オープン ザ ハート

7
「おい、揺らすな万太郎!」
「下を見なければ大丈夫だから!」
と絶叫するガゼルマンとライカ。

「そんなこと言ったってぇえ〜、う…うわあーん!」
万太郎が情けない声を上げる。

 只今三人は――いや、ヘラクレス・ファクトリー第一期生達は、雲梯(うんてい)にぶら下がった状態で進むトレーニングの真っ最中であった。
 勿論ただの雲梯ではない。彼らの両足には重りが括り付けられている。そのうえ下は断崖絶壁。落ちたら大惨事だ。
 パニックに陥った万太郎が鉄棒を揺らした所為で、数人が真っ逆さまに落ちてゆくのを横目にみたライカは、真っ青になった。

「万太郎、下を見るな!でもってそのまま進め!じゃないといつまでたってもこんなんだぞ!」
先頭を進んでいるキッドが鼓舞するが、万太郎は泣きじゃくったまま聞く耳を持たない。

「うわああん、怖いよお!」
「万太郎さぁあん、落ち着い……うわああ!!!」

 手を滑らせたセイウチンが落ちかけてしまう。

「セイウチンッ!」

 ライカは急いで左手を伸ばし、セイウチンの腕を掴んだ。二人分の重りとセイウチンの体重。ライカの体に一気に負荷が掛かる。

「ツィガン、無茶だよお!」
「へ…き、だか、らっ……!」

 歯を食いしばり、脂汗をながしながら必死で堪えるライカ。そのまま引っ張り上げようとする、が。

「………ッう…!」

 ズキン、と左腕に痛みが走った。ライカの顔が大きく歪む。
 しかし、ここで諦めたら自分自身も、セイウチンも助からない。最後の力を振り絞って、ライカは左腕を引き上げた。

「はあ、はあ……」
「ツィガン、ありがとう!もう大丈夫だよお」
「どういたし、まして…」

 さあ渡ろう、とセイウチンを促し、ライカは再度雲梯を続けた。二人の前を行くガゼルマンが、何とか万太郎を叱咤して向こう側まで渡らせたようで、先程までよくしなっていた鉄棒はすっかりと落ち着いていた。


*****


「次の訓練まで一時間の休憩を取る!各自休んでおけ!」

 バッファローマンの号令に敬礼し、散る一期生達。
セイウチンはライカを呼び止めて、再度謝辞を述べた。

「ツィガン、本当に悪かっただ……オラ重かっただろ?」
「大丈夫大丈夫、てゆうかあれは万太郎が悪いだろ……」
「もうっ、反省してるってばあ!」
「わかったよ、もう怒ってないから」

 ライカは膨れっ面で寄ってきた万太郎の肩を左手で叩こうとしたが、その刹那、腕を鈍い痛みが走った。思わず呻き声を挙げてしまう。

「……ッ」
「ツィガン?どうしただか?」
「何でも、ないから…」
「何でもないわけないだろ」

 そう言いながらライカの背後から左手を掴んだのは、ガゼルマンだった。

「痛ったぁ!」
「…やはりな。あれだけ負荷がかかったんだ、無理もないだろう」
「やっぱしオラの所為で!」
「うわああ、ツィガンごめんー!」

 半泣きで謝り始めるセイウチンと万太郎。

「ああっ、大丈夫だから!もう泣き止めってほら!!」
「おい、どうしたんだ?」

 騒ぎに気がついたキッドが走り寄って来る。

「さっきの件でツィガンが左腕を痛めたようでな」
「なんだって!大丈夫かツィガン?」
「捻挫しただけだと思うんだけど……休み時間だし医務室行ってくる」
「俺も付き添うから、キッドはバッファローマン先生にそう言っておいてくれ」
「は……?」

ライカは真顔でガゼルマンを見上げた。

「お前、ついてくるの?」
「そのつもりだが」
「……なんか意外」
「おまっ、折角の人の好意にケチをつける気か!」
「二人とも、早くいかないと休憩終わっちまうだよ〜」

 見兼ねたセイウチンが二人の会話に割って入る。

「ほら、ぶすっとしてねぇでガゼルに連れてってもらえ」
「……わかった」

 キッドにまで促されてしまっては、いつまでも駄々をこねているわけにはいかない。ライカはガゼルマンの後をついて校舎に向かっていった。


******


「ふむ、どうやら先生はいないようだな」
「………」

 ライカは内心ほっとした。
もし先生がいたら、検査と称して左腕のみならず全身を診断されてしまうかもしれない。親切心からやってくれる事でも、男装しているライカにとっては危機的状態になりかねないからだ。

「ほら、腕見せてみろ」

 一足先に椅子に座ったガゼルマンが促す。

「え……見てくれんの?」
「お前は一人で左腕に包帯巻けるのか?」
「………」

 悔しいが正論である。
 ライカは黙ったまま、もうひとつの椅子に座り、サポーターを外すと服の袖を捲り上げてガゼルマンの方に見せた。ほんのりと赤くなっている患部に、そっと指が触れられる。てっきり乱暴に扱われるかと思っていたが、ガゼルマンの手付きは意外にも優しかった。

「……ここか?」
「ッ…うん」
「軽く痛めただけのようだが……念の為、この後の実技は休め」
「ええっ、先生に怒られるよ」
「今のうちにしっかり治して、後日挽回すればいいだろう。……それに、先生方もお前がセイウチンを助けたのを見ている。理由が理由だから免除もしてくれるはずだ」

 ガゼルマンは手際よく湿布を巻き、固定用の包帯を巻いていく。慣れているのだろうか、とライカは思った。

「…なんか、上手いな」
「ん?」
「怪我見るのとか、手当ての仕方とか。ガゼルの家も兄弟とかいるのか?」
「いや……俺の家は…親父しかいないから」
「えっ」

 彼から家族の話を聞いたのは、これが初耳だった。

「ご、ごめん」
「別に謝ることでもないだろう。父子家庭なんて珍しいことではないさ。……それに、どうせ謝るなら、さっきの『意外』って発言の方にしとけよ。取り消せ」

 ぐりぐりと頭を撫でられる。毛皮で出来たライカのマスクは撫で心地が良いのか、触る者は多いが、特にガゼルマンはよく触っている気がする。そういえば、初めて会った時もこんな事をされた、とライカはぼんやりと思い返していた。

「――親父しかいなかったから、自分で色々やるしかなかったし……怪我の手当てもそのひとつだな。ガキの頃はしょっちゅう傷を作っていたから……」
「あんまし想像つかないけど、小さい頃は割とやんちゃだったのか?」
「やんちゃなだけなら良いけどな」

 ガゼルマンは苦笑する。

「ガキの頃は色々あってな、周りの奴らとは喧嘩ばかりしてた」
「え……」
「そんな事ばかりしているから、当然友達なんていなかったし、家に戻っても親父は仕事で一日の大半はほとんど留守だった。……怪我したら自分で処理するしかないだろ?」
「そういうことか…」

 道理で手当てが上手い訳である。
 ライカは大いに納得した。

「……僕、ガゼルの事誤解してたかもしれない」
「ん、やっと俺の類い稀なる才能に気がついたか!」
「そうじゃなくて。今までアンタの事、そういうキザですぐに人の事見下してくる嫌な奴だと思ってたけど」

「何だその散々な評価は……」
「でもさ……色々あったんだな、ガゼルも」
「……"も"って、お前も何かあったのか?」

 思いがけないガゼルマンの返しに、内心冷や汗をかくライカ。まさか自分は家庭の事情で男装している女だとは言えまい。
 しばらく考えてから、ライカはある事を思いだし、口を開いた。

「……送迎機で、初めて会った時にさ…」
「ああ」
「ガゼル、僕がレジェンドの子供だと聞いても物怖じせずに振る舞ってただろ?しかも仔犬呼ばわりまでしたし」
「……お前まだあの事根に持ってるのか?」
「いや、違うんだ。そうじゃなくて」

 じと目で見つめてくるガゼルマンにライカは慌てて首を横にふった。

「……僕も今まで友達なんて呼べる奴、いなかったから…『伝説超人の子』って聞けば、周囲はビビッて機嫌を損ねない様に振る舞おうとするし、そもそもこんな格好だから……どうしたって注目されるわけなんだ。それは、悪い意味でも」
「………」
「だから、あの時ガゼルがああやって接してきたのって、凄い新鮮だったんだ。……なんか、友達って、いたらこんな感じなのかな…って」
「………で、今は?」
「は?」

 ガゼルマンを見ると、いつもの人を喰ったような態度ではなく、極々真面目な顔付きになっている。
 予想外の表情に、ライカは狼狽えた。しかし、彼のの顔は以前にも見た事があった。アナコンダ事件の時、万太郎を助けようと無理矢理金網を破ろうとした自分を止めた時と同じものだ。

(……何なんだ、コイツ)

 いきなりこんな顔をされると、調子が狂ってしまう。

「……今は、って、何?」
「お前がその時思った様に、友達とはそういうものだったか?」
「……それって…」

 じいと見つめられて、ライカの心音が早くなる。

(あ、ガゼルって意外と綺麗な顔してるのな……って)

 ライカは心の内で、自らにツッコミを入れた。

(な、何ドキドキしてんだよ自分!しかもガゼルの顔に、えっ み…見惚れてた!?)

「おい、どうなんだ」
「! ……えっと、その、ですねぇ」
「なんで挙動不審になってるんだ」

 本当にこういう時のガゼルマンは勘というか、察しが鋭い。
 ぶんぶんと首を横に振り、ライカは言葉を探す。

「何ていうか……本当、色々だよな。普段は我が儘ですぐ僕に泣きつく癖に、いざとなったら目茶苦茶頼もしくなったり」
「万太郎か」
「いつもは派手好きで頼りがいがあるのに、ふとした時に甘えたになる奴もいれば、凄く優しくて、いつも僕の事気にかけてくれる奴もいたり」
「……キッドとセイウチンだな」
「我が儘王子のお守りで大変なのに、いつもニコニコしてる人もいて……」

そして…とライカは付け加える。

「普段は人を嘗め腐った態度で嫌な奴の癖に、何かあるといきなり真面目な顔して助けてくれる奴」
「……誰だ、それは」
「お、お前だよ 馬鹿タレッ!!」

 真っ赤な顔をして抗議してくるライカに、ガゼルマンが噴き出す。

「冗談だから噛み付くな、仔い――」
「仔犬いうな!」
「それにしても、何だか意外だったな、お前が俺を友達だと思ってたのは」
「えっ?」

 キョトンとするライカの顔に、ガゼルマンはまた可笑しそうに笑った。

「――俺はてっきり嫌われていると思っていたからな」
「え、な、なんで……」
「俺も同年代の奴とこんなに接するのは、今回が初めてだからな。今までに無い経験だし…それまで同級生なんて、口を開けば喧嘩ばかりだったからな」
「……そんなに自己分析ができるなら、いつもの自信満々な性格も改めたら?」
「お前なあ……」
「まあ性格は置いといて――でも、僕はガゼルの事、友達だと思ってるし……万太郎達もそうなんじゃないか。じゃなきゃあんなにつるむ事もないし、毎回飯も一緒に食わないだろ」
「そういうものか?」
「そうだよ」

 ガゼルマンの吐露に、ライカは共感すら感じていた。座学も実技も涼しい顔で自分の上を行っている様に見えたこの同期生にも、年頃の少年らしい一面はあるようだ。

「それに、ガゼルはこうやってちゃんと人の心配できるだろ。良い奴じゃん」
「な、……なんだよ突然」

 ガゼルマンの頬に朱が指す。

「…もしかしてガゼル、照れてる?」
「うるさいな」
「へー、可愛いとこあるじゃない」

 ライカは立ち上がると、いつも自分がやられている時の様にガゼルマンの頭を撫でた。動物の化身超人というだけあり、繊細な毛が生えており、手触りが心地好い。

「……あまり触るな」
「あ、ごめん。触り心地よくてつい」
「そんなもこもこした自前のマスクがあるのにか」
「マスクと生身じゃあ、やっぱ違うよ。 はー、すべすべだ……」
「なんだそりゃ」

 呆れたような口調でガゼルマンは返したが、顔は満更でもなさそうだった。



ガラッ



「おうおう!どうだツィガン、名誉の負傷ってやつは!」

 豪快に笑いながら医務室に入ってきたのは、バッファローマンだった。ライカは慌ててガゼルマンを撫でるのを中断した。ガゼルマンも急いで立ち上がる。

「先生、わざわざ来てくださったんですか」
「あー、キッドから聞いてはいたんだがよ、やっぱり心配じゃねえか教え子の怪我はよ!……へえ、手当てはガゼルマンがやったのか?上手く固定できてるじゃねえか!」
「あ、ありがとうございます」

 ガゼルマンは軽く頭を下げた。

「流石は首席といったとこだな、ガゼルマン……ツィガンも、あんな状況でよく同期を助けられたな……しかもあのセイウチンを」
「そんな……だって、友達ですから…」
「ははっ、やっぱりお前はヴォルクの息子だな。そういうところもアイツそっくりだ!だからこそ、ダチにも恵まれてるんだろうがな」

 バッファローマンは再度笑う。

「ガゼルと狼が仲良いってぇのも妙な話だが……んなこと言ってたら、オレだって牛なのにお前の親父と良くしてたもんなぁ!」

 ライカの肩をバンバンと叩くバッファローマン。激励のつもりだろうが、そこは先程けがをした左側である。ガゼルマンが言いにくそうに声を掛けた。

「先生、ツィガンが怪我したのはそっちです……」
「おぉ?悪ぃ悪ぃ……で、ツィガン、次の実技はどうするんだ?」
「あ、で、でたいです!」
「ハハッ、そう言うと思った。でも捻挫なら無理は出来ねえからな…部屋戻って休んどけ」
「そんな……じゃ、じゃあせめて、見学だけでも」
「ほんと真面目だなぁお前。まあ好きにしろ」

 頷くバッファローマンに、ライカは最敬礼した。

「じゃあオレは戻るからな、お前らも落ち着いたら来いよ」
「はい」

 再度礼をしてバッファローマンを見送る二人。足音が遠ざかるのを聞き届けた後、ガゼルマンがライカに向き直った。

「もう一度見せてみろ」
「へっ?」
「左腕。先生が触った時に固定がズレたかもしれないだろ」
「そ、そんな大袈裟な……っ!」

 言い終わる前にガゼルマンの手がライカの腕に触れる。思わず体がびくりとした。

「ん、痛むのか?」
「ち、違う、びっくりしただけ」
「はあ」

 怪訝な顔をしながらガゼルマンはするすると指を動かす。長く、格闘技を嗜む者にしては細めで筋が目だつ指。しかし掌は大きかった。観察しながら、ライカはある事に気がついた。
 ガゼルマンの左手の甲に、傷があったのだ。出来立てのものではなく、古傷である。間近で眺めなければ気付かないが、切ったもの、擦りむいたものがごたまぜになっていて痛々しい。
 気になったが、彼が左腕から手を離してしまい、問うタイミングを失ってしまった。

(コイツも……色々あったんだな)

 ライカは今までにないほどにガゼルマンに興味を惹かれていた。立て続けに、初めて見るような表情、内面を見せられ、自分が抱いていた彼の印象は、今やがらりと変わっていた。
 同級生と喧嘩ばかりしていた理由については濁されてしまったが、互いにもっと心が開けたら、いつか教えてくれるだろうか。更に知らない側面を見せてくれるだろうか。

 いつしかライカはそう思っていた。自身でも自覚がないほどに、強く。

(初出:2012.3.7、改訂:2019.5.16)
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