スコールさんが気になり始めて、コーヒーを運んだり、そんな些細なことで幸せを感じていた、そんなある日。いつかの雨の日、雨宿りをしていた彼に勇気を振り絞って声をかけて、私は傘を貸しました。そうしたら、傘を返しに来てくれた彼は、私を家まで送ってくれたのです。こうして小さな私の恋は、遂に走り出したのでした。
彼は一見クールで取っ付きにくい印象だけれど、話してみるとすごく律儀で真面目な、優しい青年でした。私が自分と同じ学校に通っている先輩だと知って、勉強を教えてほしいと言ってきたり、実は人懐っこい性格なんじゃないかなと思ったり。
トントン拍子に事が進みすぎていた。私を、ただの店員ではなく、特別にみてくれていると思っていたのです。私が、スコールさんを、ただの常連客としてみていないのと同じように。彼はきっと私にしか見せていない一面があって、彼もそれを享受してくれている。私は少なくとも、他の誰より、彼のことをみている。店にいる僅かな時間しか会えなくても。それだけは自信をもって言えることでした。
何故こんなにも落胆しているのかといえば、今日の出来事。
初めて学内でスコールさんを見かけたのでした。学年が違うからめっきり会わないし、私も少しずつ取っている単位が減ってきているから大学へ行く頻度もまちまち。本当に同じなのかと、思っていた矢先の、今日。彼を見つけたのです。彼は店で見るときと変わらない出で立ちで、私の前を歩いていました。
その隣には、女の子がいました。
声をかけようかと思ったけれど、やめました。私が声をかけて、何を話すのかということもあり、女の子のこともあり。いたたまれなくなった私は走って走って、家に帰って。残念ながら、例外なく本日もバイトであります。
あの女の子は、スコールさんの彼女なのでしょうか。スコールさんのような人が隣に歩かせるのだから、やはり親しい人であることは間違いない。あまり良く見てはいないけれど、笑顔も、見せていた。…私は着替えもせずにベッドに倒れ込んでいました。もやもや。バイトに行きたくないと、初めて思いました。
「アイスコーヒー、です」
かしゃん、とガラスの音が響く。彼は少しだけ驚いた表情で、私の手元を見ている。何か言いたげな表情。私はそれを振り切ってカウンターへ戻っていきました。今スコールさんと話したら、きっと、このもやもやが悪化する。もやもやといっても、私の勝手な嫉妬なのだけれど。今日はあまり彼の顔を見ないようにしよう…俯いて、ひたすらにシンクを磨いていました。お客さんが来てからは、その接客に精を出したりして。考えないように、考えないように
「おい」
私の上がる時間になって、今日は店内にスコールさんの姿がありませんでした。最近はずっと一緒に帰っていたけれど、今日は私があんまり愛想がよくないから、怒って帰っちゃったのかもしれないと思っていました。むしろその方が、良かったのですが。
スコールさんは、店の外で、私を待っていたのです。驚いて、ドアの前で立ち尽くす私の腕をぎゅっと掴んで、彼はまっすぐ私を見て。咄嗟に視線を外すと、腕を掴む力が強くなる。
「スコールさん、…痛い」
「どうして俺を見ない」
「スコールさん」
「お前は俺を見ると言っただろう」
「スコールさん!!」
私の大声で一瞬怯んだスコールさん。もう、このもやもやが止められない。
「見てくれなんて、頼まれなくても」
「私はずっと見てました」
「でも、見てるのはいつだって私だけ」
「そんなの、つらいです」
「もう、嫌です、」
「こんなに私は、好きなのに!」
…後悔した。下を向いたままの私は、彼の表情が見えていないけれど。好きだと言った。もう、ただの店員と客では、接することなんか出来ないと。
今まで、店員とお客さんでも、スコールさんの傍にいられることが幸せだったのです。でも私は貪欲になりました。彼の事がもっと知りたいと思ってしまったの。私の知らない彼なんていなければいいのにと。多くを望むからこうなるんだと、誰かに笑ってほしかった、
「お前だけじゃない」
後悔にまみれたままの私、俯いた顔を、いつかのように優しく頬に手を添えて。スコールさんは私を上に向かせたのでした。そこには静かな視線が私を見据えていました。宝石のようなその瞳、めいっぱいに私が写りこんでいるのが見えます。彼の瞳の中の私は、今にも泣きだしそうな顔をしていました。ゆっくりと時間をかけて、彼は続ける、
「俺だってずっと、見てた」
「ずっと、振り向いて欲しかった」
「好きだ」
…耳を疑いました。けれど、私はいつの間にか彼に抱き締められていて、それで漸く実感しました。彼の体温が私に移ってくるから。私の背に回った腕が、とても温かいから。恐る恐る、私も彼の服を掴んでみる、その手は震えていた。スコールさんが好きと言ってくれた、夢では、ないの。感極まって、いよいよ私は泣き出してしまいました。もう一度、好きですと呟いてみると、返事の代わりに私を抱き締める腕の力が強まったのでした。
もう、勘違いしなくても、いいのですか。
手を繋いで空を仰いで
(いつのまに私は、こんなに彼に惹かれていたのでしょうか)