自分らしさ

今日も今日とて彼女は市丸に捕まっていた。
業務が終われば、いくら上司であれその誘いを断ることが可能なのに、それをしないのはきっと彼女の心の変化。



「泉水ちゃん、行こ」
「今日はせっかく定時通りに終わりましたし、副隊長も誘っては如何ですか?」



せやなあ、たまにはイヅルも連れてってやるか。
上機嫌な市丸は副官である吉良にも誘いをかける。
上司からの珍しい誘いに、吉良は二つ返事で了承した。
三人で向かったのは瀞霊廷の街中にある料亭。
隊長格御用達のその店は、静かで趣のあるまさに高級料亭。



「此処はお酒も料理もいけるんよ」
「ええ、そうですね」
「二人とも良くいらっしゃってるんですか?」



勝手知ったる風に奥へと進む二人を見て、吉良は驚きの色を隠せない。
市丸は隊長という職に就いて長い故に理解できるのだが、彼女は言っても三席。
副隊長の自分でもこのような場所にはなかなか足を踏み入れないのに、何故彼女が。
考え抜いた彼が辿りついたのは一つの答え。



「泉水ちゃん連れてたまに来るんよ」



大抵はそこらへんの居酒屋なんやけど、たまにはこないなところもええやろ。
ニッと彼女に笑いかければ、彼女もまた微笑み返す。
吉良から見ても、二人は仲睦まじい様子。
噂はあながち嘘でもないのかもしれないと彼は思う。



「いつもこんな高そうなお店でしたら、私も恐縮してしまいますので」



彼女も以前に比べれば随分と柔らかくなったような印象を覚える。
自分が副隊長に就任した当時は、まさかこの三人で食事に行くことがあるなど考えもしなかった。
時の流れとは人をも変えるものなのだ。
一番奥の部屋に通された三人は、運ばれてきた料理に舌鼓を打つ。
和やかな雰囲気のままに料亭を後にすれば、彼女は市丸と吉良に別れを告げて夜の闇に消えた。



「また一人で行ってもうた。いつも送る言うてんのに断られるんや」
「隊長に気を使われているんですよ。明日も早いですし、僕達も帰りましょう」



悲しそうな表情の市丸を見れば、吉良は先ほど自らの脳裏をよぎった二人の関係性は恐らく本当にただの噂なのだろうと確信した。
市丸が彼女のことを想っているというのは真実なのだろうが。
一方、二人の上司と別れた彼女が向かったのは五番隊宿舎。
慣れた手つきで部屋の鍵を開ければ、部屋の主が彼女に気づいて顔を向けた。



「どうしたんだい?こんな遅くに」
「寝てた?少し話があって」



既に寝巻に着替えている彼の前に座り、真っ直ぐに彼を見る彼女。
長年の付き合いだ、こんな時の彼女の口から出るのは決まって良いことではない。
藍染は姿勢を正して彼女の言葉を待った。



「私ね、現世に行こうかと思ってる」
「現世?休暇でも取るのかい?」



首を横に振る彼女に微笑みかけるが、彼女の表情はいつものごとく感情を映し出さない。
市丸の前では幾分か和らいでいるその表情を、自分には見せてはくれないのか。
彼の中では黒いものが渦巻いていた。



「任務。長期の現世任務に席官をって話は知ってるでしょ?」



藍染も隊長だ。
その話は少し前から聞いてはいた。
一般に現世任務に就かされるのはそれほど席次の高くない者、もしくは席を持たない者。
その者達では処理しきれない虚が稀に出るため、その度に応援を送るのは効率的でないという話は前々から議論されているところではあった。



「ギンには言ったのかい?」
「まだ言ってないわ。きっと反対するだろうから、正式に決まってから言おうと思って」



彼女とて市丸が自らに抱いている想いに気付いていないわけではない。
気付いているからこそ、これ以上彼の近くに居たくないと、これ以上近づけばきっと自らが飲み込まれてしまうと思っての決断だった。



「だからね、市丸隊長の監視はもうできない」
「そうか。でも、どうして急に……」



藍染の言葉に彼女はすぐには答えられなかった。
目の前のこの男に何と説明すればいいのだろうか。
下手に隠し事をしたところで、きっと見破られてしまう。
けれども、正直に言えば恐らく命はない。



「市丸隊長と居ると調子が狂うのよ。彼の前でぼろを出すわけにはいかないじゃない」
「泉水の調子を狂わせるなんて、私にもできないのに」



何だか妬けるな。
彼がそっと彼女に伸ばした手を、彼女は振り払うことはなかった。
ただ無表情でそれを受け入れて、朝になれば何事もなかったかのように部屋を出る。
それはもう何十年も繰り返されてきた二人の日常で、その日常は静かに終わりを告げようとしていた。


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