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 もう七時になる。
 こんな時間まで、どこで何をしているのだろう。嫌でも、子供の行方不明事件のことを思い出した。円と黒峠も同じことを考えているらしい。二人とも黙っている。まさか、そんな。もうすぐ帰ってくるだろう。亜沙子はそう思った。しかし、声に出して言うことはなかった。誰も何も言おうとしない。
 突如、電話が鳴った。受話器をとろうとする円に、黒峠が声をかける。
「円さん、我々にも聞こえるようにしてもらえますか」
 電話には受話器をとらずとも会話が出来るオンフック機能のボタンがある。円は微かに頷いて、そのボタンを押した。
「はい、黒峠探偵事務所です」
「円里沙さんは預かりました」
 ボイスチェンジャーを通した、耳障りな声だった。亜沙子は息をのんだが、円は眉ひとつ動かさなかった。
「目的は何ですか」
「何でしょう」
 落ち着いた口調だった。人さらいからの電話だとは思えない。冷たくはないが感情がなく、どこか事務的な感じがした。
「冴木……」
 黒峠が押し殺した声でそう言うのを、亜沙子は聞き逃さなかった。
「黒峠さん。黒峠有紀さんに伝えて頂けますか。余計なことに首を突っ込むあなたには審判が下ります。あなただけ来て下さい。お待ちしています」
 通話は途絶えた。
 「もしもし」と繰り返し、円は目を閉じた。
 亜沙子は呆然としていた。この僅かな時間に起きた出来事が、現実のことのように思えなかった。夢じゃないだろうか。しかし、夢でないことは分かっている。膝と手は震えているし、今にもその場に座り込んでしまいそうだった。
 円が目を開け、受話器を持ち上げた。ボタンを押している。
「警察に連絡を」
 黒峠が電話に近づき、フックを押した。「その必要はありません。私が行きます」
「有紀さん」
「先生」
 円と亜沙子が同時に声をあげた。
「彼らは私を指名したんです。私が行くべきです」
 何故か黒峠は「彼」ではなく「彼ら」と言った。根拠は分からないが、質問している状況ではない。円が首を横に振った。
「だめです有紀さん。危険すぎます」



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