モノローグは聞こえない

6
 ライカの朝は早い。
 しかしながら、本日は少しだけ勝手が違っているようだった。いつもより1時間以上遅くベッドで過ごした上、未だツィガンの男装をしていなかった。それもそのはず、今日は休日で座学も実技もないのである。
 実家でもほとんど男装で過ごしていたせいか、不思議な感じではあるがたまにはこんな日もあっていいだろう。男装に慣れているとはいえ、やはり何もかも取っ払った状態はすっきりするのだ。

 外からは歓声が聞こえた。同期のメンバーが連れ立って自主練でもしているのだろうか、と思ったが、この声の弾み方から考えると恐らくは遊んでいるのだろう。外見は大人にも負けないくらいに立派な姿をしているが、やはり若手超人、まだまだ子どもなのだ。年相応に遊びたい時もあるだろう。

 そちらも気になったが、前日からライカは、今日は一日部屋で過ごそうと決め込んでいた。読みかけの本の続きも気になっていたし、座学のテストもそう遠くないうちにある。今回こそはガゼルマンに負けたくなかった。
 ライカはベッドに横になりながら、本を開いた。この量なら一時間もすれば読み終えるだろう。そうしたらテスト勉強。休憩時間の合間には残りの本を読めばいいだろう。こちらは読むのが楽しみでとっておいたものなのだ。
 ああ、なんて有意義な休日だろう。
自分でも口元が緩むのを感じながら、ライカはページに並ぶ文章に目を通し始めた――



『ツィガン!!いるんだろーー!!!』

ドンドンドンドン……

『ねえ遊ぼうよー!ねーえーー!!!』



 騒音だ。
 ドア越しに騒音が聞こえる。

『ま、万太郎さぁん、そんなに叩いたらドア壊れちまうだよ……』
『U世、まだツィガンさんがお休みになっていたらどうするんですか!』

 騒音越しに聞こえるのは2つの常識的なセリフ。
 全くだ。人の部屋を……付け加えるならば学校の部屋のドアになんてことをするんだ万太郎。
 無視を決め込んでもよかった。むしろしたかった。本の続きも気になるし、今万太郎を招いたら一日たっぷりは遊びに付き合わされてテスト勉強どころではなくなるだろう。
 しかし……

『嘘だぁ〜!いつも早起きしてるツィガンが寝坊なんて!絶対起きてるね、こうなったらボクちゃん無理矢理にでもドア開けちゃう』
『U世!こういうときばっかり無駄に形のいいタックルのフォームをとらないでください!ああっ…』
「起きてる!起きてるからドアを壊そうとするなよ!!」

 今開けられたら本来の自分とご対面ということになってしまう。それだけは断じても避けたい。というかさせてはならないのだ。そもそも、今まで自分がひた隠しにしてきた事が、こんな馬鹿らしい事態で曝け出されてしまったら死んでも死にきれない。

 ほーらやっぱりボクの言った通り!と得意げな万太郎の声が聞こえる。殺意が芽生えたが、ライカはぐっとこらえた。

「……まだ身支度整ってないから、15分だけ待ってて」
『えぇ〜、男同士なのにそんな気遣いいらないよ!ボクちゃんなんか顔も洗ってないのに』
『貴方はもっと身だしなみに気を使ってください!』
『いだだだっ!!!やめろよミート!』
「……お前も顔洗って出直してきな」

 ライカは溜め息をついた。
 本の続きも、テスト勉強も、今日はできそうにないようだ。


******


「おじゃましますだ〜…」
「わぁ、これがツィガンの部屋かぁ!想像してはいたけど片付いてるね!」
「全くです。U世にも見習っていただきたいですよ」

 急いで変装したものの、手抜きは一切していない。服装だけは休日らしくラフなパーカーとジャージだが、それ以外はいつものようにテーピングの上からコルセットで固定し、狼のマスクを被っている。

「なんもないとこだけどゆっくりしていって」
「うん、本当になんにもないね!」
「貴方の口は慎みっていうのを知らないんですかー!」

 ミートの空手チョップが万太郎の脳天を直撃する。

「いったぁ!だってえ、ツィガンだって男の子でしょ?エッチな本の一つや二つくらい持ってるかもしれないじゃん!」

 残念ながら持ってはいない。

「あっ、ツィガン、本当はボクらが来た時オナ……ゴフゥッ!」
「朝からなんて事を口にしようとしてるんですか!いいかげんにしなさい!……すみません、ツィガンさん、こんな人で」
「ははは……まあ、流石に慣れてはきたから…」

 ライカは苦笑するしかない。

「でね、失礼ついでにお願いがあるんですけど…」
「ん、何?」



『――ここか!ツィガンの部屋は!』
『開けろツィガン!このガゼルマン様が直々に遊びに来てやったぞ』

ドンドンドンドン……



「…………」
「その、道中に自主練帰りのキッドとガゼルマンにも会ってですね、その」
「……察しはつくよ。万太郎が誘ったんだろ?」
「その通り、です……」

 U世が勝手な事をしてごめんなさいと頭を下げるミートがいい加減かわいそうになってきたライカであった……


******


「俺の部屋ほどではないが整理整頓が行き届いているじゃあないか」
「そ、そうですか……」
「ツィガン、これはオレ達からのpresentだ!」

 キッドが飲み物と菓子を渡してくる。万太郎に比べたらまだこの2人は礼儀をわきまえているようだ。ガゼルマンは相変わらず一言多いけれども。
 とりあえず貰った飲み物と菓子を適当に開けて、机の上に並べた。遠慮なく食べ始めたのは言うまでもなく万太郎だ。

「それにしても、男六人が一部屋に集まるとむさ苦しいよねぇ!」
「お前が二人追加したんだろが」

 でもって実は女が一人いるんだけどなとライカは心の中で呟く。
 なかなか複雑だが、男装がばれていないという点では良いのだろう。

「ねーえ、ほんとにエッチな本とか持ってきてないのぉ?」
「……ないよ」
「ほんとにぃ?この本はどうなの?」

 万太郎が手に取ったのは先ほどまでライカが読んでいた日本の小説である。好きな作家の童話集だった。

「えーと『銀河鉄道の夜』……なんだ、官能小説じゃないのかあ」
「エッチな小説じゃなくて悪かったな」

 ライカは万太郎を睨みながら本を取り上げた。

「まあ、ツィガンがそういうものを持っていないのは想像がつくけどさ…」

 と、今度はキッドが口を開いた。

「そんなキュートなぬいぐるみを持っていたのは意外だったな」
「!!」

 キッドの指差した方向を見て、ライカはしまった、と内心焦った。持ってゆくかゆかないか、ヘラクレス・ファクトリー入学前夜まで悩んだ犬のぬいぐるみ。あれをベッドの上に置きっぱなしにしていたのだ。
 なぜ隠すのを忘れていたのだろう。あれを出しておけば、すぐに万太郎やらガゼルマンやらにからかわれるに違いないのに。

「わ〜、ほんとだぁ。ツィガンも可愛いところあるだねぇ」
「あ、いやそれは」
「だいぶ古いな。小さいころから大事にしていた奴か?」
「ちょ、触るなガゼル」
「あー!なんか背中の後ろにチャック付いてる!」

 開けちゃえ!とはやす万太郎。指を掛けるガゼルマン。
 心配そうなセイウチンと諌めるミートの声も無意味に終わった。

「ちょ、お前ら!」
「もう遅いもんね〜」
「こらっ ちょ……ああっ!!」

 中から一枚の紙が飛び出し、ひらひらと舞いながら床に落ちた。
 ライカは急いで取り上げようとしたが、キッドが先に拾ってしまった。

「なにー、キッド?エッチな雑誌の切り抜き?」
「……お前はそういう事しか頭に浮かばないのか…ただの写真だよ」

 しゃしん、と一字一句幼子に言い聞かせるように言うキッドに、なんだーとつまらなそうな顔をする万太郎。しかし、

「可愛い女の子が写ってるけどな」

 と付け加えられた情報に、目を輝かせながら飛びついた。

「マジでー!?ほらーやっぱツィガンも男の子だったじゃん!」
「落ち着いてくださいU世、これはグラビアではなくて、ちゃんとした写真ですよ。女の子もまだ小さい子で…」
「もっ、もういいだろキッド、そろそろ返し……」
「いや、俺達がまだ見ていない」
「…っ」

 ガゼルマンだけでなく、セイウチンまでもが興味深そうに写真を見ている。信じていたのに……と思いながら、ライカはひやひやと動向を見守る。

「そっくりな男の子と女の子が写ってるだねぇ〜……もしかして、兄妹だべ?」
「おい、もしかしてコレ、お前か?」

 ガゼルマンがトントンと指先で叩いたのは、左側に写っている少年。

「でもってこっちは……」
「わかったぁ!ツィガンの妹だぁ!!」

 得意満面といった様子で万太郎が声を上げる。

「そっ……そうだよ!」
「へぇ〜、ヴォルクさん、娘さんまでいらっしゃったのか……」
「ユーに妹がいたなんてなぁ」
「道理で万太郎の世話を焼く時に手馴れていると思ったら…」
「ちょっとそれどういう意味だよガゼルマン〜」
「そうだったんかぁ〜。実はオラにもドロシーっつう妹がいるだよ」
「そ、そうなんだ、セイウチンにも……ははは」


言えるわけがなかった。
その女の子の "方が" 自分だとは。

「そうかぁ、まだちっちゃい頃の写真みたいだけど、ツィガンのマスクの下ってこんな顔なんだぁ!ボクには負けるけどそこそこだね!」
「……万太郎がなんかガゼルみたいなこと言ってる……」
「どういうことだよそれは」

 ガゼルマンが噛みついてきたがライカは無視した。

「ボクちゃんだって、このマスクの下は絶世の美少年なんだよー。どんな女の子だってメロメロになっちゃうくらい!」
「…そうなの、ミートくん?」
「一応、キン肉星王家は代々美形と伝えられているんですが…」
「……マジで?」
「ですが、マスクの下の素顔を晒してしまうと自害しなければならないというしきたりがあるんで、確かめようがないですね……」
「ええー……」

 ライカはがっかりして肩をすくめた。
 万太郎が絶世の美少年。全く想像がつかないが、もしも本当だとしたら……とりあえず毎朝顔くらいはちゃんと洗ってほしい。せっかくの容姿なのに。

「それにしても、写真を持ってくるくらいなんだからよほど妹が大事なんだな。名前は何というんだ?」

 キッドの問いかけに、しばし悩んでからライカは口を開く。

「………ライカ」

 嘘は言っていない。確かにその子はライカという名前だ。
 自分の幼少期なのだから。

「ライカちゃんかぁ〜。へへっ、ちっちゃい頃じゃなくて、今の写真はないわけぇ?」
「何を考えてるんですかU世!」

 デレデレと相好を崩す万太郎を、ミートが叱りつける。

「残念ながらないよ」
「あっても見せたくないんだろう?可愛い妹に虫が付いたらいけないもんな」
「成程ツィガンはsister complexか」
「ガゼル、キッド、黙れ」

 ライカの低い声に、怖い怖いと呟きながら両手を上げるキッドと、口はつぐんだもののにやにやとしているガゼルマン。完全にからかわれている。

「でも〜、こんな可愛い妹がいるんだら、確かに心配したくなるのも無理はないと思うだぁ。きっと今はキレーな女の子になってるんだろうから、尚更だよねぇ?」

 二人とは打って変わって、曇りの無い綺麗な目でにこにこしながら言うセイウチン。……それも逆に困る。というか、照れる。セイウチンは「ツィガンの妹」を褒めているつもりでも、ライカからしてみると自分のことを言われているに他ならないのだから。

(いや、社交辞令だと思うけど!ほら、セイウチンって優しいから!)

 そう自分を叱咤する。

「あ……ありがとな、セイウチン。そんなこと言ってくれて」
「本当のことを言ってるまでだよ〜」
「本当のことって…そんな…」
「なんだ、妹のことを褒められたら我が身の事のように嬉しいのか?」
「黙れ鹿男」

 こういうときばっかり勘がいいから困るのだこの男は。
 ガゼルマンの額を小突き、ぬいぐるみと写真を回収してやっとライカは一息を着いた。

「でもさぁツィガン、ほんとに機会があったらライカちゃん紹介してよぉっ!」
「オラもドロシーに会わせてみたいな」
「確かに、超人の女の子にはなかなか会う機会はないからな」
「妹が俺の事を好きになっても睨むなよ?」
「ボクも、ヴォルクさんの娘さんにお会いしてみたいですねぇ!」

 ミートまでもが無邪気に言う。

「……いいよ。いつかね」

 そう返したが、できるわけがない。
 万太郎達が会いたがっている"ライカ"とは、自分自身。
 彼らが" ツィガン"と呼んでいる自分自身なのだ。
 そして、本物の"ツィガン"は――

 ライカは、写真に写る少年を眺めた。


******


 万太郎達が帰り、後片付けをした後、ライカはベッドに寝転び天井を見上げていた。
 今度から彼らが遊びに来たときは本当に気を付けよう、と心に戒める。まだ言い訳が付くものだったから今回はよかったが……あまり口に出したくないが、例えば、生理用品とか、薬など、決定的なものが見つかっていたらどうなっていたことか。正体がばれるか、ばれなかったとしても自身は変態扱いをされることは必須だろう。どうあがいても。

「ツィガンったら特殊性癖〜」とおどける万太郎が脳裏に浮かんだ。
それは絶対嫌だ。ごめん被る。

 しかしながら……内心嬉しかったのも事実であった。幼少期ではあるが、自分の姿を見た彼らの反応は悪くはなかった。思春期特有の異性への関心もあったのかもしれないが、紹介しろとか会ってみたいと言われればあまり悪い気はしない。

 もし、とライカは思った。

(もし、私が普通の女の子として万太郎達と会っていたら……)

どうなっていたのだろうか。
男として振舞っている時のように、仲良くなれるのだろうか。
こうやって他愛もない話をしたり、一緒に食事をしたり……もしかしたら恋をしたり――



(―――って!待て、私の思考!!)


 恋?
 どうしてそう思ったんだ!?
 ていうか、そもそも誰と?

 万太郎…はスケベだし、キッドは良い奴だけど目立ちたがり屋で疲れそうだ。
 セイウチンは優しくて人格者だが、どちらかというと気の置けない親友といった感じだし……ガゼルマンは…論外だ、あんなキザな奴。
 ……ああ、もしかしたらミートくんか?
 ははは……


(うん。ないない、あり得ない。)


 女として会っていたとしても、あいつらと恋に落ちるなんて、絶対にない。

 そもそも、自分は男として生きているのだから、そんなことは考えても無意味なのだ。自身に言い聞かせながら、ライカは誰ともなしに大きく頷くと、読みかけの本を開いた。

(初出:2012.03.05、改訂:2019.5.14)

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