犬と月



「吉良、居るかー」



大きな声とともに開かれた三番隊隊首室の扉。
その扉を開けた男――阿散井恋次はその後酷く後悔したという。



「あんた、誰?」
「も、申し訳ございません!六番隊副隊長阿散井恋次です、吉良副隊長はいらっしゃいますでしょうか?」



身体を半分に折り曲げながらその赤い髪が地面に付こうかというほどに頭を下げた。
恐る恐る顔を上げれば、隊長羽織を来た女がへらりと笑っていた。



「六番隊ってことは白哉坊の副官?大変でしょーあの子相手だと」
「い、いえ……」
「知ってるかもしれないけど、私は月闇夜。よろしく」



手を差し出されてどいうしたらいいものかと思案していると、夜は阿散井の手を取った。
それにしてもこの隊長、あの朽木隊長のことを白哉坊だとかあの子だとか、やけに親しいんだなと阿散井の頭の中はそのことで一杯だった。



「で、イヅルがどうしたの?今他の隊に行ってるけど」
「別に大した用じゃないんすけど……今日の夜飲みに行こうかと思いまして」



その瞬間、夜の顔が輝いた。
嫌な予感がする、阿散井がそう感じとった時にはもう遅かった。



「ねえ、それ私も行っちゃだめ?」



嫌な予感ほどよく当たるもの。
そのことを改めて心に刻んだ阿散井は、断るわけにもいかずただ頷いた。



「もうちょっとでイヅル帰ってくるからさ、お茶でも飲んでなよ」
「ありがとうございます」



差し出された茶に手を付けながら、目の前でにこにこと自分を見ている隊長に目をやる。
何か顔についているだろうか。
それとも、何か余計なことでも言ってしまったのだろうか。



「恋次ってさあ、副隊長って感じじゃないよね」
「はあ……」



突然下の名で呼ばれて、加えて一言目にそれとは。
口には出せないけれど、目の前にいる隊長も隊長らしくないといえばらしくないのだが。



「何か似てるなあって思ってさ」
「誰にっスか?」
「昔の私に。でも、私の上司は白哉坊みたいなちゃんとした人じゃなかったんだけどね」



何も言えなかった。
昔の上司のことを思い出しているのか、夜の表情は心なしか暗い。
それほどまでにその上司を慕っていたのか、あるいは……



「ごめんね、変な話して。そうだ、イヅルとは仲いいの?」
「はい、霊術院の同期なんで」
「同期か、楽しそうだね」
「月闇隊長は同期とかは……」



地雷を踏んだと思った。
先ほどの上司の話をする時の表情とはまた別の、今度は悲しそうな顔をしたから。



「うーんとね、昔は隊長やってたんだけどどっか行っちゃった。惣ちゃんの上司やってた人なんだけどね」
「惣ちゃん……?」
「ごめんごめん、藍染惣右介のこと。私、歳は彼と同じくらいなんだ」



全く、皆勝手にいなくなるんだからと小さく零した夜の声は阿散井にも届いていた。
それでもすぐに元の表情に戻る夜を見て、阿散井の中に何かが芽生えた。



「月闇隊長、辛い時は辛いって言っていいんじゃないっスか?」
「え……」
「あ、すんません偉そうなこと言っちゃって」
「いいのいいの、ありがとね恋次」



――ありがと
たった一言でこんなにも嬉しくなるものなのだろうか。
その後戻って来た吉良と共に三人で飲みに行き、阿散井が失態を犯したのはまだ別のお話。



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