彼は私達をどうしたいのだと、今まで何度も思っていた。
崖から落ちていく榊を見据え、ハセヲ達は武装を解いた。結局、榊のAIDAはハセヲ達碑文使いの前では力及ばず…その壮大な野望は夢と散った、というところだろう。アトリの心を踏みにじった榊。アトリの最後の希望は、やはり彼に届くことはなかった。
「おめでとう、ハセヲ。」
一件落着と一息置く暇もなく…此処に居る筈はないのにと、頭では理解しつつも聞き慣れたその声に振り返ると、そこにはオーヴァンがいた。神出鬼没、まるで掴みどころのない彼はまたしてもこんな場所に現れて私達を惑わす。ハセヲがどうして此処に、と問うと、彼は薄く笑い、プレゼントを持ってきたと言う。手に持っていた何かを、勝利祝いだと私達の前に放り投げたのだ。…それは、人の腕。見覚えのある特徴的な、三爪の武器を手に持っていた、
── 三爪痕の、片腕だった。
脳がそれを理解した時、背筋が凍った。オーヴァンは、今しがた三爪痕と接触したようだった。そして、これは奴を仕留めた証、とでもいうのだろうか。ハセヲ、パイ、クーンが三人がかりでようやく退けた奴を、彼はたった一人で、倒してしまった…?突然の出来事に息を呑む私達の眼前で、オーヴァンが苦しそうに呻き体勢を崩す。彼の大きな左腕にはノイズが走っている。三爪痕とやり合い、負傷したのだろうか。心配で思わず駆け寄ると、来るなメイカ、そう言って制されたので足を止める。
「まだ、なのか…もう、時間がないんだ…」
「時間?…何のことだ?」
「…三爪痕の正体が、分からないのか?」
三爪痕の、正体。それは私達も目にした、あの蒼炎のPC。今私達の目の前に放られている、その腕が掴んでいるのは紛れもなくあの、独特の双剣…それを携えた、奴だ。
「志乃、揺光……お前の中の死神は、どれだけの屍を貪れば気が済むんだ…ハセヲ…」
そうだ。志乃、揺光…全ての未帰還者の原因。それが、奴。三爪痕なのだ。
「…あの傷の付け方を、教えてやろうか。」
── あの傷の、付け方?
オーヴァンの口から淡々と語られる言葉があまりにも不気味で、その雰囲気に私は思わず後退りした。そんな私の様子を見て、彼はぽつりと呟いた。怯えなくていい、と。
がらん。気付いた時には、オーヴァンの左腕に付いていた南京錠が重々しい金属音を立てて地面に落ちていた。オーヴァンの左腕、その体付きには些か不釣合いな物体。まるで何かを封印しているよう、これ見よがしに鍵の付いていたそれ、私やハセヲでさえその鍵が外された瞬間を見たことはなかった。その目に焼き付けろ。彼が鋭く叫んだ。怯んだ私を咄嗟にハセヲが抱き寄せる、そうして驚いている一瞬の間に、私達の立っているこの場所には、私達がこの場に辿りつくまでに何度も何度も目にしてきた、赤黒いあの傷跡が刻まれていた。そう、これは三爪痕の傷跡だ。
「よく見ろ…!!これが…お前達の欲した真実だ!!!」
この傷跡は、オーヴァンが、たった今刻んだのだ。
解き放たれたオーヴァンの左腕の封印。その部分には、黒く蠢くものが居た。ああ、あれは、AIDAだ。オーヴァンの左腕は、AIDAに侵食されていたのだ。オーヴァンが、あのAIDAが、この傷跡を刻んだ。志乃をキルした傷跡は、この世界に刻まれた全ての傷跡は、…三爪痕の傷跡は、オーヴァンの付けたもの、…
オーヴァンが、三爪痕の、正体 ── ?
ふと気づいた時には、パイ、アトリのPCはオーヴァンの左腕による一撃で消滅していた。彼女達は、私達の目の前で、オーヴァンのAIDAによりキルされた。まさか彼女達も、未帰還者になってしまった…?茫然とする私達に苛立ちを見せ、オーヴァンは時間がないと再度呟いたのだった。
まさか、本当に彼が、オーヴァンが…三爪痕?本当に、彼が志乃をキルした?私達がずっと、ずっと追いかけてきた真実がこんな形で?私達は、今まで一体何をしてきた?彼の一挙一動に翻弄されつつも、どこか信頼を置いていた、そんな彼が、
「俺を斃せ、ハセヲ!!!!」
今、私達と、対峙しているのは…どうして?
「メイカッ!!!!!」
ハセヲの叫び声が耳を劈く。気付いた時には、オーヴァンの左腕から伸びる触手、AIDAが、私の心臓部分に突き刺さっていた。息が止まる。うつら、意識が遠のく感覚に襲われる。ああ。
── 彼を恨まないで。
志乃、
── 彼を見守ってあげて。
私の役目は、此処で、
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