「ったく、わかんねーもんはわかんねーんだよ!」 目の前で頭を抱えてノートと睨めっこをしているこの男は、同じクラスの藤堂平助。 テストを目前に控えた今日、こうしていつものように私の部屋に転がり込んでいる。 『だから、ここはこうして…って、聞いてる!?』 「半分聞いてる」 半分ってなんだよ半分って。 テスト前の貴重な時間を割いてやっているというのに、この男は。 平助は所謂幼馴染。 小さい頃から一緒にいるのが当たり前で、高校生になった今でもなぜか切れることのないその縁は、こうして今の状況を作り出している。 『この私が教えてあげてるんだから、少しは真面目に聞け』 「へいへい」 ペシッと平助の頭を叩く。 自慢じゃないけど、成績はそこそこいい。 私は平助みたいに部活をしているわけじゃないし、膨大に余った時間を勉強に費やしていたというだけの話なんだけど。 「玲はいいよなー。俺だって勉強できるようになりてーよー」 『はいはい。じゃあ、まずはこの問題解いて』 はい、と参考書の問題を差し出すと、平助は渋々それに目を落とした。 一生懸命に考えている横顔を見ていると、なんだかいつもの平助とは違うまるで別人のように見えるから不思議だ。 思えば、昔は私より低かった背も知らない間に伸びていた。 小中学生の時も“可愛い平助君”って皆に可愛がられてたけど、高校生になってからは“格好いい藤堂君”になっていて、平助に一番近い女子であろう私がその仲介を頼まれたことも一度や二度ではなかった。 でも、その度に平助はそんなの自分から話しかけてくれればいいじゃん、とまるで乙女心をわかっていない様子で、どんなに私が苦労していることか。 「どうした?」 あれやこれやと考えていると、問題を解き終わったらしい平助が不思議そうな顔でこっちを見ていた。 よく見ると、やっぱりコイツはそこそこ整った顔立ちなんだなーと改めて思う。 なんだか変な気分だ。 「熱でもあんじゃねえの?」 ぴたりと額に手をあてられ、思わず目を見開く。 心配そうな顔をした平助と目が合えば、まさにきょとん、という言葉が相応しいような顔をされた。 『だ、大丈夫だから!』 慌ててその手を払いのけると、部屋のドアがノックされていい匂いが漂ってきた。 「平助くん、玲、勉強頑張ってる?」 入って来たのは母親で、その手にはお菓子と紅茶が乗っていた。 ありがとーおばさん、と平助が言うと、母親はいいのよと優しく笑った。 言わずもがな、ウチの母親は平助の大ファンだ。 小さい頃から平助君が息子になってくれたらいいのに、と何度となく聞かされた。 …息子? 私に平助と結婚しろということなのか!? いかんいかん、また変な方向に思考が及ぶところだった。 「玲、やっぱり今日変じゃねえ?」 『そんなことないから!さ、休憩!』 頭の中から変な思考を取り去るように、お皿の上のお菓子に手を伸ばした。 すると、同じく手を伸ばした平助と指先が触れあった。 バッと手を引っ込めると、今度は平助が目を丸くした。 「俺、何か変なことした?」 怪訝な表情で平助が顔を覗きこんでくる。 待ってくれ、近い。 いや、今まで私たちは男女とかそういう世俗的なカテゴリーに囚われない友人として、いやただの幼馴染として接してきたはずだ。 それを、何を今更意識するんだ。 平助はただの幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもない。 『そうだよ、平助はただの幼馴染だよ』 「は?」 “ただの”を強調するように、自分に言い聞かせたつもりだったのだが、目の前にいる平助にそれが聞こえないはずもなく、間抜けな声で返された。 それでも、少しだけその声のトーンが低くて、少しだけ悲しそうな表情になったのは気のせいだろうか。 それからしばらくの間、私たちの間に会話はなかった。 重苦しい沈黙が部屋中を包む。 この状況を作り出したのは、紛れもない私なんだけど。 「なあ、玲…」 沈黙を突き破るように平助が口を開いた。 ひたすらに紅茶を眺めていた視線を上げれば、いつになく真剣な表情をした平助の顔が目に入った。 「俺、さ…玲のことただの幼馴染だなんて思ってねえよ?」 言葉の意味がわからず、しばらく停止していた脳を再び働かせる。 そうか、“ただの”じゃなくって一番のとか…いやいや、もしかしたらお前は別に幼馴染じゃなくてただの腐れ縁だ!なんて言われるのかもしれない。 『じゃあ…腐れ縁?』 「ったく、なんでそうなるんだよ」 頭をガシガシと掻きながら、平助がグイッと私の腕を引っ張って、私の頭は平助の胸に押し付けられた。 この状況はなに? もしかして、妹とか? いやいや、私は平助と同じ歳だし。 「玲は鈍すぎんだよ。俺は玲の事が好きなんだ!」 『す…き…?』 そりゃあ、私も平助のことは好きだけどさ。 そもそも嫌いだったらテストの前日にわざわざ勉強教えたりしないよ。 「あーもう!幼馴染とかそんなんじゃなくって、女として!」 いつの間にか平助の手は私の背中に回されていて、その腕にグッと力が込められた。 『私…は…』 好きか嫌いかで言えば、もちろん好き。 そして、平助との仲を取り持ってくれと言われる度に心のどこかがチクチクと痛んでいたのも事実。 ああそうか、と気づき、声に出して答える代わりに私も平助の背中に手を回してみた。 END back |