「だ…だからって、こんなことしなくたって!」
「キン肉マンの息子、万太郎…お前を引きずり下ろして、オレがNo.1になる!」
「キッド、お前の考えは間違っているよ!」
万太郎が、キッドに抗議するため、よろよろと立ちあがろうとするのを、ライカは横から支えた。キッドにぶつけられたピーナッツと、ジャーマン・スープレックスの練習器具の棘の所為で、万太郎は体中に傷を作っていた。
(なるほどね。やっと納得できた)
何故、キッドが万太郎に固執しているのか。それは彼が幼少期に、キン肉マンについて父のテリーマンと揉めた事がきっかけだったのだ。逆恨みともとれる動機だが、キッドにとっては本当に重要な事なのだろう。彼は奥ゆかしい性格の父親に歯がゆさを感じているらしいが、それと同時に、尊敬の念も抱いているのだ。
(わかる……アンタの気持ちはよくわかるよ、キッド)
何故ならライカ自身も同じ様に、父親へ複雑な思いを抱いているからである。
正義超人の一員として平和の為に尽力した父。
友情に厚かった父。
「私たち」に愛情を注ぎ、守り育ててくれた父。
しかし――
あの「事故」以来、父は変わってしまった。
いや、父だけではなく、家族が変わってしまった。
壊れてしまった父と家族を守る為に、ライカはツィガンと名前を変え、男として生きる道を選択した。ツィガンと名乗った自分を見つめる時だけ、父はライカの大好きな、あの温かい目を向けてくれたから――
(思っていたよりも、アンタとは気が合いそうだよ、キッド。だけど……)
今の自分たちが第一に考えなければいけないのは、学校を卒業し、地球を守る事だ。悪行超人側には、自分たちよりも訓練を重ねた新世代の若者たちが大勢いる。それを打ち破るためには、かつての正義超人たちのように、皆で力を合わせなければならないのだ。ここで仲間割れが起こるのは致命的だった。
「キッド――痛ててて!」
万太郎は再度何か言おうと口を開いたが、傷が痛むのか座り込んでしまった。
「万太郎!」
「いででで……」
「さあ、医務室へ行った方がいい」
そう言って近寄ってきたのは、スペシャルマンJr.だった。
「あ、それは僕が……」
「ツィガンはまだジャーマンの訓練が済んでないだろ?大丈夫だ、ぼくに任せてくれよ。さっ、万太郎、肩につかまって」
なんて気配りができる奴だろう。感心しながらライカは頷いた。
やはり正義超人たるもの、かくあるべきだ。キッドの気持ちもわかるが、今は仲間内で競い合っている場合ではないのだ。
万太郎を支えながら歩くスペシャルマンJr.を見送りながらライカがそう思っていると、ロビンマスクが訝し気な声で指摘をした。
「……スペシャルマンJr.、医務室は校舎の中だ。そっちはスパーリング用のリングしかないぞ!」
ライカはハッとした。彼は医務室と真逆の方向に向かっているのだ。
「―――ヒャッヒャッヒャァ!正義超人はチェックが甘いのう……」
「!」
下卑た笑い声をあげるスペシャルマンJr.の顔が、パリパリと音をたてて剥がれていく。そこから見えるのは、別の顔。
「ぎゃああ!顔がぁ!!」
万太郎が悲鳴を上げた。顔だけではなく、体の皮膚が腐った土壁の様に剥がれ、中から蛇のロボットのような男が現れる。
「お前は……!」
ロビンマスクの声には狼狽の色がうかがえる。
「誰だ!」
ミートが気丈にも、相手に向かって問いかけた。
「ヒャーッヒャッヒャッヒャア!悪行超人アナコンダが、お前の命を頂戴しに来たぜぇ!キン肉万太郎!!」
アナコンダと名乗った超人は、胴体でギリギリと万太郎を締め上げる。
「まっ、万太郎!」
「U世ー!!」
「悪行超人がどうしてここに!」
「馬鹿なお前たちの行動は、何もかもお見通しなんだよォ!ヒッヒッヒ……こんなところで若い奴らを鍛えられて強くなられちゃあ、困るんだよ!」
万太郎の体がリングへと叩きつけられる。アナコンダは自身もリングに滑り込むと、中にあるボタンを押した。
「そ、そのスイッチは!」
「ロビン校長、あれは一体!?」
「あれはデスマッチ用の特別リングだ。このままでは万太郎が……」
頑丈そうな金網がリング全体に張り巡らされていく。まるで檻の様だ。
「どちらかが倒れるまで出られないのか……!」
ジ・アダムスが青い顔で呟く。
「これじゃあ救出できないぜ!」
「大丈夫かなあ、万太郎さん……」
「クソッ!」
ライカはわずかな隙間に両手を差し込み、網を引き裂こうとしたが、それは徒労に終わった。流石はデスマッチ用の金網だ。
(くそ、こうなったら「アレ」を……)
もう少し隠しておきたかったが、今は非常時だ。
ライカは再度、両手に力を入れようとした。しかし、
「馬鹿かお前!網を破る前に指がちぎれるぞ!」
横からガゼルマンの手が伸びてきて、腕を掴まれた。
「だ、だって万太郎が……!」
「気持ちはわかるが落ち着け!お前まで怪我をしている場合ではないだろ」
いつもの人を舐めたような態度ではなく、有無を言わさぬ気迫で怒鳴られる。
(な、何、調子狂うじゃん……)
ライカは驚きのあまり、金網から手を離した。
そうこうしている間に、万太郎はアナコンダの猛攻を受けていた。長い胴体をもつアナコンダには、首を捉えてから発動できる必殺技のキン肉バスターを決めるのが難しい。おまけに、尾の方には刺がある。万太郎は乱れ撃ちを食らわされて、体中に裂傷を作っていた。
このままでは殺されてしまうかもしれない――ライカの顔から、血の気が引いた。
「おい、アナコンダ!!」
いつの間にかライカの横に立っていたキッドが、金網をバンバン叩きながら叫んでいた。
「オレと闘ってくれ!!オレはテリーマンの息子のテリー・ザ・キッドだ!俺は頭脳だって、運動能力だって万太郎より上だ!だけど、一度も悪行超人との闘いの実績がない!だからあんたと闘い勝って、実績を作りたいんだ!!」
成程キッドらしい主張である。が、しかし、そんな都合のいい要求を悪行超人が聞き入れるわけがなかった。そもそもアナコンダは、万太郎を殺す任務できているのだ。
「うるさい!万太郎を倒してから遊んでやるぜ!!ヒャア〜〜ッ!」
「うわあああ――――!!!」
金網越しにアナコンダの尾を叩きつけられ、キッドが吹き飛ばされる。数メートル以上先の地面に、体が思い切り叩きつけられる鈍い音が響いた。
「キッド!」
急いでライカは駆け寄った。キッドはよろよろと上体を起こしたが、その顔は苦痛にゆがんでいる。みると、左足のズボンが破けて、大きな切り傷ができていた。血も流れている。真っ赤な血液が、キッドの白いズボンを染め、地面にまで滴り落ちていた。
「ッ―――!」
その刹那、ライカの脳裏にある光景が浮かんだ。
―――雪の降り積もった、森の中。
傷だらけの幼い少女が……「ライカ」だった頃の自分が、何かに追いすがって泣いている。
ピクリとも動かない「それ」からは、鉄臭く赤黒い液体がだくだくとあふれ出る。
真っ白な雪を、そしてライカをも染めていく……―――――
(ッ、こんな時に、ビビってんじゃないよ、私!)
自身を奮い立たせるように、手持ちのものから止血できるものを探したが、あいにく何もなかった。そうしている間にも、キッドの足からは血が流れている。
(……やらないよりは、マシだよね)
ライカは意を決すると、キッドの左大腿の付け根を自身の両手で包み込むように押え、力を込めた。できるだけ心臓に近い部分を圧迫して出血を抑える応急処置だ。これはかつて父から教わった方法であった。
キッドは驚きの表情を浮かべたが、されるがままだった。
「……酷い傷じゃな…」
(えっ)
ライカが顔を上げると、マントで体中を覆った男が、彼女とキッドを見下ろしていた。いつの間にいたのだろう。
「あ、貴方は……?」
「見事な手際だな、ヴォルクの息子よ。奴の若い頃を思い出す……」
「え……!?」
「早く手当てをしなければ……痛むじゃろう」
男はしゃがむと、懐からバンダナを取り出し、キッドの怪我に巻き始めた。
「そっ、そのバンダナは!」
キッドの顔色が変わった。よく見ると隅の方に何か書かれている。
ライカも息を呑んだ。
――そこには、流れるような筆記体で、"Terry man"と明記されていた。
「どうして、パパの……!?」
「これは友情の証にもらったバンダナさ」
バンダナから何かが滑り落ちた。1枚の、古ぼけた写真である。劣化は進んでいるものの、大切にしているものだというのが見るからに伝わってくる。
そしてそこに写っていたのは、満面の笑みを浮かべてトロフィーを抱く2人の超人―――
「これはテリーと一緒に出場した、宇宙超人タッグトーナメントで優勝した時のものだ。……たった一人で闘う時も、こいつをタイツの左胸に忍ばせてリングに立ったものさ。こいつを胸に忍ばせておくと、テリーが一緒に闘ってくれているみたいで勇気がわいてきた…」
「アンタは……いつもパパのバンダナと、この写真を、肌身離さず……」
キッドは放心したような顔で、写真を拾い上げた。写っている二人の超人――テリーマンと、キン肉マンを、じっと見つめながら。
「ああ…これがなければ、おそらくほとんどの試合に勝つことはできなかっただろう。……本当のNo.1は、君のパパさ」
キッドの両目からは、大粒の涙が溢れていた。
「ぐわああああ……!」
万太郎がうめき声を上げる。彼の体は再度、アナコンダの胴体できつく締めあげられていた。
「どうだ痛かろう!苦しかろう!でも心配するな、もう少しで何も感じなくなるからなぁ!」
「U世ー!!!」
ミートの呼びかけも虚しく、窒息しかかった万太郎の口からは悲鳴以外聞こえない。
「万太郎さぁん!」
セイウチンが悲痛な声を上げる。その隣ではガゼルマンが悔しそうにこの事態を見つめていた。
為す術なく、万太郎は殺されてしまうのか。―――その場にいた全員の心に、最悪の事態が思い描かれた。
………その時であった。
「―――オイッ!蛇野郎!」
バシンバシンと激しく金網を叩く音がした。
「何だとぉ!?」
アナコンダが睨みつけた先には、先程怪我を負って倒れた筈のキッドがいた。
「オレと闘うのが怖いから対戦を拒否しやがったな!この弱虫蛇め!!かかってこい、お前なんか、片手で倒してやるぜ!」
「グゥウウ〜〜……もう我慢できねェッ!お前を先に始末してやる!」
侮辱の言葉にいら立ちの臨界点を超えたアナコンダが、万太郎の拘束を解き、キッドに襲いかかろうとした……が、しかし。
「グ、ウワァアアア!!!なんだこりゃあ〜〜〜!!」
アナコンダが悲鳴を上げる。彼の機械製のボディーに次々とクレーターが開いていた。キッドが、間食用に持ち込んでいたピーナッツを驚異的な肺活量で吹き飛ばし、弾丸の如く撃ち込んだのだ。
「万太郎、起きろ!キッドが加勢してくれた今がチャンスだ!」
キッドの横に立ったライカが、金網を揺らして叫ぶ。
ぐったりと倒れていた万太郎の体が、ピクリと反応した。
「万太郎、チャンスだ!アナコンダにできたへこみを駆け上がれー!!」
「キッド……」
「後は頼んだぞ!」
そう叫ぶキッドの顔に、今まで見せた万太郎への憎悪は、微塵も感じられなかった。
それに呼応し、力強く頷く万太郎。
彼らの姿はライカに、若かりし頃の彼らの父親たち――キン肉マンとテリーマンを思い起こさせた。
「うおおおおおおーーーーー!!!」
万太郎が激昂すると同時に、体中がオーラに包まれる。
小柄な体には、はちきれんばかりの筋肉が出現し、額に『肉』の文字が浮き上がった。
「まさか、これが……!」
「ええ、ツィガンさん…これがキン肉一族の神秘の力、”火事場のクソ力”です!」
ミートが高らかに叫んだ。
「いくぜ、アナコンダ!うおりゃああああ!!」
キッドがつけたクレーターを階段の要領で駆け上がる万太郎に、周囲から驚きの声が漏れた。 ライカも、食い入るように見つめていた。
(嘘だろ……!?これがあの、泣き虫な万太郎と同一人物なの……?)
「いいぞー、万太郎―!!」
キッドが歓声を上げた。
「今度はこっちの番だぁ!」
登りきった万太郎は、体を空中で反転させて右腕をアナコンダの首に絡ませた。同時に左腕は尾を掴む。そのまま天高くアナコンダごと飛び上がり、リングに向かって高速で落ちてくる。
―――敵の頭を左腕で捕獲。
同時に頭を敵の左肩下に潜り込ませ、右腕は敵を持ち上げるための支えとして用意。
両腕の絡みを強固にし、大地の巨木を引き抜く心構えで、敵の身体を高く差し上げる。
そして両内腿を押さえ、身体の自由を奪ってしまう。
敵を抱え上げた状態から高く舞い上がり、稲妻の如き勢いで地に叩きつければ、
首、背骨、腰骨、左右の大腿骨の五箇所が粉砕される―――!
「キン肉バスタァアアーーーー!!!」
凄まじい地響きと同時に、アナコンダの蛇のような胴体がばらばらになって砕け散る。彼は苦悶の表情を浮かべながら断末魔を上げた。
誰の目から見ても、万太郎の勝利は明白であった。
「やりましたねU世!!」
「すごいぞ万太郎―!!」
グラウンドは、大きな歓声に包まれていった――――
******
アナコンダ事件以降、万太郎とキッドの中はすこぶる良好になった。
わざわざスペシャルマンJr.に変装してまで乗り込んでくるとは、本当にはた迷惑な奴だったが、二人の件を考えるとアナコンダこそが影の功労者ではなかっただろうか……とライカは内心思っている。
「Good morning、ツィガン!」
食事が乗った盆を持ったキッドが隣に座ってきた。万太郎との仲が改善された事、また怪我の一件で介抱をした事もあって、キッドはライカにもよく話しかけてくるようになった。必然的に、食事のメンバーが一人増える事になる。
「今まで無視しちまって、本当に悪かったよ」
「いや、気にしてないよ。それより足の怪我はどう?」
「おかげでだいぶ良くなってきたぜ!明日には実技に参加できるとさ」
「いや〜、にしても、あの時のツィガンは本当にカッコよかっただぁ。ワシだったら血ィ見ただけでおろおろしちまうのに、あんなに冷静に対処できるだなんて…」
「そ……そんなこと、ないよ…」
「オ〜ゥ、ツィガン!もしかしてユー、照れているのか?」
にやにやと笑顔を浮かべるキッドに顔を覗きこまれ、ドキッとした。反射的に首を縮める。見れば見るほどテリーマンにそっくりな、端正な顔立ちだ。テリーマンは女性ファンが多かったというから、きっとキッドも、地球でデビューしたら同じようになるのだろう。
「止めろキッド、仔犬ちゃんが恥ずかしがっている」
「だから仔犬じゃなくて狼だっつーの、鹿野郎!」
「オイ、俺は鹿じゃないっ!」
また始まったといいたげな顔で、セイウチンは箸で魚を千切っている。慣れてきたのか、最近はライカとガゼルマンが口喧嘩をしても、傍観者になる事が多くなっている。
「いや〜、ガゼルとツィガンは毎回よく飽きないな!パパから聞いたことがあるが、これがジャパンのコトワザで言うところの、『喧嘩するほど仲がいい』ってヤツなんだな!」
「ばっ」
キッドの言葉に、思わずライカは顔を赤くする。
(―――って、何で私、赤くなってるんだ!?)
「オゥ、やはり図星なのか?」
「言っとくが、俺はソッチの気はないからな」
「知るか!てゆうか、そんな得意気な顔するなよ、この――」
『ガー、スピィッ』
万太郎の間の抜けたいびきが、キッドとは反対側の隣の席から聞こえた。気がそがれたのか、ライカは罵詈雑言が飛び出かけた口を閉じ、代わりに万太郎をつつき起こす。
「起きろよ万太郎……」
「ん〜、もう食べられないよぅ……」
「U世、起きて食べるか夢の中で食べるか、どちらかにしてください……」
ミートが恥ずかしそうに呟く。
かくしてライカは自身でも思ってもなかったほどに学園生活を満喫していた。辛い鍛錬の日々も、友達がいると思うと力強く、よい刺激にもなった。
それと同時に、ライカの心には罪悪感が積もっていた。彼らには初対面から、嘘をつき続けている。自身の生い立ちどころか、性別すらも偽っているかと思うと心苦しかった。
自分の為に選んだ嘘が、まさかこんな形で障害となるとは、彼女は予想もしていなかったのだ。
――それでも、この嘘を付き続けるしかないのだ。
(今更、引き返す事は出来ないのだから)
嘘をつき続け、ここまで来てしまった彼女に、後は残されていないのだから。
(改訂:2019.05.09)