「あー、雨降ってきちゃった……」



仕事の帰り、買い物をしていたら雨に降られてしまった。
生憎今日は傘を持っていない。
とりあえず屋根のある場所に避難してはみたけれど、当分止みそうになく、濡れながら帰るしかないかと一歩踏み出したけれど、雨に濡れることはなかった。



「傘、使うといいよ」



すっと差し出された傘の持ち主を見れば、死霸装。
死神、だ。



「結構です。すぐ近くですから」
「そんなこと言わないで、ほら。雨に濡れる女の子を放っておけないよ」



にっこりと笑うその人は、私に無理矢理傘を持たせた。
断り続けても無駄だと思い、私はその好意に甘えることにした。



「……ありがとうございます。どこに返しに行けばいいですか?」
「僕は綾瀬川弓親。十一番隊だよ」
「申し訳ありませんが、私は瀞霊廷には入れないので……」



私が住むのは流魂街。
彼ら死神の住む瀞霊廷になど、入れるはずもない。



「君、あるんでしょ?霊力」



流魂街には二種類の人がいる。
空腹を感じる者と感じない者。
後者は転生を待つのみだが、前者は霊力があり、死神になれる可能性がある。
ちなみに、私は前者だ。



「死神には……なりたくありません」



私は現世で死した後、幸いにも比較的治安の良い地区に送られた。
今は小さな小料理屋で働いている。
今の生活に不満はない。
このまま転生を待つのも悪くないと思っている。



「傘、ちゃんと返してね」



にっこりと笑ったその死神は、次の瞬間にはいなくなっていた。
頭に残るのは去り際に見せた綺麗な笑顔。
十一番隊と言っていただろうか。
確か、あそこは野蛮な人が多いから気をつけろと聞いたことがある。
とてもそんな人にはみえなかったのだが。



「ったく、傘返せないじゃない」



呟いた言葉は雨に飲まれて消えた。



「おい弓親、お前今日はやけに機嫌がいいな?」
「さすが一角、わかる?今年はウチの隊に女の子が入ってくるんだよ!」



昔っからつるんでいるコイツは、たかが女ごときでこんなに浮かれる奴だっただろうか。
しかもウチの隊に女だなんて、物好きな奴もいるもんだな。



「で、その女が来るのがそんなに嬉しいのか?」
「ふふ、傘を返してもらうんだ」
「はあ?」



ついに頭がおかしくなったのか。
女とか傘とか、今日のコイツはさっぱり理解できねえ。
そうだ、女といえばコイツが一度だけ俺に女の話をしてきた。
十年くらい前だったかな、覚えてねえや。
確か、あの日は珍しく弓親がずぶぬれで帰ってきた。
何があったのか聞いたら、女に傘を貸したとだけ返ってきた。



「結局、来ちゃったよ……」



今までは入ることもできなかった瀞霊廷内に、今私はいる。
そして、今日から此処が私の暮らす場所だ。
手に握りしめるのは、一本の傘。
申し訳ないけれど、新しく買ったものだ。
死神になるのにこんなに時間がかかるなんて思わなかったから。



「今日から十一番隊に配属されました、月闇夜です」



隊首室の扉を叩き、名前を名乗る。
不幸なことに、今年の新入隊士は私一人。
どうやら、十一番隊はあまり好かれていないらしい。



「おう、入れ」



扉を開けると、怖そうな人とピンク頭の小さい女の子がいた。
更木隊長と草鹿副隊長…頭の中で覚えた名前を復唱する。



「お前が月闇か。弓親から話は聞いてる」
「え?」



どういうことだろう。
あの日、私は名乗らなかった。
名乗る前にあの死神はどこかへ消えてしまったのだ。



「ちょっと待ってろ。おいやちる、弓親を呼んで来い」
「あいあいさー!」



次の瞬間、草鹿副隊長は部屋から消えていた。
更木隊長と二人きりになって、気まずい空気が流れる。



「月闇、アイツを頼む」
「いえ、私はただ傘を……」



返すのが目的でこの隊に入りました、と馬鹿正直に言おうとしたところで、勢いよく扉が開かれた。
入ってきたのは髪を振りみだしたあの死神だった。



「本当に来てくれたんだね!」



あの日と同じようににっこりと笑うと、その人は私の手から傘を取った。
そして、もう一方の手で今度は私の手を取ると、ぐいぐいと引っ張って部屋から連れだした。



「あの!私まだ隊長に挨拶を…」
「いいの、ウチの隊長堅苦しいことは気にしないからさ。それより、まさか本当に返しに来てくれるなんて思わなかった」



にこにこと笑っている目の前の死神は、やっぱり綺麗だった。
本当は傘を返すというのは口実に過ぎなくて、もう一度貴方に会いたかったから死神になりました、だなんてとてもじゃないけど言えなかった。



「あの日君の名前を聞き忘れてさ、後悔してたんだ」
「え?」
「もう一度会いたいって思ってたんだ」



心底驚いた。
まさか、この死神も同じことを思っていてくれたなんて。



「あ、綾瀬川さん!私、も……」
「弓親」



紡ごうとした言葉は遮られた。
弓親と呼べ、ということなのだろうか。



「……弓親さん、私も貴方にもう一度会いたいと思っていました」



その時だった。
怪しかった空模様は崩れて、ぽつぽつと雨が降り出した。
弓親さんはさっき私の手から取った傘を広げた。



「雨、だね。今日は貸さないよ?」



一緒に行こうと差し出された手を、私は取った。



END



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