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「夢の国、というものがありましてね」
 亜沙子は事務所で見たあの気持ちの悪い文章を思い出した。

『今こそ立ち上がれ国民よ。新たな国を目指し、我らと共に歩もう。新たな国で新たな指導者と共に、夢の国を作ろうではないか。この世のからくりは全てこのカラクリにあり』

「夢の国とは何ですか」
「新しい日本ですよ」
 冴木は肩をすくめた。くだらない、そう言いたげだ。
「リーダーである山岡省吾は、若い頃に政治家を目指していたそうです。結局その夢は実現しなかったようですがね。『こんな国は間違っている』、というのが彼の口癖でした。自分についてくるなら、きっと素晴らしい未来を約束すると言っていましたね。私は山岡が死ぬ前に倶楽部を抜けました」
 黒峠はハンバーグを口に押し込みながら首を縦に振っていた。冴木の話に頷いているのか、ハンバーグの味に感動しているのかは分からない。
「それで重村さんは」口に食べ物をつめたまま(レタスがはみだしている)、黒峠は上目づかいで冴木を見た。「重村さんはどんな人でしたか」
「重村ですか」
 冴木は懐かしそうに目を細めた。
「もう会わなくなってかなり経ちますが、死んでしまったなんて嘘みたいですね。とにかく熱心な男でしたよ。私は彼に誘われて倶楽部に入ったんです。危険な男でした。思いこみが激しかったから。どこでどう間違って、あんなことになってしまったんだか。そうだ、弟さんがいなくなったんでしたっけね」
 話しかけられた亜沙子はまた「はあ」と言った。
「重村は子供が好きでした。しかし、悪さをすることはありませんでしたよ。子供が嫌がることはしない奴です。その弟さんがいくつかは知りませんが、失礼ですが家出か何かじゃないですか」
 そう言われると、返す言葉がない。絶対に家出ではない、とは言えないし、絶対に重村に何かされたのだ、とも言えない。
「他に何かありますか」
「いえ」亜沙子は首を横に振った。
「ありますよ」
 紙ナプキンで口を拭きながら黒峠が言った。笑みを浮かべている。
「冴木さん、あなたは昨日、あの廃墟で何をしていたんです」
 冴木の顔から笑顔が消えた。
「何をしていたんです」黒峠は繰り返した。



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