初めて感じた恐怖 帰り道、夜の空を見上げる。 きっとあの人は同じ空を見てはいない。 『馬鹿みたい……』 足元に転がっていた石を蹴飛ばした。 思わず口から出た言葉は自分への戒め。 きっと、私くらいの年頃ならば恋をすることも普通で、友人と所謂恋バナをするのも楽しみの一つとなるんだろう。 でも、私の場合は少しどころかかなり特殊で。 『死神、なんてね』 自嘲気味の笑みが漏れた。 あろうことか死神に恋してしまうなんて。 あの日、市丸さんが帰った後に気づいたこの気持ち。 気付いたところで到底叶わないことはわかっている。 だからこそ、心の奥底にしまっておこうと決めたのに。 そう簡単にはいかないのが感情というもの。 「見付ケタ、美味ソウな人間」 ぞくりと背筋に悪寒が走る。 振り向けば虚という化け物がこちらを見ていた。 市丸さんの話では私は霊力が高く虚に狙われやすいと。 そして今、目の前の化け物は間違いなく私を標的にしている。 ゆっくりと近づいて来る虚から逃げる。 走れども走れども、その距離が開くことはない。 それどころか、段々と距離が縮まっている。 ポケットのお守りを取り出して握りしめた。 これがあれば虚は近づけないと彼が言っていたから。 「ソンナモノ、役ニ立タナイ」 そんな私をあざ笑うかのように、虚がじわりじわりと近づいて来る。 腕一本分の距離。 目の前にはおぞましい虚の顔。 私は最後の力を振り絞って再び駆けだした。 『お守りが!』 立ち上がった瞬間にお守りが地面に落ちた。 拾い上げている暇はない。 仕方なくそのまま駆けだす。 しかし、再び虚に追いつかれてしまった。 最早これまでなのかもしれない。 ぎゅっと目を閉じれば、浮かんできたのは彼の顔だった。 「間に合ったみたいやね」 優しい声に恐る恐る目を開けば、目の前で翻っているのは三の字が刻まれた白い羽織。 ゆっくりとこちらを振り向いたのは市丸さんだった。 『市丸さん……』 「安心し。虚はもう昇華したから」 思わずその場に座り込む。 振える身体を抱きしめていると、ふわりと抱えられた。 顔を上げると、市丸さんの顔。 「家まで送ったるよ」 そう言うなり、周りの景色がすごいスピードで変化していった。 これが死神の瞬歩というものなのだろうか。 「温かいお茶淹れて来たるから待っとき」 『ありがとうございます』 ソファに降ろされた私は彼が淹れてくれたお茶を飲んだ。 じんわりと温かさが染みわたって、いくらか落ち着いた。 それにしても、今まであんなことなんてなかったのに。 「怖かったやろ?ごめんな」 『いいえ、もう大丈夫ですから……』 市丸さんは少し悲しそうな顔で笑った。 大丈夫だとは言ったものの、あの時彼が居なかったら確実に私は死んでいた。 私は助けられたんだ。 『凄いですね、市丸さんって』 「これでも一応隊長やからなあ。夜ちゃん一人助けられへんやったら格好悪いやろ?」 私はあくまでも彼が護るべき人間の一人なのだ。 特別でもなんでもない。 ただ、他の人に彼は視えないけれど私には視える。 それだけのことなのだ。 「ごめんな、怖い思いさせて」 『何言ってるんですか、市丸さんの所為じゃないですよ』 目の前の市丸さんは今にも泣きそうな顔をしていた。 笑っているはずなのに、きっと心は泣いている。 何故だかわからないけれど、そんな気がした。 「夜ちゃん、一つお願いがあるんや」 『何ですか?』 「明後日、一日空けといてくれへん?」 『いいですけど……』 「デートしよ」 どくん、と胸が高鳴った。 もしかしたら自惚れてもいいのかもしれないと思った。 もしかしたら私は特別なんじゃないかと思った。 はい、と頷けば市丸さんは満足そうな表情を浮かべて私を抱きしめた。 ←→ back |