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「君に、先に教えたかったからだよ」
 珍しいこともあるものだ。亜沙子は首を傾げた。いつもは隠し事ばかりするくせに、何故今度ばかりは警察より先に報告しようという気になったのだろう。黒峠が急に落ち着きがなくなり、頬を掻いたり枕の位置を変えたりしていた。
「犯人は、冴木じゃないんですか」
「どうかな、冴木さんもいたかもしれない。複数だったんだよ。みんな顔を隠していてね。ただ一人だけ、正体が分かったんだ。その人物がリーダーじゃないかと思うんだけど」
「誰なんです?」
 黒峠はため息をつき、目をつぶった。そのまま口を開かずにいる。ここまで言っておいて、もったいぶるのか。亜沙子は黒峠の腕をつかんだ。
「先生、誰なんですか」
 眉間にしわを寄せ、黒峠は目を開けた。苦いものでも食べたような顔だった。
「羽田友美」
「え?」
 亜沙子は目をしばたたかせた。思いもよらない名前が出てきたのだ。
 ハネダトモミ。
 ハネダトモミって、あの羽田友美? 友美のこと?
 笑ってしまった。彼の腕から手を離す。
「冗談はやめて下さいよ。そんな冗談、笑えません」
「これが冗談を言っている顔に見えるのか君は」
 見えなかった。いつになく真面目な顔だ。冗談なんて言っていない。だが、亜沙子は嘘をついた。
「見えますよ。先生はいつも嘘をつくし、冗談を言いますから。よりによって友美が犯人だなんて、そんな、変なこと言うのはやめて下さい」
「信じたくない気持ちは分かるけど、柊君……」
「顔も見ていないのに、友美だって分かるんですか。証拠はあるんですか? 友美は冴木ともカラクリとも繋がりはないし、先生を襲う理由なんてありません」
「柊さん、それがあるんですよ」
 亜沙子は振り向いた。買い物袋を提げた円が部屋に入ってくる。
「どういうことですか」
 聞きたいけど、聞きたくない。
 黒峠は嘘をつくが、円は嘘をつかないのだ。今すぐ耳を塞いで、この場から逃げたかった。だが、体は動かなかった。
「哲学倶楽部カラクリのことはご存じですね。そのカラクリの中心的人物だったのが山岡省吾という男です。彼は、羽田友美さんの父親です」
 それを聞いて、何を言っていいか分からず亜沙子は椅子から立ち上がった。
 ハネダトモミの父親が、ヤマオカショウゴ?



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