらいだ。なんだ、心配することもなかったか、来ておいて何もなかったといっても失礼なので話題を探しながら図々しく部屋に入る。なにも言おう、やっぱりきこうか。思って夕食の事を聞けば、剣城は言う。「す、すまない。今日、食欲なくて」そんな表情で、そんな言い訳で通じると思っているのか。井吹は責め立てたかったがそんな権利は自分にはなかったので気付かないふりをした。
 剣城京介という人物がいままでわからなくて、二人のやりとりを見ていても、やっぱり何もわからなかった。だがひとつ、わかったことがあった。
「ああ、気をつける。わざわざありがとな」この、笑顔だ。この笑顔を見て、彼の優しい心が全て分かった気がした。
 ああ、そうだったのか。彼は、自分の気持ちよりも松風天馬を優先したのだ。すると、彼が急にあいらしくなって。思えば、彼を励ますような言葉ばかり紡いでいた。だがなぜか、振り向いたら泣き出しそうになってしまった剣城。きっと、その原因は井吹ではない、天馬だ。
 思ったら、悲しいと共に悔しくなった。目の前にいるのは自分なのに自分ではない誰かが、剣城の表情を操っている。そう思うと、負けた気がして。元々、天馬と井吹で言えば剣城の中では天馬が比べものにならないくらい勝っているだろう。そう思うともっと悔しくなって、井吹はいてもたってもいられなくなった。下を向いた剣城に、どうしても自分を見て欲しくて。「勿論泣いてるよりは数倍いい」だ、なんて。井吹は自分の部屋のドアを開けて、部屋へはいると鍵も閉めずにその場へと座り込んだ。思い浮かぶ、あの時の剣城の顔。なぜか求められているようにも、感じられた。

「あーー、俺は、変態か、くそ」

 変な気分になっちまった、と井吹は頭を抱える。忘れようとするが、やっぱり剣城を忘れられなかった。




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