「……ます」
「……! ……、どう……ましたか……!?」
人の声……
ああ、旅館の人だ……
起き、なきゃ――
「――……、ちょっとのぼせ……ったみた……で――」
この声は、獏……良君……?
いや…………、演技をしている、バクラだ……
「……あらら、お布団用意……ましょうか?」
「――いえ、大丈夫です……!
ちょっと休めば良……言ってるんで――」
…………
……
――――おいしそうな香りが、次第に覚醒していく私の鼻孔をくすぐった。
ゆっくりと息を吸い込んでみるとお腹がグゥ〜と鳴って、意識を覚醒方向へと引っ張り上げていく。
「ん……」
うっすらと目を開ける。
「ご……はん……?」
部屋の畳の上に横たわる自分。
そしてそんな位置からでも、見上げた座卓の上にはいつの間か運び込まれた色とりどりの食器やおかずが並んでいることが確認でき、ぼんやりとした頭でお腹すいたな……と考えた。
「起きろ」
ごはんよりも、私をハッキリと覚醒させる鮮やかな声。
「ん……!」
のっそりと身体を起こすと、頭が少しだけクラクラしてこめかみが痛む。
起き上がってバクラの向かいに座ると目の前には、TVの旅番組で見るような豪華な食事が並んでいて。
「ったくよ……あのくらいでのぼせるとはな」
ふとバクラを見て、強烈な違和感。
「……何だよ」
「……あ…………」
目の前のバクラは――あろうことか、その身に浴衣を纏っていて。
「ッ……!」
いつもと変わらない邪悪な眼、どういうわけか獏良君の時より荒ぶった髪……そして、首から下は旅館の浴衣姿で。
だらし無くはだけた胸元からは白い肌と、僅かに千年リングが覗いていて、私は息を呑むと同時に鳴りやまない心臓を押さえながらまたあたふたする羽目になって、危うくテーブルの上の飲み物をこぼしてしまいそうになったのだった。
その後、自分も同じ浴衣を着させられていることに気付き、また卒倒しそうになりつつ――
二人きりで食事をしている最中もずっと、落ち着かない気持ちが収まらず、たまにバクラにチラリと眼を向けてみれば、すぐさま威嚇するような視線と浴衣姿が私の心を射抜いて。
さすがにキレたバクラに頭を小突かれつつも、それがまた暴力というほど強いものではなかったことから、そういえば散々酷いことをされたけど本気で殴られたり蹴られたりしたことはなかったよなーと思い出し――
それに気付くと、まるで直で心臓を鷲掴みにされたように鼓動がまた跳ね上がって、箸を持つ手もぎこちないまま私は、もはや味のわからなくなりつつある料理を口へとただ運ぶだけなのだった―――
「……バクラ。
さっきは本当にごめん……
まさかのぼせて倒れるとは思わなくて……
バクラが部屋まで私を運んで、その……浴衣着せてくれたとか……
あぁぁぁ!!!
あぁぁあ私のバカっ……!!!!
何も覚えてないなんて〜!!!
しかもバクラまで同じの着てるし……
恥ずかしくて顔見れないよ……」
「…………
おい…………一応確認しといてやる……
後半のそれは口に出ちまってるが問題ねえんだな?
また心で言っただけとかそういうふざけたアレじゃねえんだな……?」
「えっ、あっ!? うわっ!!??
や、やだっ……!!!
ご、ごめんなさいごめんなさい!!!
うわぁ〜〜! 何やってんだろ私……!!」
「チッ……それはこっちのセリフだろ……!
何なんだよてめえは……うざくて仕方がねえ」
「わあぁぁ本当にごめんなさい!!
あ、あのっ……!
ちょっと私、頭冷やしてくるね!!
大浴場の方の温泉入ってくる!!!」
「……温泉で頭冷やすってオカシイだろ……」
――バクラがそんなことを呟いた気がしたが、すでに部屋を飛び出してしまった私は聞こえないフリをしたのだった。
「落ち着け……落ち着け……」
長い二度目の入浴を終え、自分に言い聞かせるように一人ごちる。
こうなるのはわかっていた――
バクラと二人きりで、泊まりに来るとかそういう状況を迎えたら、自分の心臓と頭がもたないだろうということは当初から薄々予想がついていた。
「はぁ……バクラに迷惑かけちゃったし……
どうしてもっとドンと構えて優雅に愛らしくやり過ごせないんだろう……」
旅館内の通路をとぼとぼと歩きながら、あれだけの醜態を晒してしまってバクラは怒っているだろうか……呆れているだろうか、とぐるぐる考える。
やがて、考えても仕方ないと思い直して、深呼吸をひとつ――
覚悟を決めて、部屋に戻ることにしたのだった。
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bkm