願わくば花の下にて

「え……えっ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
『……まあ、一先ず落ち着くでござる』


 無茶を言うな、とライカは思った。
 以前自分の眼前で奈落の底に消えていった人物が、五体満足の状態で目の前に現れているのだ。落ち着けという方が難しいのではないか。

「……失礼ですが、ニンジャさんてお亡くなりになりましたよね…?」
「如何にも。拙者の肉体は現世から消え去った……しかし、魂は生きていて、こうしてお主と意思の疎通をしておる」
「じゃ、幽霊……」
『そうとも言えるな』

(ほ、本当に何でもアリだな……)

 にわかには信じがたいが、取りあえずこうして会えて話せているのだから真実なのだろう。

『そういえばお主、その格好は……』
「…それに関しては何も言わないで下さい」
『蹲っていたが大丈夫なのか?』
「慣れない服ですからね……でも、だいぶ楽になりました」

 目の前で超常現象が起こっているのだ。正直今は疲労感もぶっ飛んでいる。

「ならいいが……どうせ休むなら、何か座るものがあった方がいいのではないか?」
「はあ」

 そう言って示された場所には御影石でできた屋外用のベンチがあった。ぼんやりと立っているのも何なので、ライカはそこに座った。自身に続いて横に並ぶニンジャを密かに観察すると、僅かだが身体が透けて、向こう側にある桜の木が見えていた。本当に幽霊なのだ、と冷や汗をかきながら思う。

『お主は桜を見るのは初めてか?』
「そうですね。国にもあるようなのですが、これほどのものは初めて見ました」
『そうか。ではしっかりと楽しんでおくとよい』

 一陣の風が吹き、辺りの木々が靡いた。さほど強くは無いが、たおやかな花を僅かに散らすには十分の風力の様で、吹雪とまではいかないものの、桜の花びらがふわふわと辺りに舞っている。半透明なニンジャの幽体越しに、ライカはそれを眺めていた。

(なんか、桜の精みたいだな…)

 そういえば、とライカは昔、母から聞いたお伽話を思い出した。桜の木には不思議な力が宿っているという、迷信じみた物だ。しかしながら、それは本当なのかもしれない。夜の闇に浮き上がる苔生した木膚や、薄桃色の花弁を見ているとそんな気がしてくるのだ。
 だから隣に居るザ・ニンジャの――幽霊も、その所為で呼び出されたのではないか。不思議な力、要するに霊的なパワーを宿しているために、同類のものを惹きつけるのかもしれないと。憶測でしかないが、そう思えるのだ。



「――あ、」


 突然、纏められていた筈の髪の毛が一房、頬に掛かった。今まで散々無茶な体勢(大体ケビンの所為だが)を取った為に緩みかけていて、それが先程の風が引き金となって解けたのであろう。
 思わず声を上げたライカに、ニンジャが顔を向けた。

『どうした?』
「髪が解けたみたいで…」

 すぐに直します、と言ったものの、今の光源は提灯しか無い上に鏡すら持っていない。下手に触ったら益々崩れるのがオチだろう。

 そんなライカの心境を察したのか、ニンジャが口を開いた。

『どれ、見てやろう』
「そんな、恐れ多い……」
『気にするな。一人では心許無いであろう?』

 幽体が生身の身体に触れるのだろうか、という疑問は指が髪を滑る感覚で即解消された。するすると髪を直す手つきは慣れた感じがあり、彼の手先の器用さを伺わせる。
 それ以上にライカを驚かせたのは、手の温もりがあったことだ。まるで生身の人のようなそれが頭皮を梳く感触はどこか心地が良かった。

『――これで良いだろう』
「あ……ありがとうございます」
『礼には及ばぬ。……ライカよ』
「な、なんでしょうか」

 名前を呼ばれ、反射的に身が強張るのは相手が名高い伝説超人だからであろうか。それとも人知を超えた者だからだろうか。いや、それとも――

『忍である拙者が言うのも何だが――人生を楽しまれよ。若い内に出来るだけ様々な経験を積んでおくに越したことはないぞ』
「は…はい!」
『ふふ……いい返事だな』

 そう笑む表情は、やはり幽霊とは思えなかった。生気があるとでもいうのだろうか――彼が血の通ったものとして、その場に存在しているかのような気がした。

「ニンジャさん、あの」
『何だ?』

 言いかけたが、聞いてはいけない気がして口籠もってしまった。 何でもない、と言う代わりに首を横に振り、頭上の花を見上げる事に専念しようとした時だった。



「あれ……ライカ先輩?」



掛けられた声に我に返った。


 振り返ると、自身の後輩達――ジェイドを初めとする、ヘラクレス・ファクトリーの二期生たちが、ベンチの数メートル後ろにある、石造りの通路からこちらを見ている。

「お一人で桜鑑賞ですか?」
「は、一人?………ッ!?」

 隣を見て、ライカは息を呑んだ。先程まで隣にいたニンジャが消えていた。辺りを見回したが痕跡は跡形もない。

「…ジェイド、本当に私以外誰もいなかったのか?」
「はあ、そうですけど……」
「キョキョキョ〜、大方うたた寝でもして夢でもご覧になったのでは?」

 不思議そうな顔をするジェイドの隣で、クリオネマンが甲高い声を上げる。
 うたた寝。確かにそうかもしれない。そう説明したほうが、まだ現実味がある……が、あんなにも生き生きとした夢は見られるものなのだろうか。視覚、聴覚、触感と、全身で知覚を味わうような……

「グギ、こんな所で寝てたら風邪ひくっスよ先輩〜」
「折角ですから会場までご一緒しませんか?色々お話したい事もありますし!」

 まだ釈然とはしなかったものの、後輩たちからの誘いを無下にする訳にもいかない。ライカは立ち上がり、三人が待っている延段へと合流した。

「それにしてもライカ先輩、着物がお似合いですねぇ、キョキョ」
「また上手い事を言う……」
「その桜の髪飾りも凄い合ってると思いますよ!」
「えっ……」


 桜の髪飾り。そんなものを付けた覚えはないのだが。


 確かに、ジャクリーンに拉致られて振袖を着せられた折に、髪も相応にまとめられていた。しかし、バレッタで留められただけだったと記憶している。しっかりと鏡を見ていたから間違いはない。

 恐る恐る髪を触ってみると、髪を纏めた辺りに何かが刺さっていた。髪を崩さないようにゆっくりと抜き、確認しようと眼前に持ってゆく。


(…ウソでしょ…)


 ――全く付けた覚えのない簪が、そこにあった。


 桜には不思議な力が宿っている。
 その言葉が再度、ライカの中を過ぎっていった。

(初出:2012.05.04、改訂:2019.04.15)
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