天馬ははらり、と雑誌をめくった。ファッションでもゲームでもない、ただサッカーの選手を分析している雑誌だ。もう二時間も経っているのに、ページは数回捲られたかという程度。1人の顔を見つめて、書いてある文字以上のことを見ているようだった。俺はベッドに座って、最初は後ろから覗いていたがめくられる速度が遅いので眠くなってくる。すると、天馬も目が疲れたのか、雑誌を閉じた。そしてこちらを向くと、俺のお腹へと抱き付いてくる。俺もされるがままに、寝転んだ。
「剣城の奥さんは綺麗なんだろうな」
思わず、天馬を見ると、天馬は可愛いげのある目で俺を見ている。俺はぷっくりした頬をつまむと、にらむように見直した。
「いきなりなんだ」
「いや、いつかは絶対結婚しちゃうからだろ。だから、想像してた」
「いきなり現実じみた話だな。サッカー雑誌からどうやったら連想されるんだ」「わかんない」
自分自身も分かっていないようで、なぜか照れたように首を傾げる。一度天馬の頭の中をそのまま覗き込めたら、暇をしないだろうな、と思った。雑誌を横目で見ると、やはり結婚はどう捻っても連想されない。
天馬のいった通り自分が結婚をして、幸せそうに暮らす様を浮かべてみた。テーブルの向かい側に座る女性は、顔が見えないので綺麗などとは言えないが細く、だが気は強そうである。ついでに子供も想像しようとしたが、さすがに浮かばないので止めた。相手の顔がわからないのだから、浮かんだとしても俺の顔が浮かぶだけなので面白みもない。
本音を言えば、今まで未来を想像するとなると、テーブルの向かい側には天馬がいるはずだった。俺が仕事から帰ったら、一緒のタイミングで帰ってくる天馬と調理をしたり、たまにサプライズで豪華な料理を作って天馬は笑う。喧嘩はきっと絶えない。お互い言いたいことを言い合って、ぶつかり合うだろう。そう、これが今までの考えていた話。
だが、現実は“幸せ”には行かない。いずれはどちらかが結婚して、片方も腹をくくりまた結婚し、離れていくのが現実であった。覚悟もなにもいらない。これは、自然界の摂理である。
「ふ、お得意のなんとかなるさ、は出ないのか」
笑いながら出た言葉は、もっとも俺が求めていた言葉だった。天馬は俺の腰に回した手を、一、二回動かす。俺の言葉に反応した、といった方が正確だろう。天馬は掠れた声で、ゆっくりと言った。
「言えないこともあるんだよ、剣城」
そうだな。
まるでこの言葉の答えが決まっているかのように、俺は頷きながら呟く。天馬も自分の言ったことが一番正しいとわかっているのか、俺の言葉に何度もうなずいた。
それが寂しかったと言えば、これはわがままになるだろう。自分がいった言葉だ、賛同してもらったのならば喜ぶべきなのである。天馬は、腰に掛けた手の力を強めた。
「結婚したらさ」
「ああ」
「俺をたまに思い出してね」
「無理だな」
「ふふ言うと思ったー」
いつ泣くかと思ったが、天馬はついに泣き出す。情けなく眉毛は下がり、鼻水を吸い込む音がした。顔は笑顔のままで、まるで汗が垂れるかのように違和感はない。だが、世界一涙が似合わない男だと思う。今、笑っていてくれて良かったと思った。
「間違ったことは嫌いなんだろ」
「うん」
「じゃあ俺がお前を思い出したらそれは、間違ったことだ。」
「そうかな」
静かに食いかかってくるのに、声は諦めを含んでいる。もしここで俺が思い出す、と言っても天馬は口先だけで嬉しいなどとほざいていただろう。俺より諦めが早い天馬には、ありがたいのか寂しいのか分からなかった。
「ああ。だってきっと、思い出したら、またお前に会いたくなる。恋したくなる。それは気持ちだけでも結婚相手のこと以外を思うなんて立派な浮気だ。」
かっこつけたことを言いながら、天馬の涙を拭う。天馬は拭った俺の手をさも愛しそうに頬擦りしながら、残念そうに眉尻を下げた。
「あ、そうだ。じゃだめだね。」
はっきりとした声が部屋に響く。そう、考える前に答えは決まっている、俺たちの関係は今だけ。残りもしない、ダメな関係なのだ。
今気付いたように言う天馬が演技なのは、分かりたくなくても分かった。天馬自身も俺が気付いていることくらい分かっているだろう。はて、これは演技というのだろうか。
だがそこで、俺も名演技を挟み、とぼけたふりをした。
「今さら気づいたのか」
「えへへ、ごめんね。剣城は頭いいな。じゃあ今を存分に楽しもうか。」
そうして、俺の腰から腕は離れていく。こんな風にして彼はいつか離れていくのだろうか。
「そうだな。」
次に泣きそうになったのは俺だ。用意された思ってもない言葉を返すしか、彼を救う手立てはない。自分の幸せはもう見えているのに、彼の未来には自分の幸せは邪魔なだけで、気持ちを消すしかないのだ。なんて哀れなのだろう。
天馬が後ろを向いたのをいいことに、俺は涙を流した。この気持ちが体からでていくのを想像しながら、彼の背中を眺める。
「あっそういえば、この前秋姉が新味のジュース買ってきてねー…」
今までの話は嘘かのように、天馬は楽しそうに話始めた。
鈍いやつ。
思いながらも気付かれないのは嬉しい。俺は静かに頷いた。
天馬にはこう言ったが、きっと俺は天馬を忘れることはできない。浮気だなんて言ったがそれは違う。はなから、他の人を愛すことなんてないだろう。だから、天馬が離れていったその時は、目を閉じて、記憶のなかで君を愛す。
そうしか、この世で俺は生きていけないのだ。
120322