── これは罰だと思った。


「…、っ!おいっ!!目を覚ませ、メイカ!!!」
「メイカ!!戻ってきなさい!!」
「メイカさんっ!!!」


虚ろな意識、時間をかけゆっくりと浮上させる。私は横たわっている。私を覗き込む、ハセヲ、パイ、アトリ、そしてエンデュランスとクーン。滲む視界、ああ、私は泣いているのだと悟った。涙の理由は分からなかった。

いつの間にか、全員で知識の蛇へと戻ってきていた。ハセヲ、と彼の名を呼ぶとそのまま抱き起こされ、抱き締められる。私の存在を確かめて、消えないように、離れないように、縋るように。周りにいた皆が表情を和らげて、口々に私の名を呼んだ。…私は、生きている。生きて仲間達の元に帰ってきた。
自然な動作でハセヲを抱き締め返そうとして気付く。腕がある。あの時アトリの影に引き千切られ、目の前で食べられた筈の腕が。今見れば、私のPCは一ミリたりとも破損していない。なのに、


「……なに、これ。」
「メイカ…?」
「…違う。」


これは、なんだ?

私は自身の掌を見つめ、首を傾げた。違う、何かが。漠然とそれだけが頭にあった。

パイが静かに口を開いた。私達は月の樹エリアをAIDAより奪還し、アトリを救うことが出来た。しかし榊は逃亡中、今は榊の居場所を探している。そして私の記憶通り、私は月の樹エリア最深部にてAIDAに取り込まれ、ハセヲ達と隔離されたようだ。発見された時にはPCの両腕を失った状態で転がっていた。ハセヲ達が私を此処まで連れ帰り、以前行っていた憑神発現実験の際に展開していた私のPCデータのログを元に、八咫が私のPCを復元してくれたそうだ。…私は意識を取り戻し、今に至る。取り巻きの外にいた八咫が私を見据えていた。


「既に感じているだろうが、今の君は複製品だ。」
「複製…」
「君は碑文を失った。」


…正直、彼の言っていることを理解するのに時間がかかった。彼の一言は端的で、それが全てであった。私の中にいた碑文データは、月の樹エリアでアトリに取り憑いていた影、AIDAによって捕食され、アトリの中で一つの完全なイニス因子として結合した。そして今はアトリの中に居る。私は碑文を失い、ただの一般PCとなっていた。
身体は動かないわけじゃない、だというのにこの違和感は何だろうと思っていた。でもその要因が漸く分かった。私とPCとの情報伝達が、今までより剥離されているのだ。それは碑文を失ったから。碑文使いPCではなくなったから、PCとの繋がりは無くなり、まるで遠くからポリゴンを操作しているような…いや本来のネットゲームならばそれが妥当の感覚なのだろうが…そういった“普通”の感覚に戻っていたのだ。


「…ざけんな、何で、メイカが…」
「このままではイニス因子は不完全なまま、どちらのPCも開眼は出来なかった。そういう意味では、AIDAの行動は正しかったといえるだろう」
「うるせぇっ!!!んなこと聞いちゃいねーんだよ!!!」
「ハセヲっ!言葉を慎みなさい…!だから連れて行くべきじゃないと言ったの!!」


八咫の無情な言葉にハセヲは激昂し、パイと言い争う声が聞こえた。放心状態の私の身体はハセヲに抱き締められたまま。彼の顔は見えないが、私の耳元で僅かに嗚咽を漏らし、宛所の無い怒りに震えている。彼は決して、私を連れて行くべきではなかった、こうなったのは俺のせいだ、とは言わなかった。それだけが、救いだった。
…ああ、やっぱり私は彼の隣では戦えないんだ。何も出来ないんだ。可能性を見せられて、それを奪い取られた。私は再び絶望した。こんなことなら、最初から可能性なんていらなかったのに。泣くことも、叫ぶことも、この圧倒的な無力さの前では出来なかった。私の傍らに膝を付き、アトリが一生懸命私に謝っている。ごめんなさい、私のせいで、メイカさんから力を奪ってしまった。私は何も答えられなかった。クーンやパイも私に何か声を掛けてきているが、全く頭に入らない。頭の片隅で、この力は志乃が、ハセヲと共に歩めるようにと私に授けてくれた気がしていた。そんな心の支えを、失った。オーヴァンは、今の私に何て言うんだろう…頭の中ではそればかり考えていた。
だらりと力無く垂れ下がった私の腕、その片手をエンデュランスが掬い取り、甲に口付けを落とすような仕草をした。ふと彼を見遣る。


「メイカ…。メイカはそこにいるよね?」
「…う、ん、」
「…よかった。メイカは、ちゃんとボクの傍にいてくれる。ボクを置いて何処かへいったりしない…」
「……、うん…」
「…ならボクもキミの傍にいる、…キミはキミだ。」


どんな私になろうと、私が私である限り、共に。エンデュランスは薄く笑みを浮かべ、私を見つめた。この言葉を聞いた時、私は漸く声を上げて泣いたのだった。

私は、ひとり置いていかれることが、何より怖かった。


「…アトリ、ごめんね。」
「どうしてメイカさんが謝るんですか!メイカさんは何も悪くないのに、」
「私、アトリに守ってもらったのに。呼んでくれてたのに、アトリを守ることなんて出来なかった」
「違いますっ…私が傷つけたの!こんなつもりじゃ、」
「それに、…私は、前に進む為ならアトリを犠牲にしていたよ。…きっと。」
「メイカ、さん…」


私とアトリ、どちらかが力を手に出来るかもしれない。そうなった時、私は自分が犠牲になることなど考えなかった。私こそが、ハセヲと一緒に三爪痕を倒し…志乃を、揺光を、未帰還者を救うのだと、そんな未来を自然と思い描いていた。…これは独りよがりな考えをしていた私への、罰だ。アトリは私に危機が迫れば、力無くとも守ってみせた。私を犠牲にしてまで力を手にするかといえば、彼女は確実に首を横に振った。私が彼女に抱いていた想いなんて…友達だから、助けに行かなきゃなんて、どうせ偽善だった。
そうしてこの力を使うべきはアトリだと、碑文は判断した。だから私から離れていった。全てを持っていたことに気付かず、感謝せず、更に欲しがって、他の犠牲さえも厭わない。私は碑文を使役するのに相応しくないプレイヤーだった。
アトリはそっと瞼を閉じ、緩く首を横に振った。メイカさんは、私を犠牲になんてしません。絶対にです。そんなことを言うものだから、その根拠を聞いた。すると、アトリは眉を下げて。


「お友達だから。…メイカさんは、私が不安なとき、傍に居てくれました。助けてって呼んだら、ちゃんと迎えに来てくれたじゃないですか。本当に、嬉しかった」


たくさんの嫌なところを見せて、すみません。痛い思いをさせて、すみません。メイカさんに何を言われても、私受け止めます。だから、許してくれるなら、ずっとお友達でいたいです。

── 許してくれるなら、お友達になろう、新しく。ここから、始めよう。かつて私が言った言葉が、脳内に反響する。

彼女の佇まいがあまりにも眩しく映った。どちらが力を手にするだとか、そんな次元の話ではない。単純な人間力の差。自分の愚かさ、醜さに、最早呆れるしか無かった。先に許しを請うたのは、私だった筈なのに。アトリに深く頷きを返すと項垂れ、ハセヲに凭れるように甘えた。今はこの大切なもの達の傍に帰ってこれた事実だけを、受け止めようと思った。


「…いかねぇよ、」
「…ハセヲ、?」
「置いていかねぇ。お前は、そこにいるんだろ。なら絶対に、最期まで連れて行くからな」


…ハセヲは私の顔を覗き、そう言った。



back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -