円堂と剣城
「こんなところにいたのか」
休もうと水道場に行くと、後ろから声を掛けられた。自分に声を掛けるのは、松風くらいしかいないのだが、その声は松風より低く凛々しい。誰だ、と剣城が振り向けばそこには、壁に寄りかかりながらこちらを見る円堂がいた。
剣城はタオルを首にかけながら、目で返事をする。円堂はなんとなく笑った。
「なんか用ですか」
「ああ、天馬が呼んでたぞ」
やはり松風に関してか、と内心納得する。監督ではあるが、やはり人間。好き好んで剣城となにかを話そうとは思わないだろう。剣城もそこは割りきっていたので、松風を探すことにする。剣城は円堂の横を通りすぎた。
するといつものように腰においた円堂の手が、剣城の顔に近付く。剣城はいきなり出てきた影に驚いて立ち止まると、頬に冷たさを感じた。見れば円堂が、冷やされたドリンクを渡している。
「これは…」
「無理し過ぎだ、少しは休め」
円堂は剣城に優しく言いかけた。剣城は隠し事がばれたかのように、顔をそらす。それでも円堂は剣城を見ていた。
確かに円堂のいう通り、剣城は焦りを感じ出さなくても良い力を出していていたのである。
松風とは同級生であるのにサッカーの始めかたも違い、ここにいた経験も少しの間とはいえやはり差があった。松風に言えば気にするなで終わるかもしれないが、剣城にとってはそれすら負けた気になるからあえて言わないでいる。
口に出さないのに、分かったということは、それだけ円堂が自分に気にかけていたのだと知り、剣城は恥ずかしくなった。
「…すみません」
ドリンクを受け取りながら、剣城は素直に言うと、円堂は剣城の顔を覗いてくる。剣城はあまりの近さに肩を震わせ、焦りながら後ろに下がると、円堂は不思議そうな顔をした。
なんでそんな顔するんだ、と剣城は思う。あんなに顔を近づけられたのははじめてなため、心臓は動きを早めてしまった。静まれ、と言い聞かせても静まらない心臓に腹がたちながらも円堂との距離を置くと、円堂は首を傾げる。
「なんで離れたんだ?」
「ち、近いからです」
「そうか」
手を打ちながら言う円堂は、剣城と距離をおいているのにもっと離れた。きっと近いと言ったからだろう。もう離れなくてもいいのに、と思うがこれ以上言えばまた近づいてきそうで剣城はなにも言わなかった。
松風に呼ばれていたことを思い出す。剣城は無言でグランドに向かった。すると、円堂は剣城の名前を呼んだので振り向くと背中を叩く。
「そうやって素直にした方が可愛いぞ!」
円堂はさっきまでの笑みを崩さずに、言いながら走り去っていった。剣城は立ち止まる。可愛いなど言われても嬉しくない。
余計のお世話だばーか
嗚呼、鳴く蝉が煩い。
110829